第16話 火

 客達も帰り、店内はかなり静かになった。

 カウンター席に座る私達の前ではレイザがグラスに水を注いでいる。

 私達の後ろではバーテンダーが席の片付けをしていた。


「さて、今日はお疲れ様。水もちゃんと飲みなよ」


 レイザは水入りのグラスを並べた。

 うつらうつらしているヴィルトは、こくりと頷いてグラスに口をつける。水を飲んで少し目が覚めたらしい。


「まずは報酬だね。ほら、器を出しな。魔力を注ぐよ」


 ペンダントを差し出すと、レイザがバングルについた魔宝石をかざした。


「いくよ」


 目を瞑ったレイザが念じると、眩く光る赤い粒子が魔宝石から溢れ出した。私の周りでキラキラと輝いている。濃厚な魔力だ。やや体に熱を感じる。

 やがて粒子はペンダントへと吸い込まれていった。ペンダントに嵌め込まれた石の内、暗い赤色だった石が鮮やかな色へと変わる。

 これで火の魔力に関しては得られたということだろう。


「ありがとうございます」

「お互い様さね」


 笑ったレイザは顎の下で両手を組んだ。


「坑道のことを解決してもらっておいて、と思うかもしれないけどね……一つ頼み事があるんだ」

「頼み事ですか?」


 レイザは笑ったまま頷く。その笑顔はどこか切なそうに見えた。


「……悪いね。また明日来てくれるかい? 少し迷いがあってね」


 体を起こしたレイザは、いつもの快活な笑顔を見せる。


「今日はもう遅いから休むといいよ。今日の宿はとってあるかい? ないなら、ウチの二階を使ってもいいよ」

「お、ありがたいね。実は今日どうするか決めてなかったんだ」

「お邪魔じゃないなら、ぜひ」


 セキヤとヴィルトは乗り気だ。

 まあ、神官がいる場所ほど安全な場所もそうないだろう。


「そうですね。ありがたく借りさせていただきましょうか」

「それじゃ、ついてきな。案内するよ」


 頷いたレイザは私達を連れて二階へと上がる。

 木製の扉を開けた先には、簡素ながらもしっかりとした造りの部屋があった。


「この部屋だよ」


 家具も揃えられ、しっかりと整えられたベッドは寝心地が良さそうだ。

 昨日の宿よりもかなり良質な部屋に見えた。


「ちゃんと掃除はしてるから埃っぽいなんてことはないと思うけど、もし何かあれば遠慮なく言いな! すぐに対応してみせるよ」


 ニカッと笑ったレイザは、ドンと胸を叩いた。

 ……たゆんと揺れる。

 あれは邪魔にならないのだろうか。ああ、そう動かないのであれば気にする必要もないのか。

 自己完結したところで、ふと思いつく。

 神官の家でもあるのであれば……あるのではないだろうか。

 浴槽が。


「早速ですが……水浴びできる場所をお願いできますか? 身を清めたいので」

「勿論あるよ。浴槽もあるけど、どうする? 湯を張っておこうか」


 やはりあるのか、浴槽が。

 酒の臭いが染み付いてしまったところだ。ここ数日の汚れも完全に落としてしまいたい。


「湯に関しては自前でできるから大丈夫だよ。お気遣いありがとう」

「おっ、それなら場所だけ案内しようか」

「お願いします」


 部屋に荷物を置き、レイザに続いて階段を降りる。

 案内された先の扉を開くと、大きな浴槽が見えた。


「おお……」


 真っ白なタイルの床は隅々まで磨かれていて、一種の神聖さすら感じるほどだ。

 思わず声をあげたセキヤは部屋を見渡している。


「自慢の浴室なんだ。気に入ってもらえたみたいで何よりだよ」


 レイザは満足そうに腰に手を当てて笑う。

 想像以上の場所だ。これだけでもここに泊まることにして良かったと思えるほどには。


「そこに置いてある石鹸なんかは自由に使っとくれ。タオルはここに置いておくからね」

「ありがとうございます」

「それじゃ、ごゆっくり」


 レイザは棚から白いふかふかのタオルを取り出すと、カゴに入れて去っていった。

 早速セキヤとヴィルトが浴槽に湯を溜めていく。

 湯を張り終わった後、ヴィルトは浴室を出ようとした。


「俺は後で……」

「あまり時間をかけるのも悪いですし、一緒に入ってしまいましょうよ」


 この機会に、ヴィルトの体にある模様についても聞いてしまおうか。彼を引き留めながら、どう聞いたものかと考える。


「まあ、広さは十二分にあるからね。いけるよ」


 セキヤも同じ考えなのだろうか。引き留めに参加してくれた。

 ヴィルトは黙り込んでしまった。強引過ぎただろうか?

 暫し目を泳がせていた彼は、渋々ながらも頷く。


「……どうしても嫌というなら、別々でも構いませんよ?」


 提案してみるも、ヴィルトは首を横に振った。


「体のことを考えてくれているのだろう? 元々、見せてはいけないものでもない。ただ……俺が必要以上に気にしてしまっている。それだけなんだ」


 ヴィルトはマフラーを外す。左の口元に黒い模様が見える。

 二尾の蛇のようにも見えるその模様は、一本の尾が蔦のように首へ続いている。


「お前達がこの模様を気にしていることは知っていた。ただの……陣のようなものだ。これがあるから、俺は治癒の力を使える。それだけだ」


 魔法陣の一種だろうか?

 魔道具に使われるその技術を、人体に応用したようなものか。どうやって刻んだのかは分からないが……そこはいいだろう。


「そうだったのですか」

「へえ……ヴィルトの故郷に伝わるもの?」


 ヴィルトは目を伏せると、頷いて胸に手を当てる。


「この模様は左半身に這うように続いている。その……あまり見せたいとは思えなかった。物珍しいだろう?」


 ヴィルトは胸に当てた手を握り締め、目を閉じる。

 そんなことを気にしていたなんて、彼らしいと言えば彼らしいか。


「ええ、たしかに見かけませんが……そういうことなら気にしませんよ」

「うんうん。変だなんて思わないしさ。それに、俺はなんかオシャレだと思うよ」

「オシャレ……? そうか?」


 首を傾げたヴィルトの背をセキヤが軽く押す。


「ま、とりあえず服脱いでさ。早く入ろうよ。汗流したいし」


 セキヤに促されるまま、ヴィルトは服を脱ぐ。

 彼が言っていた通り、口元にあった模様は首を通り左胸を通って、左の手足にまで絡みつくように続いている。左胸には目のようにも何かの実のようにも見える模様が刻まれていた。或いは種、だろうか?

 それらの模様を見た私達は、何も言わず自分たちも服を脱ぎ始めた。これ以上それに対して話すことは、ヴィルトにとってもそう好ましくないだろう。おそらく。

 いい香りがする石鹸で体を洗い、湯船に浸かる。

 三人が入ってものびのびと手足を伸ばせるくらいには大きな湯船だ。


「うーん、至れり尽くせり。最高だね」

「流石は神官の家……と言っていいのでしょうか。昨日の宿とはまるで違いますね」

「店でもあり、家でもあり……神殿でもあり?」


 リラックスして息をついたセキヤの言葉に、ヴィルトが首を傾げる。


「神殿……?」

「そう、神殿。一応、神官が身を置いてる場所を神殿って呼ぶらしいけど……今となっては神殿らしい神殿を構える神官は多分いないんじゃないかな。昔はいたらしいんだけどね」


 神殿。神殿か。

 店の様子が思い浮かぶ。随分と騒がしい神殿だ。


「酒の匂いがする神殿ですか……らしいというか、なんというか」

「らしい?」


 セキヤの問いかけに頷く。


「火の神は酒の神、鍛治の神とも呼ばれていますから。地の神も同じように言われているので混同されていそうですが」

「うーん、鍛治はともかく酒は水と風の管轄だと思うなぁ」


 苦笑したセキヤが言う。

 今までに読んだ文献を思い返すと、確かにそう書かれているものもあった。たしかその文献では鍛治は火と土が司っていると書かれていた気もする。


「そういえば、そういった記述もありましたね」


 そんな会話をしながら思う存分に入浴を楽しんだ。

 この旅での疲れが全て吹き飛んだような気分だ。

 寝間着に着替え、廊下に出たとき……壁にもたれ掛かって待つ人影があった。


「それで、随分待たせたみたいだけど……俺達に何か用?」


 セキヤが一歩前に出る。

 私達を待っていたのは黒髪のバーテンダーだった。

 キリッと鋭い赤い目が、私達を真っ直ぐに見据えている。


「……話がある」

「とりあえず聞くだけ聞くよ。どういった用件?」


 ヴィルトを背に庇い、じっとバーテンダーの動向を観察する。

 特に何かをしかけてくる様子はなさそうだ。

 バーテンダーは決意に満ちた目で、セキヤを見つめていた。


「明日、レイザ様から依頼を受けるはずだ。もし、それが水の神官に関わるものであった場合、破棄してほしい」


 水の神官? 破棄?

 予想外の申し出だ。セキヤと顔を見合わせる。


「意味がわかりません。理由を聞いても?」

「奴をレイザ様に関わらせたくない。ただそれだけだ。他に理由が必要か?」


 バーテンダーの目は変わらず真っ直ぐで、本心からそう言っていることが分かった。

 私達の返事を聞くよりも早く、彼は背を向ける。


「言いたいことはそれだけだ。時間を取らせてすまないが、考えておいてくれ」


 バーテンダーはそう言い残して去っていった。



 部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。

 軽く体を伸ばし、息を吐いた。


「……さて、今日はもう休みましょうか」

「ヴィルトはもう夢の中だね」


 ヴィルトは枕を抱き抱えてうつらうつらと船を漕いでいる。

 セキヤがベッドに横たわらせてやると、そのままぐっすりと眠りに落ちた。


「湯船に浸かっていた時点で少しうとうとしていましたからね。寝る子は育つとはよく言ったものですが」

「子とは言っても、一番年上だけどさ」

「……そういえばそうでしたね」


 私とセキヤは二十一歳で、ヴィルトは四つ歳上の二十五歳。

 歳も身長も一番上だが、どうも歳下のように扱ってしまう。

 少しばかり笑った後、セキヤは真面目な面持ちで話を変えた。


「さっきの、どうする?」

「どうするも何も……今後も関わる可能性がある以上、断って心象を悪くするというのは避けたいところです。ましてや他の神官の情報が得られるかもしれないとなれば……」


 どう考えても、わざわざ断るメリットがない。

 セキヤは頷く。


「……だよね。何かしらの事情があるのかもしれないけど、こっちにはこっちの事情があるわけだし。当人の間でどうにかしてほしいかな」


 ふう、と息を吐いたセキヤは体を伸ばす。


「まあ、相手次第ってところだね。受けるにしても内容は大事だし」

「そうですね」


 セキヤはひとつあくびをすると、部屋の明かりに手を伸ばす。


「それじゃ、もう寝ようか。おやすみ、ゼロ」

「おやすみなさい、セキヤ」


 ぱちりと部屋の明かりが消える。

 窓の外からはぽつぽつと雨が降り始めていた。

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