第8話 悪魔

 居住区の中央から少し外れた、入り組んだ路地の奥。貧民区に近い一帯の寂れた雰囲気に似合う、やや古臭さを感じる一軒家。

 良く言えば情緒があり、正直に言えばボロ屋の前に立ったセキヤは、家を指差して振り返った。


「ここが、その『物好き』の家?」

「ええ、ここにいるそうです。基本的に温厚だとは聞いていますが……」


 玄関に近付き、コンコンとノックする。


「はいはい、ちょっと待ってねー」


 ノックから間を置かず、すぐ近くから声が聞こえる。

 明らかに内側から聞こえたものではない声だ。辺りを見渡してみても、声の主の姿はない。

 じっと扉を見つめてみる。


「……魔道具でしょうか?」

「かなり大掛かりな魔道具でも使ってるのかな。それか魔法……?」


 セキヤと話していると、ギィと擦れる音を立てて扉が開いた。

 出迎えたのは白衣を着た赤毛の女だ。毛先に近づくにつれオレンジに染まった髪をポニーテールにしている。頭に生えた黒い角と尖った耳から、人間ではないことはすぐに分かった。


(山羊の獣人……? それにしては魔力量が多いような……気のせいか?)


 魔力を多く持つ者がまとう、ピリついた空気を微かに感じる。

 コントロールでもしているのか、明確に判断できないものの、違和感は残る。

 セキヤをちらりと横目で見ると、同じように感じていたらしい。彼の青い目は淡い光を帯びている。彼女がまとう魔力を覗いているのだろう。

 ふいにセキヤが息を呑んだ。視線を戻した時には、女は私を見て微笑んでいた。


「……キミか。まあ、入ってくれたまえ」


 何事もなかったかのように、女は胸に手を当てて優雅な動きで家の中へと誘う。


(キミか? 彼女は私を知っている……? 私に関する噂でも流れていた?)


 私が彼女を噂で知っていたように、彼女が私を噂で知っていてもおかしくはないだろう。

 ただ……基本的に男を相手に動いている私が、女である彼女の耳に届くのは少し疑問ではある。

 しかし今はそれよりも呪いのことの方が重要だ。素直に扉をくぐった。


 外観はやや薄汚れていたが、内装はそれなりに整えられている。だが、床に散らばった紙の束が台無しにしていた。

 机の上や棚の中には、様々な実験器具のような物が置かれている。部屋の奥には白い布をかけられた大きな何かが置かれていた。その後ろの壁には絵が飾られている。ごく普通の容姿をした男の肖像画だ。


「やあやあ、いらっしゃい。一週間ぶりだったかな? そちらの二人はキミのお友達?」

「……一週間ぶり? 初めて会いましたよね」


 やはり知り合いであるかのように話しかけてくる。噂で知ったというわけではなさそうだ。

 疑問を投げ掛ければ、女はきょとんとして、ぱちぱちと瞬きをした。


「おや、新手の冗談かい? キミにしては珍しい」

「いえ、冗談ではなく。貴方はカメリア……で合っていますか?」

「なんだ、本気で言っているのか。これは驚いた」


 彼女は私に顔を近づけ、じっと見つめてくる。

 少し身を引いて「なんですか」と問えば、彼女は離れて行った。


「いやはや、なるほど。雰囲気が違うと思っていたが、話に聞いていたもう一人のキミか」


 もう一人の。その言葉を聞いた途端、どくんと心臓が大きく跳ねた気がした。

 もう一人の自分と聞けば、思い当たる存在は一人しかいない。

 私の体を好き勝手に使う彼の存在。彼と接触していたというなら、今までの口振りも納得がいく。


「待ってください。貴方は彼を知っているのですか?」

「勿論知っているとも。私のラボへようこそ。歓迎するよ、ゼロ・ヴェノーチェカ君」


 両腕を広げた彼女は、私達の様子を見て苦笑する。

 それもそうだろう。私とセキヤは彼女を警戒し、ヴィルトは目を逸らしているのだから。


「おっと……どうやら彼はあまり良く思われていないらしい。私からすると良い協力者なのだけど」

「協力者?」


 目を鋭くするセキヤに、彼女は薄く浮かべた笑顔で答える。


「そう、協力者。度々私に必要な『材料』を調達してくれていてね。一週間前も新鮮なものをまるごと四体も提供してくれて……ふふ、世話になっているのさ」


 人差し指を立てた彼女が「何も味方というわけではない」と言うと、ようやくセキヤの眉間から皺が消えた。


「おやおや、私としたことが自己紹介を忘れていた。どうやらご存知のようだが、だからといって礼儀は大切だ。そうだろう?」


 彼女は胸に手を当てて浅くお辞儀をした。どこか高貴さを感じる仕草は、この場所とチグハグな印象を受ける。

 彼女がどこの出身なのかを考えようとして、やめた。それは何も重要なことではない。


「私はカメリア・フローシュ。このラボでちょっとした『研究』をしているんだ」

「……ゼロ・ヴェノーチェカです」

「俺はセキヤ・レグラス。で、こっちがヴィルト・メンシス」


 セキヤの紹介を受けて、ヴィルトが会釈する。

 カメリアは満足そうに頷いた。


「いい名前だ、覚えておくよ。私については……噂で聞いたのだろう? でなければ私がキミを知っていることを知らないはずがない。まあ、彼が隠したのかもしれないが……」


 私が頷くと、カメリアは頬に手を当て、こめかみの辺りをトントンと指先で叩いた。笑みを深めた彼女は私を手で示し、口を開く。


「この際、キミには話してもいいだろう。ただ……他の二人には、少し席を外してもらうことになるね」

「俺達には話せないこと?」


 セキヤが一歩前に出ると、カメリアはくすくすと笑って手を軽く振った。


「ああ、心配しているようだね。どうやらキミは良い友人を持っているようだ。心配せずとも、恩人に手出しはしないとも。私の名に誓おう」


 セキヤは少し視線を彷徨わせ、私を見つめた。頷けば、彼はため息をついて退いた。


「……分かった」

「盗み聞きしようとは思わないことだ。キミ達に伝えるかどうかは、全てを聞いた彼が決めることだからね。そこの部屋で待っていてくれたまえ」


 カメリアが指差した部屋に渋々ではあるものの入っていくセキヤ。薄暗いその部屋はいくつも棚が置かれていて倉庫のようにも見える。中は冷やされているのか、冷たい空気がこちらまで流れ込んできた。


「ああ、その部屋の棚などはあまり見ない方がいい。やや刺激が強いかもしれないからね」

「忠告、感謝するよ」


 セキヤの手招きでヴィルトも倉庫に入ると、扉を閉める。

 カメリアは机に腰掛けて足を組んだ。


「さて、と。私の噂について、どこまで知っているのか教えて欲しい」


 彼女の噂。

 様々な噂を耳にしたことがあるが、その中でもよく聞く噂を繋ぎ合わせる。これが真実なら『彼』が協力者だというのも頷ける。


「理想の恋人を造るために、死体と呪いを使ってアンデッドを生み出そうとしている、と」

「ふむ、中々いい線をいっているようだ。ただ、少し違うな」


 カメリアは人差し指を立てて、ゆっくりと振った。


「私はね。かつての愛を取り戻そうとしているだけなのさ」

「かつての愛?」


 カメリアは頷くと、うっとりと目を細める。


「私には昔、恋人がいてね。ちっぽけで愚かな人間の男だった」


 目を閉じたカメリアは、深く息を吸うとゆっくりと吐き出す。その男との思い出でも思い返しているのだろうか。


「悪魔は悪だ……それが人間にとっての認識だろう? そんな中で、その男はあろうことか私に恋をしてね。食おうとした私にだ。こんなことがそうあると思うかい?」


 目を開いたカメリアは部屋の奥にかけられた絵を見る。その絵に描かれている男がそうなのだろう。

 となれば、その前に置かれている白い布がかけられた何かは……そう考えようとしたところで、カメリアは話の続きを口にした。


「絆されたとでもいうんだろうね。私もいつしか食べることを惜しいと思うようになっていた。だが、人間というものはとても脆い生き物だ。たった数十年で、私を置いていってしまった」


 机から降りた彼女は、部屋の奥へと向かう。白い布がかけられた何かに手を置き、そっと撫でた。布越しに浮かび上がるシルエットは、椅子に腰掛ける人間の形をしている。


「これだけの『愛』を手放すのは惜しい。だからこそ、取り戻すことにしたのさ。その為には魔道具でも呪いでも何でも利用すると決めていてね」


 布がかけられたそれを見つめていた目が、私へと向けられる。細められたオレンジの瞳が、横長の瞳孔が、私を貫く。


「未だ答えには辿り着けていないが、とても意義ある時間だ。キミにも分かるだろう?」

「いえ、分かりませんが」


 こっちは愛だの恋だので散々な目に遭ったばかりだ。分かるはずもない。

 率直に答えれば、彼女はぽかんとして私の前へと歩いてきた。腕を組んで顎に手を当てながら、じっと顔を見つめてくる。


「おや? 人間の友を持つ悪魔なら同感を得られると思ったのだけど。それとも本当に私だけなのか……?」

「悪魔?」


 今。今、悪魔と言わなかったか、この女。

 聞き捨てならない言葉が聞こえ、聞き返す。

 カメリアはぱちぱちと瞬きして私を指差した。


「キミ、本当は悪魔なのだろう? 私と同じで」

「……待ってください、本当に貴方は悪魔なのですか」


 問いかけに彼女はあっさりと頷いた。

 そんな簡単に言っていいものなのか? それとも、本当に私を悪魔だと勘違いしてのことか。そもそも、こんな町の中にいていいものなのか?


「やはり分からないものなのだね。この町は獣人も多いからか、山羊の獣人だと言えば姿を変えずとも怪しまれない。キミはそうもいかないのだろう? 大変だね」

「私は人間ですが」

「……なら、その悪魔の匂いはどういうことかな? 契約したというわけでもないだろう?」


 悪魔の匂い。頭の中で繰り返し、すぐに思い至る。間違いなくあの件だろう。話を切り出すなら今しかない。


「おそらく、私が訪ねた理由と関係あるかと思います」


 怪訝そうな顔をするカメリアに今までのことを説明した。

 メイニーが言っていた悪魔の存在。呪いの発現。そして、香水のことも。

 その全てを聞いた彼女は納得したように頷いた。


「なるほど、なるほど……悪魔の呪いか」


 証拠品として見せた香水瓶を持ち上げ、様々な角度から観察した彼女は、うーんと唸る。


「たしかに魔力を感じられない香水だ。本当に悪魔がこれを?」

「悪魔の呪いにかけられたというのは事実です。これを悪魔が渡したかどうかについても、悪魔の香水瓶だと確証は取れていますので確実かと」

「ああ、鑑定か。便利な魔眼を持っているよねえ、キミ」


 息が詰まった。なぜ彼女は鑑定眼のことを知っている? 悪魔なら分かるものなのか? いや、それよりも可能性が高いのは。


(一体どこまで話しているんだ、彼は……!)


 勝手に明かすなんてと内心苦情を入れる。きっと彼は聞いてなどいないだろうが、思わずにはいられない。

 カメリアは首を振ると、香水瓶を返した。


「残念ながら力になれそうにない。そもそも、そんな高度な呪いを扱える悪魔なんて聞いたことがないんだ」

「悪魔ではない、と?」

「少なくとも私の知る悪魔……あと、類似する種族にはいないね。悪魔が行使する力は契約魔法であって、呪いとは違うんだ」


 ここにきて唯一の手掛かりさえも潰えそうになる。そうなれば、一体どうすればいいのだろうか。手のひらに乗せた香水瓶を見つめる。

 ふと、カメリアが香水瓶を指差した。


「そもそも……この香水、妙だと思わないかい?」

「妙、ですか?」

「まったく魔力が感じられないんだ。瓶も、中身も。魔素で構成されていないんだよ」


 魔素で構成されていない? そんなことがあっていいのだろうか。

 万物は魔力……正確には、複数の魔力が凝縮されて個体となった魔素によって構成されている。


「キミも思い至ったようだね。常識と言っても過言ではないけれど、この世界における全ては魔素によって構成されている。こういった瓶のように安定した物質は元々魔力を放出しないが、それでも瓶自体は魔素が大量に集まることによって構成されているものなんだ。本来はね」


 彼女が言うとおり、万物を構成する魔素のことは子供でも殆どの者は知っている常識だ。

 そしてこの瓶。もし彼女の見立て通り魔素で構成されていないというのなら、本来存在するはずのない代物ということに他ならない。


「妙、で済ませていいものとも思えませんね」

「ここまで常識を超えてこられると、私の手には負えないね。その悪魔の呪いとやらも、私が知っている呪いと異なる可能性だってある。そもそも私にはキミが呪われているようには見えなかった……その時点で答えが出ているようなものさ」

「そうですか……」


 異質だということ以外に手掛かりはない。残念とはいえ、ある程度予想していた結果ではある。


「ふむ……そうだ、中央図書館に行ってみてはどうかな。ただの図書館ではないことくらい、キミも知っていそうだ」


 カメリアは人差し指を立てて提案した。

 中央図書館。この町、パノプティスの中央に立つ高い塔。その一部分は図書館として一般にも公開されている。

 高い階層はこの町を運営する上層部の人間がいると言われ、この町の要とも呼べる場所になっている。


(何より、地下の存在だ。噂程度だが、ないとも言い切れない)


 一般に公開されていない、地下。

 かつて一度世界が滅びかけた時、多くの知識と技術が失われた。

 失われた一部について書かれた書物。一体何が書かれているのか、公にされることのない禁断の書物。


「禁書、ですか?」


 頷いたカメリアは、パンパンと手を叩いた。


「さて、話はここまでだ。お友達を連れて行くといい」

「そうですね。あの部屋にこれ以上居させては凍えてしまいそうです」


 セキヤ達が入っていた部屋の扉を開ける。

 中では青ざめているヴィルトの背を、困り顔のセキヤが摩っていた。凍えている……ようにも見えるが、違う気がする。


「あ、終わった?」

「……はい、話は終わりました。何かあったんですか?」

「あー、ちょっと想像しちゃったみたいでさ。棚の中身」


 目を逸らしたセキヤの視線を辿ると、棚にいくつもの箱が並んでいる。ひとつひとつに体の部位が書かれたラベルが貼られていた。

 たしかに、ヴィルトはこういったものが苦手だった。


「……なるほど。次の行き先が決まりましたから、一度戻りましょう」

「分かった。行くよ、ヴィルト」


 青ざめたまま頷いたヴィルトは、セキヤに体を支えられながら部屋を出た。

 その様子を見て苦笑したカメリアは部屋の奥へと向かう。


「では、私は作業に戻るとしよう」


 白い布がかけられたそれに近づいた彼女は、ふと思い出したように振り向く。


「ああ、そうだ。あまり力になれなかったからね。一つプレゼントを用意しておこう。何か進展したら……いや、進展しなくてもいいか。図書館に行った後にでも来るといい」

「プレゼント、ですか」


 悪魔のプレゼントだなんて、嫌な予感がする代物だ。

 じっと見つめられたカメリアは「一週間前の礼だから代わりに受け取ってくれ」と手を振った。

 一週間前。思い浮かぶのはあのチンピラ達だ。彼らは『素材』としてここに置かれているのだろうか。

 ともかく、プレゼントの内容は見てから決めても遅くはないだろう。


「では、また後程」


 やや釈然としないながらも頷いて、セキヤとヴィルトを連れて外に出る。

 まだ夜は明けていない。明日に備えて、今日はもう休むとしよう。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 三人の客が去っていった扉を見て、指を鳴らす。

 扉に組み込んでいる魔道具が作動し、施錠した。


「さて……新しい素材、最後の一つを試してみようか」


 白い布を剥がすと、愛しのキミが姿を表す。

 キミのために設えた豪華な椅子に腰掛ける姿は何度見ても美しいと感じる。私の美的センスには合わないはずだというのに、これも惚れた弱みというものなのだろうか。

 全くと言っていいほど生気がない顔を撫でる。顔の縫い目は、もう少し目立たないようにできないものだろうか。


「それにしても、一体いつ呪われたのやら」


 一週間前、四人分の死体を持ってきたキキョウを思い出す。

 以前から何度も『取引』をしていたが、その時はまったく変化がなかった。


「一週間でこれほど濃くなるとは……」


 呟いたところで、首を振る。今はそんなことにかまけている時じゃない。

 椅子に腰掛けるキミを見つめ、息を吐く。


「まあいい。待たせてしまって申し訳ない、愛しのキミよ」


 キミの頬に手を添え、反対側の青白い肌にそっと唇を落とす。


「今日も私の『愛』に付き合っておくれ」

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