第6話 呪い

 ゼロを運び出し、壁に寄りかかるよう座らせる。

 片膝をついたヴィルトは深呼吸すると、ゼロの額に手をかざした。ヴィルトの手を青い光が包み、ふわふわと漂いはじめた小さな光の粒子がゼロとヴィルトの頭へと吸い込まれていく。

 幻想的とも呼べるその光景を眺めながら、今回のことについて考えていた。


(結局、こうなった原因は魔道具じゃないってことだよね。他の可能性としては魔法……だけど)


 目に少しばかり魔力を集め、メイニー……犯人の女をじっと見つめる。色褪せた紫色の煙が彼女から微かに漂っているように見えた。


(魔力の量と質を見ても、明らかにこんな高度な魔法は使えそうにないんだよね。となると、怪しいのは……やっぱり、あの香水かな)


 カーペットの上に転がったままの香水瓶を見つめる。何色の煙も見えないそれは、魔道具の類ではないことを示していた。


(魔道具とすると魔石がないし、ポーションの類にしても魔力が感じられない。普通の香水にしか見えないな)


 深くため息をつく。もっと早く来ていれば、何か話を聞けたかもしれない。


(着いた時には何かをしようとしている口ぶりだったし、あそこで放っておくわけにも……どうすればよかったんだ?)


 この部屋の前に辿り着いた時には、彼女がゼロに謝る声が聞こえていた。それが何を表すものなのかなんて考えている場合じゃない。そもそも、ゼロを連れ去った……それだけで有罪だ。

 ただ、鍵がかかっていた。だから銃で鍵を壊して、ドアを開けた。その結果、あの香水がゼロにかかったわけだが。


「ん? 待って。もしかして俺、やらかした……?」


 さぁっと血の気が引いていく。頭に手を当て、深く呼吸して心を落ち着ける。

 大丈夫だ。今、ヴィルトが治療にあたっている。ヴィルトなら大丈夫だろう。たとえ腕を失ったとしても、彼にかかれば再生するのだから。


「余計なことしちゃったねえ」


 落ち着きかけていた心を乱したのは、軽い調子の声だった。

 ゼロの声だ。しかしその声は普段の声よりも幾分か高く、抑揚もある。

 振り向けば、ゼロは腕を上げて体を伸ばしていた。息を吐いて腕を下ろしたゼロは、にっこりと笑うと見開いた目で俺を見た。

 壁に寄りかかって座っているヴィルトは、ゼロと……いや、ゼロに取り憑いた『悪魔』と俺とを困惑した顔で交互に見ている。


「ゼロはずっと眠ってたけど、僕は話を聞いてたんだよね〜。多分、あのまま放っておけば香水はかかってなかったと思うよ。ああ、それと」


 ぺらぺらと話し始めた『悪魔』が部屋を覗き込む。縛られて意識を失ったままの彼女を指差して振り返った。


「あの子の名前を呼ぶと操られちゃうらしいから気をつけた方がいいと思うなぁ」


 ギリ、と歯が鳴る。ゼロの顔で、ゼロの体で、好き勝手に動く『悪魔』を睨みつけた。

 俺がこの町でゼロと再会した時には存在していた。一体いつから取り憑いているのか分からない、ゼロの影に隠れた『悪魔』。

 こいつは時々表に現れては、ゼロの意思に関係なく動き回る。


「お前か。最近大人しいと思ってたんだけど」

「ちょっとちょっと、僕にはキキョウって名前がちゃんとあるんだけど? そろそろ覚えてくれてもいいんじゃない?」

「呼ぶと思うわけ?」


 ああ、腹が立つ。眉間に深く皺が刻まれていくのを感じる。

 それは昔、俺がゼロと出会った頃に教えた異世界の花の名だ。それをわざわざ名乗るこいつの感性が信じられない。

 キキョウはやれやれと首を振った。その仕草にまた苛立つ。

 しかし、今はそうも言っていられない。


「……今は何が起きたかが最優先。知ってること全部話して。で、ゼロに体を返して。早く」

「はいはい、わかったわかったって。まったくもう、ゼロに向ける優しさをほんのちょこっと僕に分けてくれてもいいと思うなぁ」


 誰が分けてやるものか。

 クスクスと笑う顔が腹立たしい。ゼロと同じ顔だというのに、コイツが入っていると思うとムカついてくる。


「今すぐ消してやろうか?」

「わぁ、こわ〜い! やってみなよ、できないと思うけど」


 怖いとは言うものの、口の前で両手を合わせる『悪魔』の顔は笑っているままだ。それどころか挑発までしてくる始末。

 歯をギリギリと噛み締め、舌打ちする。


(いつか……いつか、消す方法を見つけてやる)


 『悪魔』はスタスタと部屋の中に入っていくと、カーペットの上に転がる香水瓶を拾い上げた。振るとチャプチャプと中身が揺れる。


「誰かからこの香水と何らかの術を教えてもらったらしいよ。セキヤがいない時を狙えっていうのも、その人から。それが誰かっていうのは言ってなかったから分かんないや」

「協力者ってことか……それで全部?」

「あと、これをかけるともっと『いい結果』になるんだってさ」


 『悪魔』はそう言いながら香水瓶を振る。

 それを知っているなら、なおさら得体の知れない物を気軽に触るんじゃない。


「後はこっちでやる。お前は早く体を返せ」

「冷たいなぁ、もう。僕だって外を満喫したいんだけど?」

「帰れ」


 『悪魔』と言い合っていると、ううんと細い声が聞こえた。『悪魔』と同時に声の聞こえる方へと顔を向ける。

 気絶して床に転がしていた犯人の女が、もぞもぞと動いていた。

 近づこうとしたが、『悪魔』に手で制される。一度深呼吸した『悪魔』は見開いていた目を少し伏せ、ずっと上がっていた口角を下げる。

 ……ゼロの表情に近い。俺も、コイツが出てきていると知らなければ違和感さえ覚えないかもしれないと思ってしまいそうな程だった。

 目を開いた彼女は、ゼロの表情を真似る『悪魔』が近づいてくるのを見て小さな悲鳴をあげた。


「あ、ぁあっ、ゼロ君……っ」

「起きましたか。中々目覚めないので心配していたんですよ?」

「ちょっと、勝手なマネは――」


 声まで低めにして、ゼロのふりをする『悪魔』。

 好き勝手させまいと部屋に入ったところで、彼女はますます震えて泣きそうな顔をした。

 『悪魔』は非難の目を俺に向け、少しムッとする。


「彼女が怯えてしまっているでしょう? 私が話を聞きますから、貴方は待っていてくださーい」

「お前……」


 間延びした語尾にイラッとする。

 ただ、確かにコイツの言い分も一理ある。

 脅しに脅した本人が近くにいては、彼女は言葉を出すこともままならないだろう。かといってヴィルトに任せるには不安が残る。


「……妙なことはしないように」

「はいはい、分かってますよ。起き上がれますか?」


 彼女と向き合った『悪魔』は、体を支えて壁にもたれかかるように座らせる。おどおどしている彼女に、片膝をついて目線を合わせた。


「落ち着きましたか?」


 彼女はまだ怯えている様子だが、『悪魔』が何もする気がないと分かると次第に落ち着きを取り戻していった。

 息を整えた彼女はおどおどしながら『悪魔』を見上げる。


「あの……えっと、ゼロ君」

「何でしょう?」

「怒って……ない、の? アタシのこと」


 『悪魔』は穏やかな声色で、首を傾げて言う。


「なぜ?」

「だ、だってアタシ、アナタにあんな……あんな酷いこと、したのに」


 彼女は泣きそうになりながら俯いた。

 そんな彼女の頬に手を添えて顔を上げさせた『悪魔』は、そっと目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。


「大丈夫ですよ」


 薄く微笑んだ『悪魔』に、彼女はぽろぽろと涙をこぼし始める。

 背中を摩りながら『悪魔』は言葉を続けた。


「怒っていません。ただ教えて欲しいことがあります」

「っ、うん! アタシに分かることならなんでも答えるよ……!」

「コレは誰から貰ったのか……教えてもらえますか?」


 『悪魔』は紫の香水瓶を揺らしてみせた。

 彼女は香水瓶を見て、少し目を伏せる。紫色の目が揺れていた。


「それは……キレイな女の人からもらったの」

「名前は?」

「わからない……アタシも聞いてみたんだけど、教えてもらえてないんだ。あ、でも見た目なら教えられるよ。金髪で、耳が尖ってて、黒くて細い尻尾があって……まるで御伽話にいる悪魔みたいな見た目だったんだ」

「悪魔、ですか。なるほど」


 悪魔。それは実在する種族だ。

 といっても、大体の人間は彼女のように架空の存在だと思っている。伝説上にしか存在しないと。

 ふとヴィルトを見ると、驚いた顔で彼女達を見ている。もしかするとヴィルトも悪魔を架空の存在だと思っていたのだろうか。


「では、次の質問です。コレを私にかけるとどうなるんですか?」

「ぁ……そ、そうだ。ゼロ君! なんともない!? 痛いところとかないっ!?」


 彼女は壁につけていた背を浮かせ、『悪魔』の方へと顔を近づける。

 その表情は心配と焦燥が混じり合ったものに見えた。『悪魔』は首を傾げて香水瓶を揺らす。


「そんなに慌てるということは、何か良くないことでも起きるんですか?」

「わからない……なにもわからないの。ごめんなさい。これをかければ『いい結果』になるってことしか教えてもらえてなくて……だから心配で」


 手掛かりを得られそうな彼女でさえ知らないという。

 仕方なかったとはいえ、あの時扉を蹴破ったのは軽率だったかもしれない。

 少し頭が痛くなるのを感じた。ヴィルトの治療で全て治ってくれているだろうとはいえ、危険に晒したことに変わりはない。


「そうですか。他には何かありませんか? 私の情報をどこから知ったか、とか」

「情報は、その……悪魔みたいな人から。その人がどうやって知ったか、なんだけど」


 彼女は思い出そうとしているのか、斜め上を見ている。

 少しの沈黙の後に、彼女は口を開いた。


「世界が始まってから今に至るまで、その全てを見てきたって言ってたくらい……かな。ごめんね、ゼロ君。アタシ、役に立てたかな……?」


 香水瓶を床に置いて微笑んだ『悪魔』は、そっと彼女の体を抱き寄せた。彼女の後頭部に手を添え、さらりと髪を撫でる。

 コイツ、何を好き勝手にしているんだ? それはゼロの体だ。


(聞き出すためだとしても、そこまでする必要はないでしょ!?)


 止めようと一歩踏み出す。彼女は突然のハグに目を白黒させ、耳まで真っ赤に染め上げていた。


「あ、ああああのっ、ゼロ君っ!?」

「もう充分です」

「……え?」


 ドスッ。

 いとも簡単に、けれども深く。『悪魔』の手に握られたナイフが、彼女の背に突き立てられた。

 彼女の後頭部に添えられていた手が、彼女の頭を強く押さえつける。『悪魔』の肩で塞がれた口からくぐもった叫び声が漏れ出た。

 引き抜かれた傷口から、とめどなく血が溢れ出す。

 暴れようともがく四肢が落ち着いた頃、ようやく頭から手が離された。


「な、んで」

「これ以上は何も知らないんでしょ? もう用済みなんだよねぇ」


 涙に濡れた紫色の目が揺れる。クスクスと笑う『悪魔』を見たまま、彼女の体は静かに倒れ込んだ。

 『悪魔』は赤く濡れたナイフを強く振ると、残った血を彼女のワンピースで拭う。


「大体、名前呼ぶだけで操られちゃう〜なんて危険すぎるって。そんなの生かしておくわけないじゃん……っと」


 ナイフを袖に隠した『悪魔』は香水瓶を手に取ると、立ち上がってこちらへと歩き出す。


「はい、終わったよ。充分な収穫でしょ?」

「その子の手を汚さないで」


 本当に、とんだ『悪魔』だ。その体はゼロのものであって、お前のものではないというのに。


「え〜? セキヤだって殺すつもりだったんじゃないの? それに百人も百一人も変わらないって。今更だと思うけど?」


 ぐ、と喉の奥で声が詰まる。

 確かに。確かに、同じ理由で彼女を殺すつもりだった。

 ただでさえ危険なうえに、ゼロにここまでの危害を加えた者だ。俺の中で殺さない理由など無いに等しい。


 今更だというのも、そうだ。

 こいつは今までに何度もゼロの体を乗っ取っては好き勝手に動いている。俺の知らない間にも動いているかもしれない。

 その間に何人を手にかけているかなんて、分からない。


「だとしても、俺がやる。お前はさっさと帰れ。二度と出てくるな」


 しっしと手で追い払う。お前の言葉など、そう簡単に受け入れてたまるものか。

 『悪魔』はわざとらしく肩をすくめてため息をつき、ゆっくりと首を振った。


「はいはい、ゼロに代わればいいんでしょ。はい、香水。持っておいたら?」


 香水瓶をぐいっと押し付けられる。

 『悪魔』は壁にもたれかかると、廊下で座り込んでいるヴィルトを見て軽く手を振った。


「じゃあまたね、セキヤ。ヴィルトも」


 そして『悪魔』は目を閉じる。

 立ち上がったヴィルトが近づいてきて、彼の様子を見る。

 たった数秒の間。でも、少し長く感じられた。

 彼がもう一度目を開いた時、その表情も声色も元のゼロに戻っていた。


「……セキヤ? ヴィルトも。私は……私は、たしか」


 記憶を辿ろうとするゼロに声をかける。

 知らなくていいことも沢山ある。それに、もう終わったことだ。


「助けに来たんだ。すぐにここを離れるよ」


 ゼロは部屋に転がる彼女の死体を一瞥すると、部屋を出た。

 同じように死体を見つめているヴィルトに声をかける。いくら悪魔に誑かされた可能性があるとしても、同情するような相手じゃない。


「行くよ、ヴィルト」


 声をかけられた彼は死体から目を離し、最後にもう一度ちらりと見る。数秒目を瞑った後、部屋を出た。

 ……本当に優しい子だと思う。心配になるほどだった。



 ゼロのイヤーカフが捨てられていることに気付いたのは家に帰ってからだった。

 ただゼロを助けることだけ考えていたせいか、すぐに気づけなかったらしい。

 仕方ない、今度新しいものを作ることにしよう。


 ゼロには簡単に今回あったことを話した。

 あの『悪魔』のことは控え、彼女は俺が殺したことにして。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 セキヤ達に助けられた日の夜。

 眠りにつこうとした私は、ずきりと鋭い痛みが走ったことで目を覚ました。


「ぐっ」


 息が詰まり、背中が丸くなる。ずきんずきんと痛み続ける右目を押さえ、歯を食いしばった。

 一体何が起きている? 周りには誰の気配もない。誰かに襲われただなんてことはまずあり得ない。


「ぎ、ぃ……っ」


 痛みを逃そうと身を捩る。一瞬の浮遊感の後に、背を強く打ちつけた。どうやらベッドから落ちたらしい。


「はっ、はぁっ……」


 刺されたかのような鋭い痛みは、次第に鈍い痛みへと変わっていった。

 荒くなった呼吸を落ち着けながら、体を起こす。


「い、一体何が……?」


 そう。そして今に至る。

 痛む右目、鑑定眼によって流れ込む情報。信じたがい、それ。


 目の痛みは治ったが、頭の痛みは依然として残る。

 本当に、とんだ失態だった。

 あの時名前を呼ばなければ、それで済んだだけの話だった。

 これ以上現実逃避していても仕方がない。

 右目を押さえながら部屋を出る。

 とにかく、まずはあの二人に相談しなければ。

 話はそれからだ。

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