第3話 始まりの手紙

 二人の獣人は、見たところ子供のようだった。

 ただ、獣人に限らず亜人は見た目で年齢の判別がつかないことが多々ある。ああ見えて実は歳上だということもままあるのだ。

 何にせよ、セキヤが立ち止まったのなら何かあったのかもしれない。セキヤの隣まで戻ることにした。


「どうしたんですか、セキヤ」

「ああ……あの少年達を見てたんだ。どうもここに来たばかりみたいだったから、つい」


 なんともくだらない理由だった。

 パノプティスに来たがる者は多い。なにしろ楽園と呼ばれる町だ。その実情がどうであれ、気温や魔力濃度については快適であることには変わりない。

 たとえ近所だとしても、毎日のように新しい顔を見る。そういうものだ。


「ここでなら、俺たちもバカにされたりなんてしない! 自由なんだ!」


 少年の一人がボサボサの尻尾を振りながら声をあげた。見たところ犬系の獣人だろうか。

 その隣にいる少年は、こくこくと頷いている。


「う、うん! 君についてきてよかったよ……! 本当に楽園に来れるなんて……」


 こちらは猫系のように見えるが、汚れて固まった毛のせいで形が分かりにくい。

 元々そういう生活環境にいたのか、それともここまでの旅でそうなったのか。少なくとも、この辺りの区域に住めそうな見た目ではなかった。

 そして、実際にそうだったのだろう。

 犬系獣人は猫系獣人の手を掴んで、大通りのずっと先を指差す。


「ほら、はやく俺たちの新しい家に行こうぜ! ええと……あっちの方だったよな!」

「ま、待ってよ! ちょっとゆっくりにして!」


 走っていく二人の獣人。彼らの小さな背を見ていたセキヤは、小さくため息をついた。


「楽園。楽園か……皮肉だね」


 今更な話だ。

 ヴィルトの件があるように、この町の治安は良いとは言えない。それどころか最悪と言ってもいい。

 あんなものは序の口だ。そもそも手慣れた者達はこんな大通りで手出ししてこない。


「彼らも、その時が来るまで知らずに生きた方が幸せなんじゃないですか」


 どの道、外にも中にも危険はある。それが魔物や魔力濃度といった環境的なものか、人の手によるものかという差でしかない。

 それなら一時でも自分達が救われたと思っていた方がマシだろう。


「幸せ、か。一日でも長く生きてくれたら、それで……」

「貧民区では無理がありそうですがね」


 そっと目を閉じたセキヤに、現実を告げる。

 獣人達が向かった先は、居住区の中でも最も危険度が高い貧民向けの場所だ。


 楽園たる町の慈悲により、どんな者にでも最低限の生活を保証する場所だ。同時に、運が悪ければその日の内に死ぬ。そういう世界でもある。


「ゼロ」


 けれども、セキヤはそれを良しとしなかったらしい。

 細められた目は、明らかに私を咎めるものだった。

 隣に立つヴィルトも、何かを言いたげな目で私を見ている。


「私は事実を言っただけです」


 ふいに出たのは、そんな言葉だった。

 言ってしまったものは仕方がない。

 私は顔を背けて、そのまま足を前に出した。


「早く帰りますよ。もう日が落ちそうです」


 歩き出した足は段々と早まっていく。

 偶然、近くにいただけの無関係な亜人だ。

 セキヤもヴィルトも、ただ他人に甘いだけでしかない。


(犯罪者達に格好の狩場にされている貧民区……そこの住人が早死にすることなんて、深く考えるまでもない)


 下がった視界に自分の靴が映り込む。

 口の端が僅かに引かれる。

 何も間違ったことは言っていない。なぜならそれが現実だ。


 ――思うに、これも過ちの一つだった。

 正直なところ、これらは現状に関わりない事象ではある。

 ただ……そう、ちょっとした反省のために、もう少しばかり思い出すことにしようと思う。

 件の大失態を思い出すには、まだ少し準備が足りない。


 家に帰って、食事も終えて。

 さあ、もう寝よう……そう思っていた時だ。

 軽いノックの音が、友人が来たことを告げていた。


「セキヤ? どうしたんですか」


 扉を開けると、想像していた通りセキヤの姿があった。

 穏やかな笑顔を浮かべている彼は、マグカップを一つ持っている。


「少し話をしようと思って。とりあえず……はい」


 差し出されたマグカップを受け取る。

 湯が入っているらしい。ほのかに温かなそれは、手のひらをじんわりと温めた。


「今日のことなんだけど」

「私は謝りませんよ」


 咄嗟に言葉を被せてしまい、目を逸らす。

 マグカップに口をつけると、レモンの風味が口に広がった。


「ああ、自覚はしてくれていたんだね」


 彼は息を吐くように笑った。

 目を向ければ、青い両目がまっすぐに私を見つめている。


「俺もね、分かっていたんだ。きっとあの子達はそう長くは生きられないって」

「なら……」

「事実は口にしちゃいけないときもあるんだよ、ゼロ」


 ひどく優しい声だった。

 私を見る目はどこまでも柔らかくて、まるで子供に言い聞かせるかのようで。

 私はまた目を逸らして、マグカップの中身を一口飲んだ。


「……話はそれだけですか?」

「うん。知っててほしかっただけだよ。俺はゼロの言葉を聞いて、少し……悲しかったから」


 声を詰まらせた私は一気にマグカップの中身を飲み干して、空になったマグカップを押し付けるように返した。


「ただそれだけだよ。おやすみ、ゼロ」


 セキヤはそれ以上何も言わずに部屋を出て行った。

 足音が遠くなってから、深くため息をつく。


(何も言えなかった)


 ベッドに倒れ込んだ私は、天井を見上げてもう一度ため息をつく。

 胸の辺りか、それとも喉の辺りか。燻る何かを呑み込むには、まだ少しかかりそうだった。


 ――それから、どうしたのだったか。

 眠気に身を任せたような気がする。

 沈み込むような感覚の中で、誰かの声を聞いたような声がして。


 まあいい。これについては、然程考える必要もないだろう。

 それよりも……そう、最大の過ちだ。


 時は進む。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 一週間後の朝。

 いつもより早く目が覚めた私は、ポストの確認をするために庭に出ていた。


 最初は確認する必要なんてないと思っていた。

 ただ、商業区からの広告が山のように届くせいでそうも言っていられない。数日目を離しているだけで、ポストから溢れ出しそうになるのだから。


 今日もポストの中身は変わらないはずだった。

 商業区からの広告の束。それから、毒にも薬にもならないような内容の新聞が一部。

 けれども、今日は見慣れないものが一つ紛れ込んでいた。


(手紙……?)


 ガサリと全てを掴み取った時に、ひらりと落ちた薄ピンク色の封筒。ゼロ君へと書かれている、明らかに広告の類ではないであろう物。


(こんな手紙を送ってくる相手なんて……ああ)


 ふわりと漂ってきた花の香りに、一週間前に出会った帽子の女を思い出す。

 あの黒髪の女がつけていたものと同じ香りだった。


(なるほど、あの女か)


 拾おうとしゃがんだところで、二つの疑問が浮かぶ。

 彼女はどうやって名を知ったのか。そして、どうやって住所を特定したのか。

 後をつけられていたとすれば、私が気付かないはずがない。


(あまり使いたくはない。とはいえ、警戒しておくに越したこともないか……)


 ため息をついて、右目を隠す前髪を持ち上げる。

 以前、怪しい薬を塗った手紙を入れて渡してきた相手もいた。

 私はまだ耐性があるからいいとして、セキヤやヴィルトに悪影響が出ないとも限らない。


(前例があるからには……ああ、まったく面倒な)


 閉じていた右目を一瞬だけ開ける。

 瞬間、流れ込んでくる情報の羅列に息が詰まった。

 使う度に思うことがある。いくらなんでも、ただの小石の情報まで視なくてもいいのではないかと。



 中身は三枚の紙だけ。

 本文……は、一度見なかったことにしよう。

 差出人の名前は無い。

 危険物になりそうなものも、無い。

 ついている香りも、一般的な香水と変わりないように思う。


(なんだ、ただの手紙か……いや、尚更不審だ。どうやってポストに入れたっていうんだ)


 何にしても、このまま放置しておくというわけにもいかない。

 封筒を拾い上げ、家に戻る。

 リビングの机に広告類をバサリと置いて、封筒を確認する。

 ハート柄の封蝋が押されたそれは、やはりラブレターというものなのだろう。


(ひとまず開けてみるか)


 袖から取り出したナイフで封筒を開け、中身を取り出す。鑑定眼で視たとおり、三枚の手紙だ。

 最初の数行に目を通した時点で、頭を押さえた。

 書き出しが『背景、愛するゼロ君へ』だ。そこからつらつらと愛の言葉が書き連ねられている。

 とにかく知っている愛の言葉を並べたという印象だった。流し読みしていても頭が痛くなってきそうな代物だった。


(ああ、厄介極まりない……どうしてこうも面倒なことに)


 あの帽子を受け止めてしまったから。

 即座に辿り着いた答えは単純なものだった。天井を見上げ、ため息をつく。もう何度目になるかもわからないため息だ。セキヤが見れば、幸せが逃げるよとでも言うことだろう。

 そう思ったからだろうか。二階から降りてきたセキヤと目が合った。


「お、いつもより早いね。それどうしたの? 手紙?」

「ええ。おそらく一週間前に会った帽子の女からです」

「へえ……」


 セキヤは眉をひそめて手紙を見つめた。

 やはり警戒しているのだろう。あの時、女を見ていた時もこんな目をしていた。


「見せてもらってもいい?」

「どうぞ」


 手紙を受け取った彼は、中身を見るなり眉間の皺を深くした。読み進めていく内に頭を抱えてため息をつく。


「これ、ポストに入ってたんでしょ?」

「そうです」


 机の上の広告を見たセキヤの問いかけに肯定すれば、彼はますます深いため息をついた。


「……あのさ、前から思ってたことなんだけど」

「何ですか?」

「どうしてこう……厄介なのに目をつけられるの?」

「私が美しいからでは?」


 火を見るより明らかな答えだ。

 セキヤもそう思っているのか、だよねと呟いて封筒を見下ろした。


「こっち、少しの間預かっててもいい? 犯人探してくるよ。処理しておかないと、もっと厄介なことになりそう」


 セキヤは三枚の手紙を机に置くと、ヒラヒラと封筒を振った。

 犯人を探すことには私も同意するが、一つ気になることがある。


「一人で行くのですか?」

「俺なら魔力を辿れるし、ヴィルトを一人で置いていくわけにもいかないしさ。それに、もし犯人が直接来てもゼロなら対応できるでしょ?」


 そう言って、彼はへらりと笑った。

 たしかにセキヤなら封筒に残留した魔力を追って、あの女を探すこともできるだろう。


 魔力は万物を構成する物質だ。六つの属性に分かれるそれらは、複雑に組み合わさることで形を成す。

 属性の方向性があるとはいえ、生物はそれぞれ固有の魔力を持っていると言える。


(セキヤは魔力を見分ける力が私よりも高い。私が直接出れば、向こうから来るかもしれませんが……)


 それでも、せっかく彼から申し出てくれたのだ。

 それに正直あの女とはあまり関わりたいと思えない。


「分かりました。貴方も気をつけて」

「勿論。それじゃ行ってくるね。今日の朝食はよろしく。そうすぐには見つからないだろうから、俺のはなくていいよ」

「分かりました。犯人がここに来たらどうしますか?」


 セキヤは少し考えた後、人差し指を立てる。


「生捕りで。縄で縛るなりなんなりしておいて」

「分かりました」

「じゃ、行ってきます」


 セキヤはひらひらと手を振って出ていった。

 机の上の広告類は一度隅にまとめておいて、朝食の準備をすることにした。


 カリカリに焼いたベーコンと卵、レタスを挟んだサンドイッチ。簡単ながらも満足感がある一品に仕上がったと思う。

 出来上がったサンドイッチを机に並べ始めたところで、まだ眠たそうなヴィルトが二階から降りてきた。


「おはようございます。朝食はできていますよ」

『おはよう』


 眠気がそのまま表れたような文字で書かれたスケッチブックを持ち上げたヴィルトは、吸い込まれるように洗面所に入って行った。


「……ということですので、今日は家からでません」


 ヴィルトと朝食を済ませた後、手紙のことを伝えた。

 食後の紅茶を飲んだヴィルトは、マフラーを引き上げて口元を隠すと、心配そうな顔で頷いた。


 ヴィルトの口元……その左側には黒い模様がある。

 蛇のようにも見えるそれが何なのか。ヴィルトはあまりこの模様について触れたがらず、話を聞いたことはない。

 何も隠すことはないのに。そう思いながら紅茶を口にする。

 セキヤもヴィルトの心を尊重する方向性のようで、あまり深くは聞いていない。

 私としても、気になりはするもののヴィルトを傷つけてまで聞きたいわけでもなかった。


「今日は……折角ですし、勉強でもしますか。共通語の読み書きはもう充分ですから、次は魔力について教えてあげますよ」


 こくりと頷いたヴィルトは二階に上がって行った。

 自室へノートを取りに行ったのだろう。普段使いのスケッチブックとは別の、勉強用に用意したものだ。


 この町でヴィルトと出会ってから、度々こうして勉強を教えている。飲み込みの早い彼は何を教えてもスポンジのように吸収して、教える側としても少し面白い。

 危機感を持つこともすんなり覚えてくれればと思うこともある。



 火、水、風、土、光、闇といった六属性について。そして、時には命に関わることにもなる魔力濃度について。

 ヴィルトに魔力について教えていると、あっという間に時間が経っていた。


(そろそろ昼食の準備をした方がいいか)


 何を作ろうか。メニューについて考え始めたところで、玄関のドアがノックされた。


『セキヤ?』


 玄関の方を見ながらスケッチブックを見せてくるヴィルトに、首を振って答える。


「それにしては早いです。運が良かったとしても……そもそも彼は鍵を持っているはずですから」


 そう言っている間にもノックは続いている。

 繰り返し、淡々と鳴り続ける音。ヴィルトは肩を上げ、すっかり怯えている様子だ。


(このまま放っておいても止みそうにない。仕方ないか)


 立ち上がり、玄関に向かおうとすると袖を掴まれた。

 見上げてくるヴィルトの顔は怯えながらも心配するもので、私はそっと手を離させながら言葉を探す。


「心配せずとも大丈夫です。私がそう簡単にやられるわけがないでしょう? 貴方はここで待っていてください」


 ヴィルトは少し迷った後に頷いた。

 ノックが続く中、ドアの前に立つ。


「今出ますので」


 そう口に出せば、鳴り続けていたノックが止んだ。鍵を開けて扉を開くと、予想通り一週間前の女が立っていた。

 長い前髪を下ろし、私と同じように右目を隠している。風が薄紫のワンピースを揺らすと、花の蜜を煮詰めたような甘い香りが漂った。


「やっと……やっと会えたね、ゼロ君」


 女はうっとりと紫の目を細めて微笑んでいた。

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