29、もっと良い人間になりたかった

「にゃあー」

 

 足音も忍びやかに、看板猫のミケがついてくる。

 こっちだよと教えてくれるように曲がり角を曲がるので、桜子はついていった。

  

(あ……いた)

  

 咲花は執事と一緒に『茂助もすけ団子』というお店の外側に置かれた長椅子に座って串団子を注文しようとしていた。長椅子は赤い布が敷かれていて、大きな野点傘が日差しからお客さんを守ってくれる。


「クビよっ、あんなライター、もうクビ、クビッ!」

 ――お怒りである。

  

(よかった。車や馬車に乗って帰ってしまっていなくて)

 桜子は胸をなでおろし、小走りで二人に近付いて頭を下げた。


「あの、あの……先ほどは申し訳ございませんでした」

「あなたは? 先ほどとは?」

 

 咲花は、店にいた桜子のことは眼中になかった様子であった。執事が「お店の店員さんですよ、お嬢様」と耳打ちしている。

 

「ああ、お店の店員さんですわね。いかがなさったの。あたくしのファンなの? サインがほしいとか……? 仕方ありませんわね、してあげてもよろしくてよ、おほほ」


 咲花の執事が心得た様子でペンを差し出し、それを受け取った咲花が「どこにサインしてほしいんですのっ」と問いかけるので、桜子はあわてて首を横に振った。

 

「誤解を招いてしまいまして、すみません。サインがほしいのではなくて、京也様の件です」

「むっ。あのばかゴーストライターがなんですの」

「あの、あの……京也様は今、原稿を依頼通りに書き直していらっしゃいます。私は桜子と申しまして、昨夜、困っているところを京也様に偶然助けていただいたのです。でも、おそらくその影響で原稿があのように……」

 

 桜子は視線を持ってきた原稿に落とした。咲花は「まあ、そうなの」と声を返してくる。

 

「京也さんったら、可愛いあなたに懸想けそうして暴走しちゃったってわけね。そう考えると可愛げがあるけれど、甘いことを言われて信じてはだめよ。男性は都合のいいことを言って他の女性を囲っていたりするものですからね」

 

 咲花の自信にあふれたお姉さんぶった声を聞いていると、「確かに」と思ってしまったりもする。だって、京也は極上の容姿で、とうとき天狗皇族なのだから。エロティックとか、恋愛に詳しそうなことも言っていたし。


「そ……そうかもしれません」

 

 桜子が表情を曇らせると、咲花は「ああ、そんなに深刻に受け止めなくて結構よ」と視線を足元に落とした。

 

「ごめんあそばせ。あたくし、性格が悪いの。素行もよろしくないわ。悪いお姉さまに騙されちゃ、だめよ」

 

 自嘲気味に笑う咲花は、痛々しい感じがする。桜子はその表情を見て、黙っていられない気分になった。

 

「ええと、私は自分の性格が良い、と言える気がしません。自分がそうなので、自分の性格が立派だと迷いなく言われるより、悪いとおっしゃられた方が共感できます」

 

 そっと言えば、咲花は「そう」と吐息で空気を震わせた。


「……あたくし、もっと良い人間になりたかった」

「わ、私もです」


 視線が絡み合う。桜子は、咲花が自分と同じような心を持った人間であることを強く意識した。

  

「京也様は頑張ってお仕事を完遂してくださると、私は信じています。ですから、納品を待っていただけませんでしょうか」

 

 必死に言えば、咲花は「納品してくださるなら、受け取りましょうか」と返事をしてくれた。けれど、その様子はちょっとおかしい。 

 

「京也さんの原稿がいただけるなら、あたくし、助かりますわ……でも……」


 執事は二人の様子を見て話が長くなりそうだと思ったらしく、お団子を追加で注文してくれた。醤油、つぶ餡、こし餡の串団子が載ったお皿が長椅子に置かれる。

 

「あ、ありがとうございます」

「もしよろしければ、お隣へどうぞ」

 

 咲花は串団子をつまみ、長椅子の自分の隣を示した。赤い布で覆われた長椅子に座ると、店の前で桜の木が風に枝花を揺らしている。風情のある景観だ。

 

「桜子さん、でしたかしら。ねえ、あなたは文学をたしなまれて?」

 

 花の香りを含む風に頬を撫でられながら、桜子は「学校で習う程度です」と返事をした。

 

「あなたは、本を読むのがすき……?」

 

 言い方を変えて尋ねてくる咲花は、さながら迷子のよう。桜子は「はい」と答えながら、羅道らどうの言葉を思い出した。

 

『人間の感性は理解に苦しむよ』

 

二世乃にせの咲花さっか先生は、『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』について「どう思うか」と聞きたいのではないかしら)

 桜子はそう思った。

  

 あの本は、面白かった。登場人物にも魅力があった。桜子は自分の髪を留める髪飾りに触れた。犬彦がくれた髪飾りだ。それに、もみじがいる。

 犬彦ももみじもあやかし族だ。でも、『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』に出てくるあやかし族たちのように、桜子にとっては親しみが湧いていて、安心できる存在になっている。

 

「二世乃咲花先生。私、先生の『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』を読みました……途中までですけど」

「まあ! ありがとう!」

  

 咲花は嬉しそうな顔をした。

 

「私、ヒロインの勇気や、やさしさに憧れました」

 するりと自分の中から言葉が出てくる。

「ヒロインの友達がピアノを弾けと言われて、失敗する場面です。ヒロインが隣に座って、一緒に弾き始めるところ……」


「そう、そうなのね。その場面は、あたくしが自分で考えた部分ですの!」

 

 咲花は桜子の手を握り、ぶんぶんと上下に揺らした。

 

「そのあと、妖狐の将校さんが言うんです。贈り物をしたり、お礼を言ったり、手を差し伸べたり。人間たちが同族を思いやる気持ちは美しい。誰かのために行動する人間は魅力的だ、って。……そう言いながら、ヒロインに髪飾りを贈るのですよね」


 もみじが桜子にしか聞こえないくらいの小声で問いかける。

 

「かみかざり、いぬひこの……。あるじさま、さんかくかんけい?」

「ち、ちがいます……本のお話をしているの」

 桜子はあわてて否定した。


 もみじに気づくことなく、咲花は思慮深い瞳をしている。

 

「そこのセリフはあたくしが考えた部分ではありません。でも、あたくしは気に入っています。……あたくしが考えた部分も好きだけど、それだけでは『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』は今よりもずっとつまらなかったと思うのよ」


 声は、ちょっぴりお姉さんな雰囲気だ。

 ああ、咲花は同じようでいて、自分と違う世界を知っているお姉さんだ。自分の知らない苦しみを、価値観を持っている人だ。


「あたくしの作品は、あたくし以外の人たちが考えてくださったり技術を尽くしてくださったおかげで、ひとりで創るよりもずっと魅力的になって、みんなに愛されるようになれたと思うの」

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