16、自分のできることをなにかしたい

 洋間部分にある西洋風の猫脚テーブルの周りに補助テーブルが用意されて、二人分の洋食が運ばれる。

 

「暴走してすまない。いただこうか」

「いえ……あ、京也さまの大切な原稿が落ちています」


 桜子は床に散らばった原稿用紙を拾い上げ、目に飛び込んできた文章に固まった。

 

 原稿用紙には、衝撃的な文章がつづられていた。

 

 * * *


『桜子という少女は十六歳。

 華奢なからだは、力をこめれば容易に折れてしまいそうで、枝にかよわく揺れる咲く直前のつぼみに似ている。

 あの花の咲くさまを見届けたい、見守りたい。守らねばならぬ。俺は崇高なる使命感を抱き、神聖なる花のもとにはべるのである。

 

 ああ、彼女には触れて汚すのが躊躇ためらわれてしまう清らかな感がある。

 その清らかなる柔肌に、この手で触れたい。汚したい――

 侍るうち、そんな恐ろしい欲が身のうちに湧いて、俺の内側でたかぶり、暴れるようになる。

 

 だが、安心してほしい。俺は決して俺という暴君に、そのような暴挙を許さぬ。

 そう、俺の最大の敵は、俺自身なのだ。

 

 はーっ、今日も俺はそんな彼女を微妙きわまりない距離にてもどかしく見守っている。この距離を飛び越える無神経で厚かましい誰か他の男に手折られやしないか、もう心配でたまらぬ。

 なにせ、花は美しい! しかも、これからどんどん美しさが増すのだそうな。

 男心をくすぐる無垢なる乙女である桜子は、虐げられた生い立ちが不憫で、働く姿は健気である。そんな美少女が、それ以上美しくなってどうするの。ああ、しんどい。結婚しよう。

 

 男ならば誰でもそのいたいけな体を情熱的に抱き(以下数行、黒塗りされていて読めない)全世界に声高く宣言したい。俺の嫁だと』


 * * *


(……えぇっ)

 桜子と書いてある。

(これは、私?)

 

 桜子は困惑し、見なかったことにしようとして原稿から顔を上げた。すると、この原稿を書いた本人と思われる京也は悪びれる様子も照れる様子もなく、「これはきみだ‼」と言うではないか。

 

「桜子さん、驚いただろう。きみへの想いが高まって、手を動かさずにいられなかった……」


 そして、桜子の手を取って指先に優雅にキスをした。

 

(――……きゃぁ!)

 触れられた指先がじぃんと熱っぽくなって、頬が紅潮する。

 

 京也は形のよい唇に三日月めいた笑みを浮かべた。

 

「他のなにも手につかなくなってしまったので、締め切り間近な原稿はこれを出そうと思う」

「ど、どういうことです……っ?」


 とんでもないことを言っているように思える。桜子は焦った。しかも、整った顔が近づいてくる。鼻と鼻が触れ合いそうな近さで、うっとりとささやかれる。


「うむ。つまり、きみをモデルにした登場人物を小説に登場……ぐっ?」

  

 声が途切れたのは、犬彦が大声をあげて後ろから京也の羽を引っ張ったからだ。


「失礼! 京也様、また変なことをやらかしかけていますよ、その先はおやめください、まだ間に合います。お相手がどん引きしてしまいますから!」

 

 京也に忠言を述べる犬彦は、親しさを感じさせる距離感だ。

 

「ああ、すまない。興奮しすぎていた……」

「い、いえ」

「そうそう! 桜子さんは、十六歳の誕生日だったのだろう? 洋風ケヱキとご馳走を用意したんだ。俺は気に入っているのだが、雨水家では洋風ケヱキが食卓に出たこと、あったかい?」


 おめでとう、と言われて、桜子は驚いた。

 誕生日を祝ってもらうなんて、それもとても珍しい洋風ケーキをいただけるなんて、雨水家ではなかったことだった。

  

「ありがとうございます……あの、見たことならありましたが、味見したことはありません」

「そうか、そうか」


 ろうそくを立てた可愛らしい見た目のケヱキには、砂糖菓子製のお人形が二体、寄り添って飾られていた。

 片方のお人形は羽が生えた羽織袴姿の新郎で、もう片方のお人形は白無垢姿の新婦だ。


「かわゆいだろう。これはきみと俺なのだ。さあ、俺を食べてくれ!」

「た、食べるのですか? なんだか、もったいない……」

 

 ためらいつつ、食べてみると、ケヱキも砂糖菓子も甘々で――美味しい!

 なによりも誰かがお祝いしてくれるというのが嬉しくて、桜子は幸せな気持ちになった。

  

 食事を済ませたあと、京也は「一緒に食事ができてよかった」と微笑んだ。

 

「本日も、このあとはまた医者に体調を診てもらって体をいたわってほしい。必要なものや希望することがあったら、なんでも言ってくれ」


 その言葉に、桜子ははっとした。


「……ほんとうに、なんでも言っていいのですか?」

「なにかあるのかっ? どんどん言ってくれ」


 食い気味に身を乗り出す京也へと、桜子は頼んだ。自然と両手が組み合わさって、祈るようなポーズになる。神様、仏様、京也様だ。


「雨水家で働いていた際に、よくしてくださる女性がいたのです……キヨさん、というのですが」

 

 キヨのことを思い出して言えば、京也はこころよく「キヨを引き取る」と約束をしてくれた。


「それと、お願いばかりですみませんが、お掃除や洗濯などのお仕事を手伝わせていただきたいのです。お皿洗いやお風呂掃除、炊事のお手伝いもできます」


 自分のできることをなにかしたい。そんな熱意を全力で声にこめれば、京也は目を驚いた様子で瞬きをした。


「桜子さんのおねだりは、なんというか……健気だな。高価な贈り物がほしいとか、そういうおねだりはしないのだな。よし、わかった。無理のない範囲で、好きなようにしてほしい」

 

 部屋から出て行く京也は、嬉しそうに宣言した。


「『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』には、こんな展開が必要だと思っていたんだ――増やそう、不憫で可愛くて健気なニューヒロイン!」

 

 犬彦はその後ろに続き、「そんな私情でヒロインを増やしたら怒られますよ」と残念そうに呟いていた。

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