二章、運命の番

13、俺のことを好きになってもらいたい


 ――見つけた、見つけた。俺の運命。

 

 満天の星が煌めく夜。

 翼を力強くはばたかせ、帝都の上空を飛翔しながら、京也は羽扇うせんを振り続けた。

 

 浮かれた気持ちが抑えられず、じっとしていられない。

 

 天狗族は、あやかし族の中でも強い霊力を誇る一族だ。

 特徴は、人間とよく似た外見をしている点。紫水晶アメシストに似た美しい瞳をしている点。大きな羽が背に生えている点。そして、その羽が出し入れできる点だ。

 

 空から見下ろす帝都は電気の光があちらこちらで輝いていて、宝石箱のようだった。

 大通りに面した道路にはアーク灯が淡紫色の光を魅せている。

 商店街では球形の電球が花のように連なる洒落たデザインのすずらん灯が道の両側から光の粒を垂らしている。

 居酒屋、帽子屋、煙草屋、薬屋、警察署。菓子店に電気店、小間物店、下駄履物店……縁に丸い小粒電球をぐるりと設置した電飾看板は、明るいネオンカラーの光を放って街景色をカラフルに彩っていた。

 

 商店街を北東に過ぎれば、和洋折衷のデザインの石造の橋が見えてくる。

 橋の上を灯りを揺らした人力車や歩行者が通っていく。橋の下には、行き交う小船の明かりも見える。

 京橋にも似た建築があったが、屋上に円形ドームの塔屋のある建物は、日本橋三越本店だ。有名な建築家により手掛けられた建物はいつ見ても壮観で、京也の頭には「あの店でデヱトをしたら」という夢が広がった。


「ああ……っ、帝都は今宵も美しい。デヱトしよう」


 頬を紅潮させた京也は、熱い想いを持て余して空中でくるりと一回転した。

 

 ひゅるりと風が巻き、ひらり、はらりと、なにもない空間から花びらが生じる。京也の霊力が創り出したのだ。


 霊力の塊である花びらは、雪のように帝都に降り注ぐ。

 そして、電気の明かりで照らしきれない暗がりから這いずり出ようとしていた魔性の生き物――ものに向かっていく。


「ぎゃっ」

 カエルを潰したような声がして、物の怪が闇に還る。


「くく……」

 

 機嫌よく、京也の喉が鳴る。言い放つ声には凛とした王者の威厳と、若干の暴走感があった。

 

「還るがいい! 俺の嫁が生きる世界に、人間に害をなす物の怪はいらん!」

 

 この世には、人間たちの知らない闇がある。

 闇に住まう魔性の生き物たちは、闇の中から出てきて人を襲うことがある。

 

 まだあやかし族が人々の前に姿を現さなかった時代は、陰陽師や魔祓い承仕師と呼ばれた人間の術者たちが、そんな魔性の生き物を退治していた。

 

 あやかし族が支配する現代では、陰陽師や魔祓い承仕師はどんどん少なくなっている。

 するとどうなるかというと、魔性の生き物たちの怪異があちらこちらで頻発し、人間たちが狩られたりするようになったのである。

 『君臨するからには面倒をみてやる』という気質のあやかし族は、そんな状況を受けて、人知れず夜を守り、人間たちに害を成す魔性の生き物を退治しているのだ。


「おっと、霊力があり余って、また桜を咲かせてしまった……あちらでは藤が……」


 滾々こんこんと花が湧いて、止まらない。

 抑えようとしても、抑えられない。


 これはもう、仕方ない。心が春満開だから!

 京也は高揚する気持ちを持て余し、飛翔速度をあげた。


 あやかし族の中には、生涯の伴侶が運命で定められている種族がある。『運命のつがい』というのだ。

 天狗皇族は、その中でも特殊で、人間を『運命の番』とする種族だ。

 

 京也は幼いころから、『運命の番』について教えられてきた。


 『運命の番』を見つけられる者と見つけられない者は、およそ半々の割合らしい。


 見つけられた者は『運命の番』の近くにいるだけで霊力が増し、番ともども寿命が三倍にも伸びる。今の京也だ。幸せだ!

 見つけられない者は、政略結婚などで妥協して伴侶を持つ者と、生涯あきらめられずに『運命の番』を探し続ける者とに分かれる。

 どちらも、胸にぽっかりと穴があいたように満たされない想いがつきまとい、短命なのだという。ああ、不幸!


 父である天狗帝は、運命の番に出会うときは、すぐにわかると言っていた。

 

 その言葉のとおり、京也は運命に出会った。

 京也が九歳のとき――桜子が三歳のときだ。桜子の側はその出会いを認識していない、京也だけが知っている一方的な出会いだった。

 それも、ほんの数秒。


 けれど、九歳の京也はその数秒で、わずか三歳の桜子が自分の『運命の番』だとわかった。


 そして、名前も知らない彼女をずっと、探していたのだ。

 

 見つけたらなんて挨拶しよう。

 俺のことを好きになってもらえるだろうか。

 どんな風に接したら、好きになってもらえるだろうか。

 

 期待やときめき、幸せな気分でいっぱいだった胸が、時間とともに不安に浸食されていく。

 

 彼女は、ほんとうに実在する人間なのだろうか。

 思えば、ほんの数秒しか見ていない。自分以外に、彼女を見た者もいないのだ。

 実在したとして、なにかの事故があって亡くなっていたりしないだろうか。

 生きているとしても、誰か別の男と恋をしていたりしないだろうか。

 

 焦燥が高まり、必死に探す。けれど、見つからない。

 ――そして、十三年もの月日が経ってしまった。


 京也は父親である天狗帝の補佐をして、次期帝として政務をする傍らで、空いた時間を見つけては空を飛び、地上を歩き、運命の番を探し続けていた。その過程で実業家を支援したり、小説の書けない作家と知り合ったりして、皇族の仕事以外にも会社経営に携わったり、ゴーストライターをするようになったりもしたのだが。


 その甲斐あってか、見つけたのだ。ついに――桜子を。


「っはは、あはは!」

 

 ひゅるり、くるりと疾風になったように夜空を翔けて、皇居の上空に舞い戻る。そういえば、明日の午後には保有している会社の経営会議が予定されているのだった。

 『ゴーストライター』の仕事の締め切りも近いのだ。そちらは半ば趣味でやっているような仕事であるが。


 建物の側面をふわふわと飛んで、彼女の部屋の外をうろうろして。

 窓にはカーテンがかかっていて中が見えないけれど、その向こうで彼女が眠っていると思うと、たまらなく幸せな気分が湧いて来る。


 このまま中に入って、添い寝したらだめだろうか。

 だめなのだろうな。嫌われてしまうだろうな。


「俺は桜子さんに嫌われたくない。俺のことを好きになってもらいたい」


 窓にぺたりと手をついて、京也はうんうんとひとりで唸った。

 

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