9、主人はきみだ

「これ、きっと、夢ですね? ふしぎな夢」

「楽しい夢かな?」

「びっくりしてばかりで、楽しいかどうかは……」

「それは大変だ。どうしたら楽しくなるだろう」

  

 京也は真剣に悩む顔になっている。

 その整った顔の向こう側で、車窓の景色が移動速度に合わせて動いている様子は、現実感があった。

 

 帝都の道路には、車と馬車と人力車、自転車が乗り物として行き来している。

 通行人は、和装の人と洋装の人が半々くらいの割合だ。島国であるこの国は、あやかし族の支配のもと、古きよき文化を守りつつ、外来文化も積極的に取り入れている。


 そんな夜景が、移動するにつれて変化する。

 屋台や小売店が賑やかな繁華街地区を通り、富裕層が集まる洋風建物地区を過ぎて、やがて静かな地区にたどり着く。

 季節外れの藤棚が見えて目を奪われていると、馬車が停まった。目的地に到着したようだった。

 

「お待たせいたしましたッ、殿下ッ、到着いたしましたぞッ!」

 

 うしまると呼ばれていた白髪の従者が報告する場所を見て、桜子は眩暈めまいを起こしそうになった。

 

 美しい庭園と広大な敷地が広がる、高貴な身分の方々が住まう場所。

 門から扉へと続く道のりに並んで頭を垂れるのは、角や獣耳を生やしたあやかし族ばかり。

 

 ――そこは、本当に天狗の一族の住む皇宮だった。


「お帰りなさいませ、京也きょうや殿下」

「うむ。ただいま」

「殿下。そちらの女学生は……」

 

 出迎えのあやかし族が桜子を気にかけている。桜子は身を固くした。自分がふさわしい場所ではない。場違いである――そんな自覚があった。

 なのに。

 

「桜子さんだ。俺の嫁である」

「な、なんですと⁉︎ その方はどういったご身分の方です⁉︎ 事情を詳しくご説明願いたいですが……⁉︎」

「売られかけていたので買った」

 

(やっぱり買ったんじゃないですか! それに、後をつけられていたとは……⁉︎)

 桜子は思わず声をあげそうになって、こらえた。

 

「殿下、人間を買うなど下品でございます」

「あ、いや。結納金をおさめてきたのだ」


 京也は言い訳するように言って、京也は桜子を見た。


「そういえば、俺は桜子さんのことを深く知らぬ。桜子さんも俺のことを知らぬだろう。あらためて俺は自己紹介をしよう。お互いのことを知るのは、大事だからな」


 門の先には、自然の風情がある和風庭園が広がっている。

 幻想的なのは、足元に半透明の魚が群れてすいーっと回遊しているところだ。水もない空中に魚の群れが泳いでいるなんて、ここはほんとうに現実世界なのだろうか。


 左右で緑がさやさやと揺れていて、葉っぱのこすれる音と虫の鳴き声が耳に心地よい。京也は桜子を抱っこしたまま、ずんずんと敷地内を進んでいく。

 

(この方は、他者がなんと思っても、なにを言っても、あまり気にしないタイプなのかも。周囲のあやかし族も、いつものことって顔をしているし)

 

 京也は桜子の考えを裏付けるようにマイペースに名を名乗った。

 

「俺は春告宮はるつげのみや京也。見ての通りの高貴な美青年である。自分で言うのもなんだが、伴侶にするには良い相手ではないだろうか。世の乙女の夢と理想を具現化したスーパーダーリンであると自負している」

 

「すーぱーだーりん、……ですか」

 

 流行小説に出てくる単語だ。世の乙女の夢と理想の男性、というニュアンスである。

 桜子が考えを巡らせていると、くすくす、と忍び笑いする気配がして、耳元で小さな子どもの声がする。


「きょうやさま、何回もセリフをれんしゅうしてた!」

 

 先ほどの紅葉だ。葉っぱの体を揺らしている。

 

 よく見ると、葉っぱには目と口があった。子どもがクレヨンでラクガキしたみたいな、丸くて黒い点みたいな目と、にっこりと弧を描く線状の口だ。それが、動く絵みたいに瞬きしたり、しゃべってるように口が動く。ふしぎだ。それに、可愛い。あと、何回もセリフを練習とは?


(セリフって、あれ? あのときの? それとも、あのあと? どのセリフ……? まさか全部?)

 

 確かに劇や芝居のようだと思ったけれど。

 京也が練習している姿を想像して、桜子は恐れ多くも微笑ましく思ってしまった。

 

「……もみじ、さん?」

「あいっ! もみじ、しきがみ」

 

 しきがみ、というのは本で読んだことがある。人間の陰陽師やあやかし族が使役する存在だ。

 

「もみじ、さんはいらないの。およめさまに、おつかえするの」

 

 もみじは恥ずかしがるようにぷるぷる震えながら言って、肩のあたりにちょこんと居座る。

 

(およめさま、とは私のこと?)

 桜子はもみじの言葉にふわふわと頬を染めた。


「そいつはお守りかペットか何かだと思って気にしないでくれたまえ。主人はきみだ」

  

 京也はそう言って、桜子を横抱きにして赤い欄干の橋を意気揚々と渡る。


(私が、主人?)

 桜子にとって、もみじとの関係性は新鮮だった。

 

 赤い欄干の橋の上に一歩進んだ瞬間には、ポンッと虚空からピンクの花びらが湧いて、ひらひらと橋の下の池に降りていった。

 池には、淡く光る鱗の鯉がゆったり泳いでいるのが見えた。


 橋の先にある立派な和風建築は、赤や黄色、橙色の明るい光をたくさん輝かせていた。中に入り、渡り廊下を歩いているときには、虹色のしゃぼん玉が周囲にふわふわ漂っていた。

 

 もう、こんな場所、夢の世界だとしか思えない。

 ぼんやりと周囲に見惚れていると、京也は格式高い雰囲気の和室へと桜子を案内した。

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