第10話 信頼してくれる君と応えられない私

「弾きたくないって言ったのに!」

 放課後、クラスメイトのみんなはとりあえずCDの音源を使って練習している。そこから少し離れて指揮の練習をしている山石君に早速不満をぶつけてみるも、山石君は特に謝る様子もなければ気に病む様子もない。

「そんなこと言ってたっけ?伴奏くらいならブランクあっても弾けるってところしか覚えてないや。」

「……人の気も知らないで。ご都合のよろしい頭をなさってるんですね!」

「ありがとう。頭がいいって褒められたのは久しぶりだなぁ。」

「褒めてないんだけど!」

 暖簾に腕押し、馬の耳に念仏、ぬかに釘…何を言ってものらりくらりとした返事しか返ってこない。全然気が済まないけど、伴奏の練習もあるから山石君ごときに構ってあげるのもこのくらいにしておく。

「森野さんなら大丈夫。僕が保証するよ。」

 用意された楽譜に向かって運指の練習を始めようとした時、後ろから山石君の声が聞こえた。何の根拠があって言ってるのか知らないけど、そんな信頼されたら応えてあげたい気持ちにはなってくる。まぁ、無視するけど。

 机の上で楽譜に沿って指を動かしてみたが、このくらいの簡単さなら問題なさそうだ。

「さすが!もう弾けそうだね。」

「このくらいならね。でも、人前で弾くのはまだ……」

「みんなで1回通してみようか!」

「ちょっと待ってってば!まだ弾けるか分かんないのに!」

 どこからともなく文化委員がキーボードを持ってくる。

「大丈夫。森野さんならきっと大丈夫だから。」

 弾けないなんて全く思ってませんと言わんばかりのいつものキラキラの笑顔で、自信たっぷりに言い切る。最近笑っておけば許されるって思ってる節があるなぁ。いつか痛い目に遭わせてやりたい。

「それじゃあ、入りのところから…」

 そう言って山石君が手を振って指揮を始める。指揮の動きを見てクラスメイトも歌い出す。その発声に合わせてキーボードを弾こうとするも……人前だからか、突然で緊張したせいか、指が動かない。さっきまで箸を使うよりも自然に指が動いていたのに、いざとなると指に鉄の棒でも入れられてるかのように動かなくなってしまった。

 伴奏がないまま歌い出したものの、音がついてこないことに気づいた人たちが歌うのをやめ、歌声が途切れてしまった。心配や疑問、不満など様々な感情を混ぜ合わせた小さなざわめきが教室を満たす。目線を上げられない。また不満や愚痴にさらされるのか。かつての記憶が蘇りそうになる。

「ごめんごめん、まだ伴奏とのタイミングとか全然合わせてなかったんだった。早く全体練習をしてみたくってすっ飛ばしちゃった。タイミングの確認終わるまでまたパート練に戻ってもらってていい?」

 山石君の一声のおかげでクラスメイトの不満の矛先は山石君に向かい、一通り山石君をいじった後でみんなは元通り各パートの練習に散らばっていった。

「無理させちゃったね、ごめん。この前の森野さんのピアノは、森野さんとピアノが一体になってるような感じがして、もうきっと大丈夫だと思ったんだ。」

「うん……でもダメだった。私の指じゃないみたい……頭の中ではイメージできてるし、鍵盤の上じゃなかったら指だって動くのに……」

 油断すると目に溜まったものがあふれ出してしまいそうだった。

「森野さん、顔を上げて……やっと目が合った。森野さんなら大丈夫。ここには誰も責める人なんていないんだから。もし責められるとしたら森野さんを巻き込んだ僕だろうしね。」

 またあの笑顔だ。どうして自分のことでもないのにこんなに自信満々に大丈夫って言えるんだろう。

「何でそんなに簡単に大丈夫って言うの?」

 つい心の声が漏れ出てしまった。

「うーん……きっと僕は森野さんのファンになっちゃったんだね。あの音楽室のピアノで一発で心を持ってかれちゃって。こんな演奏できる人はピアノから離れられるわけない、ちょっとしたきっかけですぐに元通りに弾けるはずって。でも、焦りすぎてたかも。本当に無理だったら代わってもらうから言ってね。」

 知らなかった。私のピアノをそんな風に見て聴いてくれてたなんて。

 ピアノを弾けてた頃は周りの評価なんて気にしたことがなかった。ピアノと自分。それだけだと思ってた。けど、そんなわけないんだよね。応援してくれてる人もいれば、手伝ってくれる人もいる。何よりも…こうやって聴いてくれる人がいるんだ。こんな初歩的なことをどうして忘れてたんだろう。私は、私の奏でる楽しい音をたくさんの人に聴いてもらいたくてピアノを弾いてたんだった。そのことを久しぶりに思い出した気がした。

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