第26話

「大変なことになったよ!」

 一階と似たような二階の廊下を走っていたところ、電話がかかってきた。

 そういえば取り上げられていなかったな、と球磨川さんも詰めが甘いな――いや発信機でも付けられて尾行できるようにしているのか。良からぬ妄想をしながら通話に出ると、日乃実さんの叫びが聞こえてきた。

「どうしたんですか!?まさかヒーロー部に捕まって、」

「いやそっちは順調!というかもう逃げられる手筈は整った、ヒーロー部は跡形もないよ!!」

 跡形もない?倒すとか撤退させたとかじゃなく、表現が気掛かりだったがひとまずスルー。

「けど順調すぎたのが問題でね!」

 爆発音。

 次いで風圧。

 伸ばしていた黒髪が吹きすさぶ風でぶわりと揺れた。

 聞こえてきた方向はホールの入り口、二人がまだ戦っているはず。

 戦闘中の攻撃にしては音が大きすぎる――あれは決着の音、エントランス全体を巻き込み崩れる破壊音だ。

 青ざめた顔で振り向く。

 風に乗って足元まで広がる土埃とちらちらと赤く燃える灰色の煙のせいでよく見えない。

「駄目だよ」

 日乃実さんは冷ややかな声で制止した。

「そっちには行っちゃいけない。絶対に後悔する、こんな形で君たちは出会っちゃいけない」

「この向こうに誰かいるんですか」

 彼女は答えない。

「私はてっきり協力関係を結べると、敵対関係であっても敵の敵くらいのポジションが確立できると思った。けど違った、考えてみればそうなんだ。身内が裏社会に関係したから危険にさらされた。だったらその関係を断てばいい……とにかく逃げて!罵倒は後でいくらでも受けるから」

 彼女の口調は心底申し訳なさそうで、それでいて諦めもあった。

 万策尽きたと、戦術特化と豪語した日乃実さんが詰みと判断するような状況に固唾を呑む。

 その間、茶と灰の煙が混じり合う廊下の中から一つの黒い影が浮かび上がった。

 僕は部長の言葉を聞き流し、呆然と影を見ていた。

 声にも出さず、棒立ちで、影の到来を待ち望むように。

「丸ちゃん、お兄さんに殺されるぞ」

 黒い影が右手を振ると、混合する煙は勢い良く流動し、振り払われる。

 影の周囲は一気に晴れて、輪郭しか見えなかった存在は装飾の多い灯りに照らされ、詳細な実像を伴う。

 白いファー付きの黒のロングコート、黒いスーツに白いネクタイ。

 季節外れなモノトーンで固めたその男の目の下には酷いクマがあり、格好のわりに身長は低い。多分百七十センチ。

 特徴的なのは両手をびっしりと埋め尽くす書き込み。そこには裏社会に関する、死亡時に消える記憶がメモされていた。

「兄さん……?」

 最後に見たのは中学一年生のときで、いまから三年前のこと。

 優しく穏やかな目つきをして、弱い者いじめを何より嫌い、人助けを至上とした、憧れの人。

 文武両道、大人からの信頼が厚く、喧嘩に常勝し、ボードゲームは僕より弱い罰兄さんがそこにいた。

 こんな恐ろしい学校に入学した理由は兄さんが全てだ。

 行方不明になり、生死が不明と判断されたから七年で死亡扱いとなる……それより先に、もし生きているなら会って、話してみたかった。

 僕の知る兄さんとはまるで容姿が違うけれど、面影はある。

 些細で微々たる共通点、形容するのは難しく、家族だから気付けるような違和感の奥底にある親近感が、彼は兄本人であると訴えかけている。


 けれどあの煙の中から出てきたということは、爆発は兄さんが引き起こしたということ。


 彼はぐんと身をかがめて、足に力を込めた。

 床を破壊せんと踏み込んだ筋肉が開放されたとき、兄さんは床に平行に飛び込み、肉薄する。

 脂汗が全身の毛穴から吹き出し、対話どころではないと気付くが――もう遅い。

 一歩退く。

 沈んだ黒目は十数センチの距離の違いを見逃さない。射程距離を伸ばして、足を伸ばして、横腹に蹴りを入れた。

 内臓がひっくり返るような痛み。あばら骨から聞きたくない音がした。

 足に支えられてるようなバレットタイム。

 体の内側が押し潰されて、高速で壁に叩きつけられる。

「がはっ!」

 視界は暗転した。口を閉じる余裕もなく涎を垂れ流し、腹部を庇うように四つん這いになる。

 呼吸はままならず、心臓の音がうるさい。耐久力のない一般人だからもう死にかけ。

 かちり。

 回転式拳銃のハンマーを起こす音が頭上で聞こえた。銃口が脳天に密着する。

「なぜこの学校に来た」

 優しさなんてない声。僕の知る兄さんとは全く違う態度だけれど、声色と口調の根底には変わらない兄らしき部分が見えた。

 焼き鏝を当てられたような痛みが腹に伝い、やっとの思いで言葉を吐きだす。

「……兄さんに会うため、だよ。何も言わずに勝手に失踪して、心配かけて、一言叱ってやりたかったんだよ」

 絶え絶えの息。やっと会えた、言いたいこと全部言わないと。

「俺はお前に会いたくなかった。裏社会に関わりなんて持つべきではない、こんな世界お前には似合わない……今すぐに楽にしてやる」

「優しいね、兄さんは」

 回転式拳銃の銃口を手でつかみ、穴を親指で塞ぐ。

 弱い力、振り払おうと思えばいともたやすく銃撃の妨害は解かれるのに、兄はそうしなかった。

 僕の意思表示を、尊厳を、踏みにじろうとはしなかった。

 だから兄さんは優しい。

 朦朧とする意識の中、ゆっくりと立ち上がり、兄と視線を合わせる。

「僕は死後生き返る、そして裏にまつわる全ての記憶を消されてごく普通の生活を始める。裏社会に無関係の人間に裏の住人は手出ししない、できるけどしない。そこには旧態依然のしきたりが蔓延っているから、カタギを脅かすのはタブーだから」

 それはいつだか日乃実さんから聞いた話。

 再定義された死に対して恐怖する先輩は、実体験のように話していた。

「兄さんは家族を守りたいんだ。自衛の力も知略もなく、自分のせいで利用される道具として生きる弟を哀れんでいる。自分とは違って、まっとうに生きてほしいと思っている」

 兄は否定しない。だが、肯定もしない。

 歯を食いしばり、叫ぶ。肺が上手く機能しなくて声は大きく出せないけど、魂の叫びを放つ。

「馬鹿にしないでよ。最初は兄さんに会うためだけにこの学校に来たよ、そりゃ怖い目にもたくさん遭って、自分の不甲斐なさを痛感する毎日だよ。今だって、友達や先輩が僕を助けるために死にかけてる。死んだ方がマシだって何度も思った。でも違うだろ」

 もう体力の限界が近い。暗転した視界では兄がどんな顔をしているのかすら分からない。

「僕に生きてほしいって思ってくれる人がいる限り、生きるんだよ。砂糖罰の弟じゃなくて、砂糖丸に接してくれる人がいる限り、死ねないんだよ。みんなに認められている限り、僕は自分を認め続ける。そういう生き方しかできないから」

 銃口から手を離す。もう立っているのがやっとだった。

「兄さんは認めてくれないの」

 長い沈黙が続いて、それはたった一言で破られる。兄さんではない別の声で。

 

 

「はあいそこまで」

 黒のコートが揺れて、声の主に立ちふさがり、僕を守るように兄さんは立つ。

 軽薄で飄々とした男性、球磨川さんのものだと見抜いた。

「お涙頂戴の兄弟愛、私ひどく感動させていただきました。このまま登場するのも無粋かと思いましたが、つい台無しにしたくなりまして」

「なんで球磨川さんがここに。翡翠さんと戦ってるんじゃ」

「ええ今も戦闘中でしょう、あの私は戦闘が得意ではありませんから実力は五分ですね。どちらが最後まで立っているか非常に楽しみです」

 他人事な口ぶりに混乱する。

 全く彼の言い分を信じると球磨川さんは二人いることになる。

 声からして別人ではない、何度も聞いた、聞き飽きたそれには少しの誤差もなく本人だ。

「掘り返すようですが、私はあなたの嘘を信じました。半信半疑ではありましたが、捨てきれなかったので『信じた』と形容するのもあながち間違いではないでしょう。なぜか分かりますか?私が慎重だったことも一端の理由ではありますが、根拠にするには薄い」

 兄さんの微弱な動きが見えた。警戒している。

 視界は徐々に明るく、歪みも取られていく。

「クローンですよ」

 球磨川さんは懐から自動小銃を取り出して、構えた。

 狙う先は兄さんの頭、応えるように回転式拳銃で眉間に焦点を合わせる。

「どこの国でもヒトクローンは原則禁止ですがね。クローンで自分を増やし、慎重さに拍車をかける球磨川という男を知っているから、前例がいるから、私は――否、私たちは身構えたのです。当然、私もオリジンではありません」

 急に現れ、時系列に若干の歪みをもたらしたのは一人ではなかったから。

 同一人物が複数人いるとなれば話は変わる。

 球磨川さんは引き金に指をかけて発砲した。ただし銃口は兄さんに向けて、ではなく僕に。

 動けない、致命傷を負った者のラストアタックを奪う――

「ははは!!そうでしょう!あなたは砂糖丸様の言う通りお優しい!実の弟が殺されるのは目に余る、自分は殺そうとしていたのに……なんて浅ましくも美しい兄弟愛!私感服いたしました」

 ――はずだった。

 兄は僕を庇い、床へ血だまりを作る。貫通していないから背中だけでは分からない、けどきっと胸元に銃弾が食い込んでいる。

「兄さん!!」

 駆け寄るとやはり胸から血が出ていた。中心からみて左寄りの胸元、正確に心臓を射抜かれている。

 兄は僕の顔を見るとふっと体の力を抜き、床に倒れ、なんとか衝撃が伝われないように支えた。

 手で必死に押さえても、スカートの布地を切りそこに巻いても、血は止まらない。僕の腕と兄の体を赤く染めるだけ。

「……俺はお前を認めている。当たり前だ、家族なんだから」

「常人なら即死なんですけどねえ、流石最強。体の頑丈さが桁違いです」

 馴れ合いには飽きたと、再びトリガーに指をかける。

「見誤りましたね。弟なぞ殺させてから私と戦えばよかった。私程度が学園最強に勝てるはずもないのに」

 暗く淀んだ意識の中で兄を救おうと腕を抱き寄せて引きずる。

 息が荒い、もう何も見えていない。

 ただここから逃げ出すための策を弄する。

 パンと。

 自分の左肩が弾ける音がして、ずるりと力が入らなくなる。

 砕けた骨と千切れた腱の痛みが同時に襲い、涙が出た。

「がああああああっ!!」

 無事な右腕で兄を、もう生きているのか死んでいるのか分からない体を薄く持ち上げた。

 二の腕に力が入らなくなる。

 ぶら下がる両腕を無視して、兄のロングコート噛み、引っ張る。

 今度は太もも。

「あとは、たのみます――――さん」

 パン。

 僕の頭が撃ち抜かれた。

 このとき、砂糖丸は死んだ。




《戦争部簡易報告書》

 五月四日 放課後

 戦争部立ち合いの元行われたオークションクラブ連合(第三位オークションクラブ、第六位瀟洒の会、第八位ヒーロー部)とメイド部連合(第十位メイド部、圏外暗殺同好会)の戦争はオークションクラブ、クラブ長球磨川有助の不正発覚によってメイド部連合の勝利とする。

 彼は戦争に関係のない無辜の民であるメイド部員の兄に手をかけ、あまつさえ無抵抗のメイド部員をその場で殺害した。

 提示された戦争内容から逸脱した行為、監視下にも関わらずスポーツマンシップにかけた態度、今回の戦争に無関係だった一般人の殺害、それらを見過ごすことは裏社会の秩序維持に反する行為であり、本来ルール無き戦争だが、特例として不正扱いとした。

 

 特例であるため順位変動はなく、全部活疲弊が見られるため和平交渉は折を見て行わせる。

 今回はルールなき戦争の根本を揺るがす事件であり、戦争部の在り方を見直す必要がある。

 

 担当者 戦争部副部長

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