第42話


 それから二か月後、エル・ミーン族の族長がライエに訪れることになった。

 新しい族長は和平を望んでいた。かつてエル・ミーンの地にロッセリーニの領主を招きながら内部のクーデターに巻き込み、その命を失わせることになった歴史を踏まえ、今度は族長が自らロッセリーニ領主の元を訪れると提案したようだ。


 エル・ミーンの族長は変わったばかりだった。護衛も含め二十人ほどの訪問団はリデトの門をくぐる時に護衛数人の剣を除き所持している武器を箱に入れ、封印をつけた。

 ガスペリはその覚悟に応えるため、辺境騎士団に一行を守らせ、蛮族エル・ミーンを恨む者が新たな火種をおこさないよう厳重に警戒しながらライエへと出迎えた。


 三日間の滞在中に数回会談を行い、和平の取り決めが結ばれた。本来であればトルメリア国との間で結ばれるべきではあったが、エル・ミーン族はリデトを含めたロッセリーニ領こそ対等の相手とみなしていた。

 会談の中で、エル・ミーンの長は領内に住むエル・ミーン族への偏見を憂慮していると語った。長年タラント周辺に住み続けている者達が余所者のように扱われ、いわれのない暴力を受け、時に不当な金銭を要求されることがある。それに対してロッセリーニ領主ガスペリは不当な行為は取り締まるが、真の平等は互いの信頼によって生まれるものであり、双方の和平が長く続くことを祈ると答えた。


 エル・ミーンの族長がライエに訪れた日、モニカは辺境騎士団の本部に呼ばれた。そこにはガスペリがいて、背後で守りについている数人の騎士団員の中にニコロもいた。

「エル・ミーンの族長がモニカ殿に会いたいと言ってきた。…モニカ殿が嫌なら、このまま断ることもできる」

 領主であるガスペリに直々に問われ、モニカは少し悩んだ。族長になったのはレンニかエギルか、それとも知らない誰かか。気にはなったが、モニカはあえて名を聞かなかった。

「私が一度死んだことはお話しされてますでしょうか」

「いや、怪我はしたが、無事戻って来たと言ってある」

 ガスペリは、モニカが迷うなら自分の一存で断るつもりだったが、モニカはガスペリが思うより遥かに早く決断した。

「ニコロも同席させていただけるなら、お会いします」

 ガスペリは、モニカの決断を尊重した。

「ニコロは護衛としてつけよう。必要な時に夫だと明かせばいい」

 モニカはその提案にうなずいた。


 二日後、モニカは数年ぶりに領主の館に足を踏み入れた。

 平民なりに上等な服に身を包み、案内された別室には先に数人が待っていた。後ろに護衛としてニコロが付き添っていたが、不安を感じても手を握ることもできず、少し緊張しながら自分が呼ばれるのを待っていた。

 一人、また一人と呼ばれ、最後にモニカが残った。部屋はずいぶん広く感じたが、見回せばかつて伯父に招かれた時に何度か入ったことがある部屋だと思い出した。短期間ながら自分の家だったこともあるのに、思い出すのは幼い頃のことだけだった。


 ようやく呼ばれてモニカが部屋に入ると、そこにいたのはレンニだった。

「名前は」

 中にいた役人に問われ、

「モニカです」

と答えると、役人は名簿にチェックを入れ、

「持ち時間は五分だ。手短に」

と告げた。まるでモニカが希望してここに来たかのように扱われ、モニカは少し戸惑ったが、すぐにレンニが声をかけた。

「彼女には私が呼んで来てもらった。最後に回してもらったのもそのためだ。…悪いが、席を外してもらえるか」

「承知しました」

 役人は一礼をして部屋にいる者にも手で合図し、護衛一人を残して退出した。


 レンニに勧められてモニカは椅子に腰かけ、ニコロは護衛としてモニカの背後に立った。

「無事に戻れたようだな」

 レンニは好意的な笑みを向けていたが、前領主一家の生き残りを捕らえ、逃げられながら、何も調べずに会談に臨むことはないだろう。立場上何もなかったことにしたいのかもしれない。モニカは少し首を傾け、薄い笑みを作った。

「…あの時は、おまえを巻き込んでしまい、申し訳なかった。この機会を逃すと謝ることもできなくなるのではないかと思い、呼んでもらったのだが、無理をさせてしまったか?」

「いえ。…族長になられたのですね」

「ああ。とは言っても、他になり手がいなかったんだが」

「四の星の、…エギル…様は?」

 モニカがエギルの名を出すと、レンニは苦笑いを見せた。

「あの男はあの後事故に遭ってね。命は助かったが、四の星の長もエギルの弟が継ぐことになった」

 事故と聞き、まさか竜巻の…、と思いはしたがそれを口に出すわけにはいかない。

「そうですか…」

とだけ返事をし、モニカは口を閉じた。

「あいつの所に人質に取られていた妹も帰って来てね。安心したところだ」

「そうですか。それは良かったですね」


 モニカがお決まりの返事を選んでいるにもかかわらず、レンニは妙ににこやかな顔を見せた。

「そこでだが、今後のロッセリーニとエル・ミーンの友好の証に、ぜひおまえにエル・ミーンに来てもらいたい」

「…は?」

 突然のレンニの申し出は、モニカには訳がわからなかった。あんな事件があった相手に何を…。

「あの、…私は領の運営には携わっていません。外交官としての資格もなく」

「そんなものは必要ない。おまえには族長の妻の座を用意しよう。悪くない話だろう?」

「お断りします」

 モニカの返答に躊躇はなかった。

「あの時も言ったはずです。私には夫がいます」

「おまえの夫には、俺の妹をあてがえばいい」

 妹を?

 その言葉に、モニカは怒りに打ち震えた。背後からも殺気を感じるが、レンニには伝わってないようだ。

「妹は都会にあこがれている。長い軟禁生活から解放され、ライエのような都会に嫁げるなら喜ぶだろう」

 レンニの言葉に、モニカは机にバンッと手を突き立ち上がった。

「あなたはそれでも兄なの? 帰って来たばかりの妹をいたわる気はないの?」

 レンニはモニカが何に怒っているのかわからないような顔をしていた。

「より良い条件の所に嫁に行けるんだ。それに家長の決断に従うのは当然だろう?」

 その言葉に、モニカは立ったまま深く息をついた。

「おまえほどの女が平民でいるなんて惜しい。俺ならおまえのその知識を生かせる立場にしてやれる」

 そこにモニカの意向は全く考慮されていない。以前もそうだった。エル・ミーンでの女性の扱いはそういうものなのだろう。

「…あなたが夫になったら、私は家長であるあなたに従うのが当然になるんですね。まあ、今でも私の意見なんて聞いてもらえないようですし…。お断りします。私は今の夫に巡り会えて幸せですから」

 モニカが見せた微笑みは、あの日、床に押し付けられたままエギルに見せた笑みと同じだった。

「この話はこれっきりでお願いします。族長なら誰でも従う、和平と言えば何でも許されると思わないことです」

 モニカの後ろで護衛が剣の束に手を添えていた。レンニの護衛もまた、鞘を引き寄せ、相手の次の動きを警戒していた。

「私の兄はいつでも私のことを優先してくれました。お戻りになったら、妹さんに聞いてみてください。あなたのことを好きか。もし好きでなければ、あなたの決断は善意のふりをした独断に過ぎない。一族を思う気持ちも、今後の施策もそうでないことを願うばかりです」

 モニカはレンニに一礼すると、背後にいた自分の護衛の腕を取り、振り返ることなく退出した。

 それはその護衛こそ、自分の夫であることを告げていた。

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