第40話

 ニコロとモニカの住む家に明かりが灯った。

 警備隊員のティーノが恐る恐るノックすると、確かに返事はあったのだが、開かないドアに自分でドアを開けて中を覘くと、つい数日前とは比較にならないほど痩せたニコロがベッドの上で上半身を起こし、その横でモニカが横たわっていた。

「悪い、そっちまで、行けなくて…」

「モニカさんは…」

 ティーノはニコロがモニカの遺体と寝ているのではないかと、恐る恐る近づいて行ったが、モニカは寝息を立てていて、顔色もよかった。

「さっきまで、起きてたんだが…。疲れたみたいだ。…悪いが、なんか食うもん、買ってきてもらえないか」

「わかった、任せとけ!」


 ティーノは馬を走らせて街に行き、二人が食べられそうな物を見繕っていると、店主に

「さっき夕食を食べてたのにどうした」

と聞かれた。ティーノが

「モニカが目覚めたんだ。ニコロからなんか食う物が欲しいと言われて、でもずいぶん痩せてるから何がいいんだろう。スープかなぁ」

 それを聞いた店主が大声で叫んだ。

「おい、モニカが目覚めたってよ!」

 その言葉を聞きつけた周囲の店から人が顔を出し、中には走って伝えに行く者もいた。モニカとニコロに食わせろと多くの料理や食材が寄せられ、結局町の住民五人がティーノに付き添い、一緒に歩いて届けに行った。


 にぎやかな物音にモニカが目を覚ますと、ニコロはよたつきながらもモニカを抱えあげ、席に座らせた。

 久々の食事だ。持って来てもらったスープを口にしたニコロは、

「うまいなぁ…」

とつぶやいて、体に染みわたる味ににへらと顔を緩めた。

「モニカちゃんも無事でよかった。ほら食べられるかい?」

 モニカはこくっと頷き、小さなパンが浮かんだスープを口にして、ぽろっぽろっと涙をこぼしながら

「おいしい…」

と答えた。


 それからしばらく町の住人が交代で二人の食事を家まで運び、五日もすればモニカは日常生活を送れるほどに回復した。

 ニコロの方はまだダメージが残り、もうしばらく療養が必要だったが、モニカが根の野菜をふんだんに取り入れた料理を用意できるようになると回復は早まり、二週間ほどで元に近い状態に戻っていた。



 モニカは一人で動けるようになってから、あちこちにお礼と謝罪に行った。

 体調を崩していたくらいにしか知らない者も多かったが、死にかけていたことを知る者は回復を喜ぶ者もいれば、それが自死だったこともあり、冷たい反応を示す者もいた。中でも療養所は一度死んだモニカを最初に受け入れた場所で、いつもあれほど懸命に他者の命を救おうとしながら、あっさりと自分の命を終わらようとしたモニカへの視線は厳しかった。それでもモニカは迷惑をかけたことを詫びに行かなければいけない、そう思った。


 それは、ニコロと話をした中で気付いたことが大きかった。

 モニカは自分がかつてモニカ・ロッセリーニという名を持ち、歴代このロッセリーニ領を治めてきた一族の末裔であることを打ち明けた。ニコロは驚くことなく、うなずいただけだった。

 自分がリデトに来た時のことをニコロに話した。戦場に着飾って訪れた愚かな過ちをずっと恥ずかしいと思っていたが、それを

「それって、最初に謝れば済んだんじゃないか?」

とニコロに言われた。

「『こんな格好ですみませんでした!』ってその場で開き直れていたら、きっとそれで終わってたんだろうけどな。…そう簡単な話じゃないんだろうけど」

 きっと拒否される。受け入れてもらえない。嫌味を言われるだろう。手伝うことさえ許してもらえないかもしれない。責められる? 嫌われれる? 投げられた一つの石が次の石を呼び、暴動になるかも…。父の足を引っ張ってしまう。それが怖くて、でも償いたくて、一緒に領を守りたくて、身分を偽り、町に馴染める架空の自分を作っていった。

 自分の誤ちをなかったことにしたいモニカと、誹謗中傷してきたことをなかったことにしたい人々の思いが一致し、ずっとモニカはただのモニカとして生きてきた。でもニコロの言うとおり、本当はその時に解決しておくべきだった。

「モニカは一人じゃない。何かあったら一緒にいてやるから。困ったことがあったら、俺でも、俺が頼りなければ町の誰かでも。ガスペリさんも心配してたぞ」

 ガスペリさん?

 一介の騎士が領主をさん付けで呼ぶほど親しくなっているのには驚いたが、ガスペリもモニカのことが気になり、ニコロに声をかけてきたのだろう。なんと多くの人に心配をかけてしまったか。



 モニカはニコロがまだ寝ている間にあえて一人で謝りに行った。逃げることなく自分でちゃんと片をつけなければいけない、そう思えたのだ。



「私の浅慮のせいで大変ご迷惑をおかけしました。・・・死んでいた私を受け入れてくださり、ありがとうございます」

 ずっと働いてきた療養所での冷やかな視線はつらかった。走ってその場からいなくなりたい気持ちをぐっと押さえ込み、きちんと一礼し、その場を去ろうとした時、

「ちゃんと生きる気になれたのなら、またここに来て手を貸してくれ。…おまえがいると、いろいろ助かるんだ」

 ずっと腕を組んで睨みつけていたエラルドがモニカに声をかけ、そのまま診療室に戻っていった。

 緊張感に満ちていた場に、ぼそりと

「ツンデレね」

とつぶやく声がした。

「あんなに心配してたくせにね」

「何やかんや言っても、生きててくれて嬉しかったのよ」

「また来てね、モニカ。遊びにでも、手伝いでもいいから。遠慮はなしなんだからね」

 療養所の職員達の声を聴き、笑顔の励ましを受けてほっとしたモニカは、自分もまた笑顔を見せながらも涙をこぼしていた。

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