第36話

「モニカ。俺はおまえを許せない」

 その言葉が来るのを覚悟していたモニカはそっと頷いた。

「どんな理由を付けたって、自ら死を選ぶなんてこと、許せない。このままじゃ、俺はおまえをずっと許せなくなる。ずっとおまえを許すことなく生きていくのはつらすぎるんだ。俺におまえを許させてくれ」

 モニカは首を大きく横に振りながら、それなのにニコロの腕をしっかりとつかんでいた。

「頼む、もう一度俺を見てくれ。ただいまって言って、笑ってくれ。バカなことをしたなって怒らせてくれ。ごめんなさいって言ってくれ。そしたら、俺はおまえを許すから」

 覘き込むニコロと目を合わせないようにしながら、それでもモニカはその腕の中から離れようとはしなかった。むしろ、しがみつく手はより強く、離さないでと願うかのようだった。

「頼りない俺でも頼ってくれ。そばにいてと甘えてくれ。愛してほしいと言ってくれ。どこだって連れて行ってとねだってくれ。壁の向こうだって、敵の国だって、おまえが望むなら、きっと連れて行く。モニカ…。俺を、置いて行かないでくれ。俺を一人にしないでくれ」


  俺を一人にしないでくれ


 その言葉は、いつも自分が言っていた言葉。

 同じ願いを持ち、共に暮らしながら、最愛の人を一人にしてしまった。

 自分は伯父に、兄に、父に、ニコロに、生きていてほしいと願っていたのに、死ぬことに迷いさえしなかった。

「ニコロ…、…ごめんなさい」

 もう取り返しのつかない、小さな謝罪の言葉。もう死んでしまった自分の。

「あなたを、一人にしてしまった。…一人の寂しさは誰よりもわかっていたのに。私は、どうして、…どうしてこんな仕方のない…」

 モニカの影が後悔と共に揺らぎ始めた。しかし、ニコロはしっかりとその影を捕らえ、消えることは許さなかった。


 ニコロは自分の右手の掌を上に向け、モニカの胸に近づけた。胸の中央に当たった指先は体の中に突き抜けていった。互いに幻に過ぎないとわかっていても、自分の体の中に何かが入り込んでいくのを見るのは何となく気持ちの良いものではなかった。

 ニコロの掌の上にそっと何かが乗った。

 やがてゆっくりと手が動いた。体の何かを握っている。軽く開き、軽く握り、その動きを繰り返している。ニコロが手にしているのは、モニカの動かなくなった心臓だ。心臓に動くことを教えている。何もないはずなのに、意識するとそこに心臓を感じ、急に体が熱くなってきた。


「愛してる、モニカ。…おまえを、失いたくない」

 結婚し、一緒に暮らしていながら、愛していると言われたのはこれが初めてだった。見えるはずのない赤い心臓がニコロの掌に包まれ、きゅっと締まるような痛みを覚えた。モニカの想いにつられるように激しくなる動悸、凍っていた時が溶けていくのに併せて、血液が全身を廻り始める。

 いつしかモニカの心臓は自らの力で鼓動を打っていた。

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