第3話

 二年もすると、ニコロはリデトの町の住人として安定した生活を送るようになっていた。

 死にかけていた自分を救い、今でも自分の世話を焼いてくれるモニカに対して、ニコロは感謝以上の気持ちを意識するようになった。周囲には今頃気付いたのか、と呆れられてしまったが、自分のような武骨な余所者にも親切にしてくれるモニカの優しさを勘違いし、告白してそんなつもりではなかったなどと言われ、二度と口をきいてもらえなくなったら…。そう思うとニコロは自分の想いをなかなか口にすることはできなかった。


 旅先でふと目に入ったネックレスがモニカに似合いそうで、手に取ってみたが、急にこんなものをもらってもモニカは困るかもしれない。ニコロは迷った。しかし、町にはモニカに好意を寄せている男は自分の他にもいる。自分が仕事で町を離れているすきに誰かのものになっていることだってあり得る。それはたった今かも…

 一度沸いた不安はなかなか心から離れず、旅から帰るとその足でモニカの家に行き、いつも土産にしていた甘い菓子や果物の上に思い切ってネックレスの入った箱を置いた。

 箱を開けて驚いているモニカに、よかったら自分の恋人に、とでも言うつもりだったのだが、目が合った途端、言葉が魚の骨よりも鋭くのどに詰まった。

「よかったら、…、お、俺と………」

 次第に声のトーンが落ちていき、

「……飯でも…」

 もじもじしているニコロにモニカはにっこり笑って、

「お帰りなさい。お土産のお礼を兼ねて、ごちそうするわ」

と言うと、家の中に招き、手早く夕食を準備し、卓上に並べていった。


 白ごぼうと人参に少し干し肉の入った素朴なスープは、死を覚悟した自分の体を癒してくれたあの味だった。生ウインナーに焼いたビーツ、荒くつぶされたじゃがいもは胡椒が効いていて、ぺろりと食べつくした。旅の途中、雇い主からローストした牛肉の塊をおごってもらったが、それにさえ引けを取らないごちそうに思えた。

「ごちそうさま。あー、モニカの作った飯を毎日食えたらなあ…」

 ぼそりとつぶやいた言葉が逆にリアルな願いに感じて、モニカは戸惑いを隠せなかった。

「ご、ごはんなら、作ってあげるけど。…毎日って、」

「…いや、出かけてる時が多いから、毎日って訳にはいかないか。帰ってきたら出迎えがあって、こんな飯があって、今みたいに旅の話をして、そういうのって、…いいなぁ」

 にやけながら語られる架空の日常に、モニカは耳まで赤くなっていた。そんなモニカに、今こそ告白の時か、とニコロは思い切ってモニカの手を握ったが、そこでうっかり気付いてしまった。

「…しまった…。指輪にしとくんだった」

 この国ではパートナーを選ぶ時には指輪を送る習慣があったが、今回の土産はネックレスだ。

 手を握られたままそんなことをつぶやかれたモニカは、ニコロがこれから言おうとしていることを充分に察した。

「私の指のサイズ、知らないわよね?」

「え、サイズ? …そうか、サイズがあるんだな」

 とぼけたことを言うくせに、なかなか肝心なことを言わないニコロだったが

「早まって買わなくてよかったか。じゃ、明日、買いに行こう」

などと言われてしまうと、ニコロの本気はわかった。

 結局モニカは決定的な告白の言葉はおあずけのまま、一緒に指輪を買いに行くことを了承した。



 翌日、ニコロと一緒に町の宝飾店に出かけ、守護のまじないと小さな石が埋め込まれたおそろいの指輪を買うことになった。好みは似ていたので選ぶのは早かったが、サイズ合わせに三日かかると言われて、

「え、じゃあ、三日後まで待つのか。…うわぁ」

 大したことではないだろうに、ずいぶん大げさな、とモニカは思っていたが、ニコロは至って真面目に

「その間に他の奴が指輪を持って来ても受け取らないでくれよ」

と言ってきた。

 お願いするように言われたものの、まだ決め手となる言葉をもらっていない。積極的なのかシャイなのか、ちぐはぐさが妙におかしくて、苦笑いを浮かべるしかなかった。店員もまた生暖かい笑みを浮かべて見守るだけだった。


 店に同行している時点で既に答えは出ているのだが、それに全く気付いていないニコロだけがこの三日間をそわそわしながら過ごしていた。そして指輪が届いた三日後、指輪と共に告げられた申し出を、モニカは少しはにかみながら承諾した。

 それはお付き合いをすっ飛ばし、いきなり結婚の申し込みだった。

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