(4)


「誰だ。貴様」

 科之が剣呑な声で乱入者へ顔を向ける。

 開け放たれた窓辺。その窓枠に片膝を立てて腰掛ける、余裕の笑みを浮かべた美丈夫が一人。

 白銀の髪を朱に染め、羽織った花嫁衣装を熱風にはためかせ、宵はニッコリとハスズに向かって微笑んだ。

 じわりと浮かんだ涙はそれまでの冷たいものとは違っていた。

 体を震わせる原因は恐怖や絶望ではなかった。

「やあ、ハスズちゃん。泣くほど喜んでもらえるなんて、そんなにワタシのことが恋しかったのかな?」

 気が付けば、ハスズは『はい』と頷いていた。

 それが、いけなかった。

「ハスズ。あいつは何だ」

 隠し切れぬほどの怒りの籠った科之の声に、ハスズは己の失態に気が付いた。

「何だとは失礼だね。上客に向かって」

「何が上客だ。貴様のような輩を招いた覚えはない」

「おや、おかしいねぇ。ワタシの連れの連れと言うことで招待を受けたと思っていたんだがねぇ」

「何の話だ」

「知らなければ構わないよ。ワタシが用があるのはハスズちゃんだけだからね。あんたはもう出て行ってくれて構わないよ」

「ふざけるな!」

「ふざけてはいないよ。ここはそういう所だろ? 無粋なことはやめてもらいたいものだね。ねぇ。ハスズちゃん」

「悪いが、この娘は『商品』じゃない」

「だが、私の連れに宛がっただろ?」

「連れ?」と、科之の眉根が寄せて訝しるが、

「そうか。その花嫁衣装……貴様、あの小僧の連れか」

「ご明察♪」

 憎々しげに吐き出された答えに、嫌味なほど明るく宵が答えれば、

「ハスズ! 来い!」

 科之は問答無用とばかりに声を張り上げ、乱暴にハスズの手を掴んだ。が、

「駄目だよ。彼女はワタシの相手だと言っただろ」

「っな?!」

 驚きの声は科之から上がった。

 確かにハスズの細腕を掴み上げたと思った。

 だが、気が付くと科之の手の中にハスズの腕は無く、振り返ればいつの間に窓辺から離れたものか、宵の腕の中にスッポリとハスズが収まっていた。

 その顔には驚きと戸惑いの表情。ハスズ自身、何が起きたのか分かっていないかのようなもの。

「彼女はね、ワタシの連れにとって必要な子なんだよ。それを君のような無粋な輩に渡すわけには行かないんだよ」

 小馬鹿にしたような楽しげな口調で傷口に塩を塗り込む宵に対し、これまでハスズが見たことのない鬼の形相を浮かべて科之は言った。

「それは私の物だ! 私がどうしようと私の自由! それは誰でもないハスズ自身が良く知っている! そうだろ! ハスズ!」

 激しい口調と鋭い視線を向けられて、ハスズがビクリと体を震わせると、その肩を抱き締めるようにして宵が叩いた。

 その手が言っていた『大丈夫だよ』と。『心配せずとも良いよ』と。

 背中から伝わる温もりが、言葉に尽くせないほどの安心感をもたらした。

 だが、付き合いは科之との方が長かった。

「ハスズ。お前の行動が全てを決める。あの娘たちがどれだけ惨い目に遭うかどうかをな!」

 呪縛だった。

 逆らうことを決して許さぬ刷り込まれた言葉。

 ハスズの体が無意識に科之に引き寄せられるのを、グッと宵が引き留める。

「ホントに君は無粋だねぇ。女の子を脅して思い通りにしようとするなんて。そんなに自分に自信がないのかい?」

「黙れ!」

「図星か」

「黙れと言っている!」

「はいはい。でもね、これだけは言っておくよ。この子は絶対に渡さない」

「それを選ぶのはハスズだ! 選べハスズ! 自分一人が助かるか。私と共に来るか! 三つ数える。それまでに答えろ! ひとつ!」

 心臓が冷たい手で握り締められたような痛みを覚えた。

「二つ!」

 答えは初めから決まっていた。

「三つ!」

 苛立ちも露わに叫ばれた声に突き飛ばされて、ハスズは宵の腕の中から飛び出して。

『?!』

 ハスズは、自分のすぐ横を凄まじい勢いで通り過ぎる影を捕らえた。

 手を差し出していた科之の顔に驚愕が浮かぶ。

 それは瞬時にハスズの視界に割り込んで、科之に襲い掛かった――かに見えた。

 だが実際は、開いた翼を左右に投げ出し、瀕死の重傷を負った怪鳥の如く蹲る。

 着物の柄はハスズの知っているものだった。所々が裂け、焦げ付いてなどいなければ。

「鬼雨……さん?」

 掠れた声がハスズの口から洩れた。

 それが聞こえた訳ではないのだろう。

「お前は……小僧か!」

 奇跡的に鬼雨の急襲を飛び退いて躱した科之は、蹈鞴を踏みながら廊下に出て、襲い掛かって来たモノを見た。

 その顔には過剰な警戒の色。

 しかし鬼雨は体を起こそうとはしなかった。

「油断を誘っているのか? そんな見え透いた芝居に引っ掛かるほど私はお人好しではない」

 実際ハスズにも見え透いた芝居に見えていた。

 いくらなんでも見え見えなのではないのかと思ったのも束の間、鬼雨が起き上がろうとして失敗する様を見る。

 まるでそれは翼が折れた鳥がもがくようにも見え、

「どう、したんですか?」

 不安が瞬く間にハスズを飲み込んだ。

 対して、答える者がいた。

「どうやら薬が切れたみたいだねぇ」

 宵だった。宵が緊張感の欠片もないどこか笑みを含んだような口振りで、声を潜めることもなくアッサリと告げた。

「薬?」

 思わずハスズが反芻すると、

「そうだよ。一粒飲めば千人力。人知を超えた力を揮うことが出来る優れもの。それを飲んだからこそ、一時と掛からずにその子はたった独りでこの『村』を壊滅させた。でもね、それは生身の体に想像を絶する負荷を掛けることになるんだ。だから、薬が切れればほら、あの通り。自力で立つこともままならない」

「そんな!」

 何がそんなに楽しいのか、クスクス笑いながらネタ晴らしをする宵とは対照的に、ハスズは顔を青くした。

 宵は声音を押さえていない。つまりは、離れた科之にも聞こえていると言うことで、瀕死状態の鬼雨が危険だと言うことで。

 一体科之がどうするのかと慌ててハスズが視線を向ければ、科之はゾッとするほど冷たい勝ち誇った笑みを浮かべていた。

「そうか。動けないのか」

「鬼雨さん!」

 甚振るかのような口調で確かめる科之が一歩を踏み出したのを見て、ハスズは焦った。

 動けない鬼雨が殺されてしまうと。

 だが、宵はそんなハスズを抱き締めて離さない。

 何故? と声も無く問い掛ける変わりに顔を向ければ、宵は穏やかな笑みを返すだけ。

 そこに、どたどたどたと複数の人間が走り来る音が聞こえて来て、

「科之様! 『村』が! 『村』が大変なことに!」

 と、今更ながらの報告を届けに来たものか、手に負えない未曽有の事態の対処法を求めに来たものか、袢纏を着た男たちがやって来た。

 それを見た科之は、刹那嫌悪感を露わにしたものの、

「ちょうどいい。そこにいる死にぞこないが騒ぎの元凶だ。見事その首討ち取って隠し通路に来い。お前たちは私に続け。無事な娘たちを連れて行く」

 どこか嘲るような笑みをハスズに向けて命令を下した。

 ついに、ハスズの恐れていたことが実行されるときが来た。

「待って!」

 宵の腕の中で手を伸ばし、残酷な笑みを残して立ち去る科之に懇願するも、座敷に足を踏み入れたのは科之ではなく、『村』を燃やされ、仲間を殺された手下たち。

「宵さん!」

 助けを求めて体を捩じると、宵は微笑みこう言った。

「まぁ、見ていなさい。君の願いはまだ叶え切っていないのだから。そうだろ? 鬼雨?」

 

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