告白およびプロポーズにおける深刻なコミュニケーション・エラーとその解消法

七谷こへ

ふたりの日常

第1話 「ありえない」って返事だと告白の了承にならないって本当ですか?


 季節は春であった。

 高校の卒業式もおわり、桜の花が舞い散る長い坂道を、ひと組の男女がゆるりとくだってゆく。


 好きな人と見る夕焼けは、赤く、燃えていて、胸を底からぶるるとふるわすほどに美しい。

 空を、町を、人を、すべてを染める濃いだいだい色の光が、自身の胸の奥にともる想いと相応あいおうじてかがやく。


 ――おれの胸にも、あの夕焼けのようにまっかに燃える愛がある。


 と、男が思ったのかは、男の能面のうめんのような無表情からははかり知れぬ。


 ただ、ひとの表情と内面とは、必ずしも一致するものではない。

 冷血をひとみに宿して「ごみくず」「カス」となじる女人にょにんの胸のうちに「お慕い申し上げます」のみつなる情愛が底流ていりゅうすることもあろう。


 ほんとか?

 好きなら「ごみくず」はひどくない?


 真偽は定かでないが、男は町が一望できるところで立ちどまると、なにも言わずに宝石のようにきらめく家々をながめた。


 女もまた、「卒業証書」とでかでかと書かれた厚みのあるファイルを、小脇にかかえて立ちどまる。


 ふたりは生まれ育った町をながめたまま、言葉をかわさぬ。


 このふたりは、生まれたころから一緒であった。

 家もとなりで、親同士も仲のよい、いわゆる「幼なじみ」というものであり、たがいの状況を伝えあうのに多くの言葉を必要としない、とそれぞれが信じていた。


 陰と陽、阿吽あうんの仁王像、あるいは春のスギ花粉と花粉症患者のように、まざりあう不可分ふかぶん一対いっついとして、離れることもなく18年間をすごしてきた。

 離れることを考えたこともなければ、想像したこともない。


 ゆえに、あえて言葉にしてふたりの関係を定義づけようとしたこともなかった。


 男――新座にいざ古祐こすけは、高校を卒業するにあたり、この関係をはっきりさせておくべきではないかと考えた。


 が、そうは思えど実際に口にするのはなかなかの難事業だ。


「おれとつきあってくれ」

「恋人になろう」

「彼女ってことでいいか」


 いくつかのパターンを昨晩自室で練習していたようだが、どれもふたりのあいだにそぐわないような気がして、このに及んでもどの言葉を用いるべきか迷っていた。


「お」


 古祐こすけは言葉を発したが、「お」だけではなにを言わんとしているのか皆目かいもく見当もつかぬ。


 この男は表情も薄ければ、口もうまくない。


 女――香取かとり翡鞠ひまりは特段の表情も浮かべず、その鋭くつりあがった目に威圧感を漂わせつつ古祐こすけを見ている。

 これがこの女の平生へいぜいの表情であり、きげんがわるいわけではないのだが、かといって今どのような感情でいるのか表情からは読みとれぬ。


「つ」


 古祐こすけの口から「つ」の音がつづいた。このままでは「おつかれさん」になってしまう。解散するのか。


 一方、翡鞠ひまりはなにか思いあたることでもあったのか、ふいと顔をそらした。


「ザコスケ」


 ぼそりと捨てるように言い放つ。


「なにかあるなら、早く言いなさいよ」


 ザコスケというのは、「にいざこすけ」の名前のうしろ4文字をとったアダ名である。

 言うまでもなく「雑魚ざこ」という悪口を想起させるものであり、そのキツく刺すような語気ごきとあいまって少々辛辣しんらつではないかというのがクラスメイトの評であるが、言われている古祐こすけ自身は大して気にしていないようだ。


「ああ、うん」


 古祐こすけは息を吸い、吐き、翡鞠ひまりの顔を見ることができないまま、足もとにポテリと財布でも落とすように言った。


「か、彼女になってほしいなって、思ったんだけど」


 尻すぼみで、最後のほうはボソボソとよく聞こえない。

 ありていにいえば、威風堂々とははるかに縁遠い告白であった。


 翡鞠ひまりの反応はどうであろうか。

 彼女は髪を一本のロープのように太くねじってまとめており、それを横から胸もとへ垂らしている。


 その髪の先をいじりながら背を向け、


「はっ?」


 と言った。


「ありえないんだけど」


 古祐こすけ雷撃らいげきにうたれたように、かたまって動けなくなった。

 当然のように了承してもらえると妄想していた自分の思いあがりを自覚し、穴があったならば飛びこみたいほど劇烈げきれつに恥ずかしさがこみあげてくる。


「ほら、帰るよ。ザコスケ」


 翡鞠ひまりはスタスタと家にむかって歩き出す。

 おや、頬を年端としはもいかぬ少女のように赤らめているようだが、その角度だと古祐こすけには見えていないのではないか。


 古祐こすけはしばらく石のように直立していたが、いつもの無表情を少しだけかげらせてとぼとぼと帰路についた。

 その後、家までふたりは一言いちごんもことばを交わさない。


 ξ ξ ξ ξ


「えっ? なんてこたえたって?」


 近所のカフェのテラス席で、キャラメルラテのカップを手にとったものの、話が信じられずに友人の長谷部はせべあんずが口もつけずにさけぶ。


「いや、だから、『ありえないんだけど』って」


 翡鞠ひまりはなぜか得意げに、ブレンドの入ったコーヒーカップを貴族のように品よくもちあげ、むふんと胸をはった。


「…………あの、それ、どういう意味のありえない?」


「えっ、そのままだけど。『こんなに待たせるなんてありえない、だからザコスケなのよ』『もっとかっこよく決めてよね』『まあ、でも……うれしい』『私も大好きだよ』って意味の」


「あっっっっっりえないでしょ!!」


 ほかに人はいないながら、テラスの空間がぐらぐらとゆれるほど、あんずの怒号がひびいた。


「バカバカバカバカ、ほんとバカ! あんたずーっと『どうやったら告白してくれるのかな』ってウダウダウダウダやって、念願の告白をしてもらって、その返事がそれ? ぜったい、100%、200%伝わってないからそれ。そのスマホで『そのまま』の意味を検索したあと、すぐに、いますぐに撤回しに行ってきなさい」


「えっ、えっ、うそ」


 言われてようやく翡鞠ひまりがうろたえ出す。


「えっ、うそっ! いや、私たち、幼なじみだよ。ずっといっしょだったんだし、伝わってる、はず、だよね? そのあと『帰るよ』ってやさしく言ったし」


「幼なじみだろうと、何十年連れ添った夫婦だろうとね、人間なんて言葉にしなくちゃ伝わんないんだよ! それでうちのじいちゃんとばあちゃん熟年離婚したんだから。ほんとあんた、肝心なところがアホの子だよね。あんたの『やさしく』はね、わるいんだけど信用できないよ」


 座り直したあんずは、「はーっ」と特大のため息をついた。


「あんたたちの関係はさ、ま、当人たちがよければ他人の私から言うことでもないとひかえてたけど、綱渡つなわたりの綱のうえで成り立ってるのに近いんじゃない? あんたがそうやって自分をまもって、すなおに自分の気もちを口に出さないままでいて、古祐こすけくんがある日ふと『どうもダメらしいな』ってあきらめたらもうそれでおわりだよ。綱のうえからまっさかさま。だいたい告白なんて待たないで、好きならさっさと自分から気もち伝えちゃえばいいんだよ。もう耳タコだろうけど、私ゃ何回でも言うよ」


「だって、そんな……」


 ことの重大さをかすかながらに理解できたらしい翡鞠ひまりが、せっかくきれいに編んだ髪をくしゃくしゃと手のなかでもみながら、消え入りそうな声でつぶやく。


「恥ずかしい……」


「その恥ずかしい思いを、古祐こすけくんは押して伝えてくれたんだと思うんだけどね」


「だって! だって、古祐こすけの顔見ると、かっこよすぎて、好きすぎて、ガチガチに緊張しちゃって、つい、変なこと口走っちゃうんだもん。私だって伝えられるならなんとかして伝えてるよぉ……」


「ま、それはぁ……恋は盲目ってやつだと思うけどぉ……」


 あんず翡鞠ひまりに聞こえないようつぶやく。


 古祐こすけの顔は、まあ、わるいとはいわないが、生来せいらいのくそまじめさが外貌がいぼうにも表れていて美男子のたぐいではない、という言葉がのどもとまでせりあがってきたが、ゴホンと咳ばらいをしてよけいなひと言を口中こうちゅう霧散むさんさせておく。


「私、ようやく告白してもらえたってぇ、きのう家でうれしくってひと晩中泣いてたのに、うそ、うそ、伝わってないってこと……? ど、どどどどどうすればいいの……?」


 本気であおざめてとり乱す翡鞠ひまりに、あまりにも自業自得であるとはいえ、あんずはこれ以上キツく叱責しっせきするのもはばかられた。


 をもたせるように「あー」とうめいたあと、また座り直して背をのばし、つづける。


「ま、とにかく最善手はキチンとあんたから『好き』って気もちを伝えること。それがどうしてもムリなら、どうせあんたらしょっちゅう一緒にいるんだし、どっかでなんかタイミングがあるでしょ。そのときに『あのときの返事、ちゃんと伝わってないかも』とかなんでもいいからちゃんと話を軌道修正すること! いい? 『私も好き』って、シンプルでいいからちゃんと言葉にして伝えるんだよ!」


 人さし指を立てて今後の方向性を訓示するあんずに、翡鞠ひまりは食いつくように聞き入ってうんうんとうなずく。


(この子もいつもこんぐらい素直ならかわいいのに)


 とあんずは思いながら、ま、こんだけ言ったら来月ぐらいには正式につきあってるでしょ、とようやく落ちついてキャラメルラテを口にふくんだ。ちょっと冷めている。


 ところが、その後そのようなタイミングは訪れないまま8年の月日が流れた。

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