未来の先輩


(これで、私はかわいくない!)



鏡で自分のボロボロの顔をニコニコと眺める。頭近くから垂れてくる血で左目の視界が赤く染まる。



その時、バンと扉が開かれる。

そして、その扉の向こうから、何か焦っている様子のお父さんが現れた。お父さんはあたりを見渡し、私を見つけると慌てて駆けつけてきた。



「良かった。電気がついてないから帰ってきてないのかと...本当に無事で良か....

っ!?何をやってるんだ美由紀!自分の顔なんて傷つけて!傷が一生残ったらどうする!?そのカッターをこちらによこしなさい!」



「なんで怒ってるの?」


分からない。私がしている事は間違ってないはずだ。そうじゃないとおかしい。



「逆になんでそんなことをしたんだ!痛かっただろうに!自分を傷つけてもなんもいい事はない!」



「いい事はあるよ。これで友達と仲良くなれるんだぁ!」



「な、何を言って...」



なんだかお父さんが困惑している。もしかしたら、お父さんはまだ知らないのかもしれない。そう思った私は、今日学んだことをお父さんに伝えた。







.......って事なんだよ!だからカワイイらしい私は傷つかないといけないの!ね?だから私は何も間違った事はやってないんだぁ!」



「....」



「お父さん?」



何も反応がないことに疑問を覚え、お父さんの方を見る。そして、自分の父の今の状況にびっくりして、声が漏れる。




「...なんで、泣いてるの?」



「...ごめんな、美由紀。」



ビクリと心臓が跳ねる。それが驚きからか、動揺からかは分からないけど、今までで1番跳ねたように感じた。そんな私を気にせずに、父は虚な目で床を見つめながらボソボソと話をし始めた。



「俺が、もっとお前のことを気遣ってやれれば...俺が、もっとお前の相談相手になれるようないい父親なら...そうなれてたならば、こんなに美由紀が思い悩んで傷つく事はなかったのにな...本当にすまない...」




私のお父さんは、元気で明るい人だった。だから、こんなにも声が弱々しく、暗い表情をした状態は見たことがなかった。


そんなお父さんが吐いた謝罪は、全て床に吸われていく。私を見ず、ボソボソと謝るその様は、まるで、大切な人を自分のせいで亡くしてしまった人のように見えた。


なぜそんなふうになっているのかその頃の私には分からなかった。ただ、泣いてるから慰めなきゃという思いから、頭を撫でながら、泣く必要はないと説明をした。



それでも、お父さんはぽとぽとと床に涙を落とし続けている。こんな状態の父を見ていると、心臓がズキリと痛み出した。



(何これ、痛い...)



今まで感じたことのない痛みに襲われて、思わず顔が下に向く。そんな時だった。お父さんが急に起き上がり、ガバッと私の肩を掴んできたのだ。



「いっ!痛いよ!お父さん!」



そううったえても、こちらの声が届いてないかのように、全く力を弱めずに私の掴み続けた。そして、いつもの優しい声とは全く違う、圧のある声で私に話をしてきた。




「本当は、お前が泣くべきはずなんだ。それを美由紀は笑ってる。この状況がまずおかしいんだよ!美由紀は辛いって、痛かったって泣いていいんだよ!なんでそれが分からない!?」



そんなことを言うお父さんから、必死さや焦りを感じる。


なぜそんなに焦ってるのかが分からない。なんでそんな必死になってるか分からない。だから、その頃の私は、自分の父親に恐怖を感じていた。



「怖い、怖いよ!お父さん!やめて!」



「分かってくれ!友達は、そんな辛い思いをしてまで作るものじゃない!かわいいことは悪いことなんかじゃない!美由紀が傷つく理由なんてひとつもないんだ!だから、辛いと思ったら俺やママや先生、大人に助けてって言っていいんだよ!というか、言ってくれ!

頼む!」



私の話なんか全く聞かずに、お父さんはどんどんエスカレートしていった。私の肩を握る力もどんどん強くなっていく。



「痛い、怖いよ!来ないで!離して!」



「ダメだ!お前が分かるまでは離さない!俺はここで、美由紀を正しい道に連れて行かないといけない!これは父親としての義務だ!」



「分かんない!わかんないよぉ!!!」



頑張って理解しようとしても、肩の痛みや、恐怖、心の痛みが邪魔をして、何も考えられなかった。だから、ただ分からない、やめてと訴えることしかできなかった。



「もう分かんない!なんも分からない!お父さん怖いよ!やめて!もうやだ!」



小6なのに、まるで幼稚園生のような抵抗の仕方だった。それだけ、その時の私は追い詰められていた。


でも、追い詰められてたのは私だけではなかった。



「っ!?なぜ分からない!」



パァンッ

乾いた空気を叩いたかのような音が部屋内に響き渡る。



「ぇ?」



あまりにも急な出来事に頭が追いつかない。

数秒経ち、頬がズキズキと痛み出す。そこでやっと、私はお父さんに頬を叩かれたのだと分かった。



頭がグラグラする。耳がキーンと鳴る。


私の中から、なにか、ドロドロしたものが溢れ出てくる。


これは閉まっておかないとならない、出しちゃダメなものだと心の中で一瞬で理解する。でも、私は止める気になれなかった。



「お、俺は何を....」



(痛い。)



「っ!わ、悪い!ついカッとなって!」



(家族でさえ、私を傷つけるの?)



「す、すまない...な、なぁ!?父さんを許してくれ!頼むよ!」



(友達。きっと出来れば楽しくて、嬉しいものと思ってた。だから、あんなに辛い思いをしてまで努力した。でも、必死こいて作った友達は、すぐに離れていった。それは辛かったけど、まだ心の支えはあった。だから私はまだ、頑張ろうって思てた。辛い気持ちを抑えてた。)



「なぁ、頼む...無視しないでくれ...」



でも、私の唯一の心の支えでさえ、私を裏切った。もう、何も





      



       信じれない








この瞬間、私は今まで信じていたもの全てに失望した。


そして同時にあることを望んだ。



「...欲しい。」



「な、何が欲しいんだ?」



お父さんが震えながらそう聞いてくる。でも、この時の私にはお父さんなど視界に入っていなかった。もちろん、声もノイズのようにしか聞こえてこない。



「永遠に続く関係が、欲しい。」



「な、何を言ってるんだ。」



お父さんが怯えている。実の娘に。そんな情けない親の姿に、やっぱり家族というつながりはその程度なんだと実感する。



「友達とか、家族とか、そんな薄っぺらいものじゃない。」



「家族が、薄っぺらいって...」



「もっともっと頑丈で、厚いもの。どんなことがあっても壊れない。離れ離れになっても、意見が食い違っても、どんな危険が生まれたとしても、ずっと残り続けるそんな関係が欲しい。」



「...」



とうとう、私の父親は黙ってしまった。きっと絶望やら後悔やらの負の気持ちで心の中が染まりきっているだろう。



そう考えるだけで...



「...ざまぁみろ。私を傷つけたからだ...」



気持ちが高揚した。



もう私のドロドロは完全に私の心を侵食して、ただ、一つの場所を除き、それ以外の全てが真っ黒に染まりきっていた。







_____________

_________

_______

_____

__

_


「...と言う感じです。その後、壊れた私のせいで両親が離婚したのに、私はなんとも思ってないんですよ。もう壊れる関係だって分かっちゃったから驚きすらしなかった。

人としての感情が欠けてて、さらに、人のことを全く信じてない。どうですか?私は酷い女でしょ?」


私はそう知らない男子高校生に問いかけた。


なんでこんなことを話すハメになったかと言うと、簡単に言えば、この高校生に助けられたからだ。


私は、人を信じなくなってからは、あまり人と関わるのが好きではなくなっていた。だから、話しかけてくる人たちにはいつも冷たい態度をとっていた。


すると、優しく話しかけてきた人達の態度は急変し、地味な嫌がらせをしてくるようになった。それがエスカレートしていって、とうとう私に直接攻撃してきたって感じだ。


私は、小学校の頃に比べれば痛くなかったし、中学に入ってから、絶賛3年目のいじめで慣れていたから助けなんていらなかったが、この人は、助けに入ってきた。


私をいじめていた子達が去った後、彼は、なんで抵抗しないんだ?とか、なんで助けを呼ばないんだ?とか、うるさいことをしつこく聞いてきた。


これ以上、しつこく聞かれるのはめんどくさいので、私は人を信じてないから助けなんていらないと言った。


これで、この人もヤバい奴だと思って勝手に離れていくだろうと思ったのだが、彼はなぜか私の隣に座ってきて、君の過去について知りたいと言ってきたのだ。


いつもなら、適当を言って逃げていたのだが、なぜだかそんな気分にはならなくて、いつのまにか自然と口が勝手に語り始めていた。



「...なるほどな。」


彼は、手に顎を乗せて、地面と睨めっこしながらそう言った。


今の話からそんなに考えるものがあったのかとついつい疑問に思ってしまうが、さっさとこの場を去りたいので、そのことを聞こうとは思わなかった。




「分かったら、お兄さんも私と関わらないほうがいいですよ。いいことありませんから。」


今までの話を聞いて、私と関わろうとするはずがないが、念のため釘を刺して、その後にこの場を離れようと立ち上がった。



「...ちょっと待ってくれ。」



しかし、歩き出そうとしたところで彼に待てと止められる。しつこいなとイラつきながらも、なぜだか怒りを彼にぶつけようとは思えず、しぶしぶ振り返る。



「...なんです?私早く帰りたいんですけど...」


そう聞くと、彼は視線を地面から私に向け変えた。真剣な目つきで私を見つめながら、彼はこう言った。



「君が言ったことには嘘があるはずだ。」



一瞬ドキリと心臓が大きく脈を打つ。


私は何ひとつも嘘をついたつもりはなかった。でも、私の体は、確実に彼の発言により動揺している。つまり彼の発言は、なにか私についての核心をついたということになる。


自分の心は彼の発言を否定しているのに、私の体は彼の発言を肯定している。


そんな自分の中で起きている矛盾に、頭がおかしくなってしまいそうな感覚がした。



「...嘘?何を言ってるんですか?」


頭がぐちゃぐちゃの中で、苦し紛れに彼に質問をした。ここで、彼が何も言えなければ、私のこのモヤモヤは消えると思った。


でも、彼は、その質問を待ってましたとでも言うかのように、ニコリと笑いながら、得意そうに話し始めた。



「さっき、君は永遠に残る関係を求めていると言っただろ?」



彼が発言するたびに、心臓の脈を打つ音がどんどんうるさくなっていく。



「...いいました。でも、そんなの関係な「関係あるんだよ。」...」



否定してみせようとしても、止められる。


もういい。それ以上は言うな。そう私の心が叫び出す。私の言うことを聞かない心と体のせいで、私が私でないように思えてくる。





「だって、関係というものは、1人では成り立たないものだ。最低2人必要。つまりだ。」


私は、自分自身が無意識に拒絶するその答えを知りたくなった。だから、彼の発言に、自分が操作できる前意識を集中させた。



「君は人を信じてないとか言いながら、本当は"心のどこか"で『もしかしたら』って思ってるんじゃないか?」


彼の指摘を聞いた瞬間、私は


(あぁ、そうだったんだ....)


と感心してしまった。




「...そんなことないです。」



でも、まだ認めたくない私もいた。


(もっと私のことを知りたい。じゃないとまだ彼の言うことが正しいのか分からない。

だから、もっと彼の意見を聞きたい。なぜそう思ったのか知りたい。)


そう思った私は、あえて彼の発言を否定する。



「なら、なんで僕にこの話をした?

信用も信頼も全くないやつにこんな話をするほど、君も馬鹿ではないだろ?

ましてや僕はそこらにいるような特徴のない人間だ。なんなら、そこらにいる人達より僕は下にいる存在だよ。

そんな僕に話すなんて、さっき言ったように、よっぽど頭が悪いか、誰かのことを信じたいって心が訴えてるかの二択だよ。」



「......」


驚きのあまり、私は黙ってしまう。


彼が、私ですら気づけなかった私の本性を見抜いた理由は、彼の自己肯定感の底知れない低さからだった。私の中にもしかしてというひとつの考えが浮かぶ。



「僕が言えたものではないけど、これは君の人生なんだから、君の好きなように行動してみるのもありだと思うよ。いつまでも心の檻の中に閉じこもってたら寂しいんじゃない?」



やっぱりだ。


『僕が言えたことでもないけど』

この発言で、私の中である事が確定した。





彼は、私と同じくらいの"闇"を抱えている。





「ま、色々大変そうだけど、頑張ってね。」



そう言いながら、彼はこの場を去ろうと歩き出す。



彼のことが知りたい。彼がなぜ闇を抱えてるのか知りたい。彼がなぜそこまで自分を卑下するのか知りたい。


父に叩かれてから、今まで湧いてこなかった好奇心が嘘のように湧き出し始め、どんどん私を飲み込んでいく。


彼を止めなければ、この先一生会えない気がした。


声をかけなければ、止めなければ。

そう思い、慌てて口を開いた。


「....っ!?」


でも、声が出なかった。


(あぁ、そうか。私、声の掛け方すら、もう、分からなくなってるんだ。)


人と関わろうとしなかった代償が今になって響いた。


せっかく見つけた私と同じ存在がどんどん離れていく。そのことにただただ絶望し、膝をつく。視界が一瞬でぼやけ、彼を認識できなくなった。


数秒の沈黙が続く。

その沈黙で、彼はどこかに行ってしまったのだと確信した。



「あ、そうだ。後ひとつ。」



「ぇ?」


後悔で、下を向いていた私の近くで不意に声がする。しかも、それはさっきまで聞いていたのと同じ声だった。



私は慌ててガバッと顔を上げた。

そして、ぼんやりとした人のシルエットを瞬時に捉える。



「またいじめられてたら、君が嫌だと言ってもまた助けるから。そこはよろしくね。」



私を、優しい声が包み込んだ。

彼が笑っているのが歪んだ視界でも分かった。


「っ!?なんで!?」


なんで、笑っていられるの?


なんで、人を助ける余裕があるの?


なんで、私と同じ闇を持ってるのに、そんなふうに生きられるの?



「なんでって....そうだね。僕は君を悪いやつだとも、酷い奴だとも思ってないからかな。それに、悪い奴だったとしても、いじめられていい理由にはならないだろ?」



違う。そんなことが聞きたいんじゃない。


私が聞きたいのはそんなことじゃない。



「じゃあ、今度こそ。じゃあね。」



ダメだ。まだ、聞きたいことは沢山あるんだ。ここで、もう会えなくなるなんて、絶対にやだ。待て。待ってくれ。



「ま、待って!」



気づけば、声が出ていた。

出そうとしても出なかった声が出ていた。



「なんだい?」



今なら声が出るからなんでも聞ける。

そう思った瞬間、聞きたいことで頭がいっぱいになる。ごちゃごちゃになった頭を慌てて整理して、今必要なもののみを残す。



「な、名前!と、学校名!教えて、くだ、さぃ...」



名前と学校名。これが、私が選んだ情報だった。なぜって?だって、これがあれば...



「あー、言ってなかったか...」



「わ、たしは、佐藤美由紀ってい、います。」



「佐藤さんね。分かった。

僕の名前は、石崎翔太。学校は霜野崎高校。もしまた会うことがあれば、その時はよろしくね。」



「...よろしくです。(未来の先輩)ボソ」





来年には、絶対に、"先輩"を見つけることができるでしょう?





この瞬間、私が行く高校が決まった。








_________________________________________


というわけで、後輩ちゃんの過去編でした。

次から元の時間軸に戻ります。よろしくです。





































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