2-1(アウレリア)

 毎日のように訪れている中庭も、夜になると途端に景色が変わる。月明りの下の花々は、アウレリアのぼんやりとした視界の中でも、太陽の下で見るのとはまた違う、艶やかさを湛えていた。


 先へ、先へ。周囲を囲む騎士から最も離れた、中庭の中央へ。そこにある、伸びやかに葉を広げた、この中庭で最も大きな木が、アウレリアの目的地であった。


 春先に綺麗な白い花を咲かせるその木は、コルドゥラという種類の木で、今は青々とした生命力に満ちている。そのコルドゥラの根元に座り、のんびりとした時が流れるのを感じることが、アウレリアにとって最も穏やかな時間の過ごし方であった。


 だから今日も、いつも通りここで息抜きをして、会場へ戻ろうと思っていたのだけれど。




「……誰だ」




 そう、背後から急に声をかけられて、足を止めた。同時に、首の横に冷たいものが押し当てられる感覚に息を呑む。




「ゆっくりと、こちらを向いて」




 低い声で続いた言葉に背筋に冷たい物が走る。クラウスを呼ぼうと、後ろを振り返りながら左腕を飾るブレスレットに触れ、そこに魔力を注ごうとして。はた、と動きを止めた。


 暗いので顔ははっきりと認識できないけれど、月明りに鈍く光る制服のラインに、見覚えがあった。というよりも、ついさっき目にした物。現在この中庭を守っている、黒騎士団の制服である。


 思わず、ほっと息を吐いた。王族を狙った侵入者でないと分かり、気が楽になる。王国に仕える騎士ならば、危険はないから。


 思い、「落ち着いて、私は……」と言葉を続けようとして。一度、口を噤んだ。


 彼はおそらく、人の気配がしたために、中庭の周囲からここまで足を運んだのだろう。つまり真面目な上に、かなり優秀な人物だという予想がつく。


 にも関わらず、自分が今ここで身分を明かせばどうなるか。

 アウレリアの首元には、月明りをきらりと反射する、白銀の存在。


 知らなかったとはいえ、王族相手に剣を向けるのは、重罪である。


 静かに、こちらの言葉を待つ騎士の目が、僅かな月明りに照らされてきらりと光っていた。




「私は、……じ、侍女。そう。侍女です。王女殿下に仕えている侍女で、……疲れているので休みたいと申し出たところ、王女殿下が中庭に立ち入ることを許してくださいました。すでにあちらの黒騎士の方にはお伝えしています」




 しどろもどろになりながらも、先程言葉を交わした黒騎士のいる方向を示しながら説明する。身分は偽ってしまったが、それ以外に嘘はないので大丈夫だろう。


 目の前の騎士は少し考えるような間を空けた後、「……証言だけでは、定かではないね」と呟いた。




「何か、君の身分を証明できるものはあるかい? この場を護る騎士として、急に現れた相手を簡単に信用するわけにはいかないからね」




 彼の言い分ももっともである。言葉だけであれば、誰でも言い逃れが出来てしまう。今、アウレリアの立場にいるのが別の人間で、何かを企んでいたとしたら、言葉だけで見逃してしまうなど、騎士として許されることではない。


 それは、それとして。




(証明できる物……。何か、何か……)




 自らの身体を見下ろしながら、必死に頭を巡らせる。こんなことならば、自分が王女であると明かして、さっさとクラウスを呼んだ方が良かったかもしれない。


 と、そこまで考えて、はっとした。これならば、一介の侍女や令嬢に用意できる物ではないから、きっと。


 思い、「騎士様、これを見てください」と言って、アウレリアは左の手首を彼の顔の方へと持ち上げて見せた。




「これは、王女殿下から貸して頂いた魔道具です。白騎士の紋章が入っているので、……って、見えません、よね……」




 思わず、頭を抱えそうになる。この僅かな月明りしかない暗闇の中で、ブレスレットに刻まれた小さな紋章なんて見えるはずがない。

 けれど他に、証明できる物なんて、と再び身体を見下ろして。


 すっと、持ち上げていた腕を、誰かの手が掴んだ。




「白騎士団の紋章と、……転移の闇魔法陣が刻まれているね。対象は、『亜麻色の髪、緑の目、細マッチョ、イケメン、クラウス・バルテル=ツェラー』……、随分と面白い座標の刻み方をしてる。クラウス卿といえば、王女殿下に心酔して、青騎士団から移動した白騎士だよね」




 「彼、有名だから俺でも知っているよ」と言う彼は、少し可笑しそうに笑って、アウレリアの首筋に当てていた剣を降ろしてくれた。どうやら、疑いは晴れたらしい。


 ちなみに青騎士団とは、国に仕える騎士たちの内、神殿に派遣された騎士団のことを示す。この大陸で崇められている神、女神レオノーレを祀る神殿と神官を守るために配置された、青空のように真っ青な団服を着こなす騎士たちだった。




(やっぱり、クラウス卿は有名なのね)




 アウレリアは昔、彼女だけが持つとある力を使って、クラウスの妹の命を救ったことがあった。直接ではなく、間接的に、なのだが。当時青騎士団に配属されていたクラウスはそのことに感銘を受け、自ら志願して白騎士団に移動し、アウレリアの護衛となったのである。


 彼はツェラー侯爵家の嫡男でもあり、容姿優れ、剣の腕も確かであるため、人々の話題になるのも無理はない話である。


 それは良いとして。暗がりでブレスレットを目にしただけで、目の前の騎士は闇魔法の魔法陣を読み解き、そうすらすらと言い当てた。クラウスの話題よりも、アウレリアはそのことに、驚きを隠せなかった。


 闇魔法というのは、七つある魔法元素の一つで、空間を司る魔法である。何一つ存在しない闇という名の異空間を通じ、対象を見つけ出して動かす、または空間などを創り出す魔法であり、他の魔法よりも精密な魔法陣を編むことが必要とされている。そのため、極めるどころか使える者さえ少ない、希少な魔法なのである。


 そんな闇魔法の魔法陣を読み解いたということは、彼は少なくとも、闇魔法を使うことが出来る闇魔法使いに他ならなかった。




「起動すれば、王女殿下の第一護衛騎士が呼び出される魔道具を貸し与えられているとはね。これはさすがに、信じるしかないかな」




 言いながら、彼は掴んでいたアウレリアの腕を放してくれた。ほっと、息を吐く。とりあえず、難は逃れたらしい。と言っても、アウレリアのではなく、彼自身の難なのだが。


 アウレリアはひとまず笑みを浮かべると、「信じて頂けて嬉しいです」と呟いた。これで解放してくれるだろうと、そう思ったから。しかし。


 「それじゃあ、俺が付き添わせてもらうね」と、彼は先程よりも随分と軽い口調で言い出した。




「有り得ないとは思うけれど、王女殿下の魔道具を盗んでいないとも限らないから、一応ね。……ああ、俺のことは気にしなくて良いよ。その辺の木か草か何かとでも思ってもらえたら」




 見えてもいないのに、にっこりと微笑む騎士の姿が目に映った気がした。

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