第27話 堕天使とグレムリン王

 門番のドラゴンを倒して城を振り返ると、扉がゆっくりと左右に開かれていくのが見えた。オベールさんを手荒くたたき起こし、次なる場へと足を運ぶ。


「ずいぶんとご立派な城だな」


「僕が以前に来たときは廃墟でしたが、ここまで見違えるとは……」


 整然とした城内には等間隔で松明たいまつが灯されており、想像よりも明るかった。空調が効いているのか温かく、冷え切った体に心地よい。

 すぐにまた戦いになるかと思いきや、遭遇するグレムリンたちは俺たちを見るなり奥に向かって逃げていった。こちらをうかがいながら付かず離れず移動する様子は、さしずめ案内人といったところ。


「どうせまた罠なんだろうなあ。このまま引っかかってやるのもしゃくだ」


「それじゃ、別の部屋を覗いてみるってのはどうかね?」


「それいいわね」


 抗議するように震えだした懐中時計をポケットに押し込んで、試しにとりあえず目についた部屋へ入ってみることにした。


「何かしらここ。白くてぶよぶよしたものがいっぱいうごめいてる……」


「げっ! こいつら幼虫だ!」


「はわわ、なんという大きさなのでしょう……」


「──おや、皆さん。こんな所でいかがしましたか?」


「あ、あんたはベルヒトルト! そっちこそここで何してるんだ?」


蛆虫うじむし療法にございますよ。ここの幼虫たちは、私の腐敗した部分を食べてくれるのです。あなたたちもいかがですか? とても気持ちがいいですよ」


「イヤすぎる! さようなら!」


 ぞっとした俺たちは慌てて部屋を出ると、勢いよく扉を閉めた。


「ふう……素直に付いていこう。って、グレムリンはどこ行った?」


「やれやれ。魔王を怒らせるとあとが怖い。ここはわたしに任せたまえ」


 ラ・トゥールはそう言うと鼻先を震わせて先頭に立ち、迷うことなく歩み始める。やはりこういうときは占い師に限る。先ほどもさりげなく手を貸してくれたし、こう見えて頼りになる男だ。


「この部屋はまさか拷問部屋? ギロティンがあるってことは処刑部屋か……」


棺桶かんおけが並んでるわね」


「どうして地下に降りたのです? おそらくピットナッチオは上にいるかと……」


「仕方ない、戻るとするか。ところでチュン二郎、何か忘れてはいないかね?」


「はあ、今度は何ですか」


 期待外れのマイオマンサーにがっかりして、俺はそっけなく返した。


「この先にピットナッチオが待ち受けている。眼鏡は大丈夫なのかと聞いている」


「あっ……」


 そこでようやく気がついた。この男はとぼけた振りをして、俺を試していたのか。


「すっかり忘れてた。あいつは俺の弱点を知っている。でもどうすりゃいいんだ?」


「あんたなにも考えてなかったの?」


「ふむ、ならばこうしようか。チュン二郎はしばらくコンタクトをつけて戦う振りをして、わたしがこっそり援護する。三分経ったら交代だ」


 単騎で無双するのと仲間との共闘ならば、後者のほうが憧れるかもしれない。

 そもそも俺はひとりで人前に立つのは得意でないし、主役という柄でもないのは自分が一番よくわかっている。最初からこの流れは決まっていたようなものだ。

 こちらを見つめる頼もしい仲間たちにうなずくと、三人はうなずき返した。


「では参ろう」


 階段を上がって正面に突き進むと、いかにも怪しげな一室が見えてきた。おそらくこの先に、グレムリンを統べるピットナッチオがいる。

 俺たちが目の前に立つと、やはり扉は自動で開かれた。招かれるままに歩を進め、部屋の中央部で足を止める。


「なんじゃこりゃ……。見わたす限り、鳩時計だらけじゃないか」


「鳩? カッコウでしょ」


「え、そうなのか? そういや日本では、カッコウは閑古鳥と呼ばれて不吉とされているから、鳩になったと聞いた覚えがあるな」


「この国では、妖精が作り方をもたらしたと言われているのよ」


 その時、部屋中に掛けられたさまざまな飾り時計が、一斉に音を立て始めた。


 ゴーン、ゴーン、ゴーン……


 カッコウ、カッコウ、カッコウ……


 寸分の狂いもなく、すべて同時に正午を告げる。異様な光景に圧倒されて、思わず足が立ちすくんだ。


「ようこそ諸君」


 正面に鎮座していたひときわ大きな置時計が、不意に言葉を発した。

 それは時計の文字盤を模した仮面をかぶる奇怪な老人。穿たれた穴からニタついた瞳と歯を覗かせ、首からは振り子の飾りをぶら下げている。あぐらをかくように玉座へ腰かけ、人よりも小柄、グレムリンよりは大きい、悪魔──


「ピットナッチオ!」


「オベールさん、出ちゃダメだ! グレムリンの王め、ジェランドさんはどこだ!」


「ここにはおらぬ。さあ、生きた時計をこちらに寄越せ。これが最後の通告だ」


「断る。お前を倒し、彼女を取り戻す」


「話のわからぬ小童こわっぱめ。よそ者のお前にはかかわりのないことだろう」


「目の前で人がさらわれて黙っていられるか!」


「やはり運命には逆らえぬか……。よかろう、我が直々に相手をしてやる。出でよ、ウィジェット!」


 時計の裏に隠れていた獣型のグレムリンたちが続々と姿を現した。あっと言う間にこちらを取り囲み、邪悪な笑い声を上げる。


「運命ってのは自分で切りひらくもんだ。猫に勝った鼠の恐ろしさを教えてやる」


「同じ手を二度も食わぬ。お前たち、耳栓をしろ!」


「えっ!?」


 湖の戦いで痛い目をみたせいか、簡単にラ・トゥールの対策がされてしまった。

 あの数を一匹ずつ対処するのは骨が折れる。これはしてやられた。

 するとカロルが、皆の前に一歩進み出て微笑んだ。


「ここはあたしに任せて。たまには良いとこ見せたげる」


「あんな大勢を相手にどうする気だ?」


「なあに、ガストロマンサーを舐めるんじゃないわよ」


 胃を司る占い師がいったいどう戦うというのか。

 百体近い大群がじりじりと距離を詰め始める。オベールさんが気を失わずに耐えているのが不思議なぐらいヤバイ光景だ。


「ほうらグレムリン、エサの時間だ!」


 少女は腰元のポーチから何かを取り出そうとした。


「って、引っかかって、ああー!! あたしのチョコレートがっ!」


 かっこいいセリフの直後、小さな丸い粒を大量に床にぶちまけて台無しになった。


「何してんだよ!」


 甘いお菓子の名を聞いてグレムリンたちの目の色が変わった。我先にと群がって、拾った粒を口に運んでいく。

 スイスのチョコレートは有名だ。あれが裏と表、どちらの世界で作られたものかは知らないが、このところ質素な食事で我慢してきた俺も、その中に加わりたいぐらいに引き付けられる魅力を感じた。


「よせバカども、それは罠だ!」


 グレムリンの王は慌てて叫ぶも、あれだけあった小さな粒はすっかり配下の胃袋に収まっていた。

 そういや胃袋をつかむなんて恐ろしい言葉があったな。まさかこいつ……。


「治すちからがあるのなら、その逆もしかり。溶けて爆ぜよ、油玉!」


「油玉?」


「使い古したぎとぎとの油を甘いチョコレートでコーティングしてあるのよ。これを食べれば胸焼けすること間違いなし!」


 その言葉どおり、グレムリンたちは胸を押さえながらもがき苦しみだした。

 時計の部屋を埋め尽くしていた大軍勢が、次々と床に転がっていく。


「なんて恐ろしいことを!」


「二郎、勝てたらご褒美で料理を作ってあげるわ。負けたらどうなるかわかっているでしょうね」


「ひぇっ……」


 一番やばい奴がこんな近くにいたなんて。

 俺は眼鏡を外すと段取りに従って、緑カビのチーズを口に放り込んだ。


「みなぎってきた! 次は俺様の出番だ。覚悟しろ、ピットナッチオ!」


 カロルが隙を作ってくれたお陰で、その直前にコンタクトをつけることができた。

 視界も良好。このタイムラグをどう活かせるか。


「くだらん! 出でよスパンデュール! 奴らを氷漬けにするのだ!」


 ピットナッチオはあぐらを組んだまま宙に飛ぶと、しわだらけの両腕を掲げる。

 突如として魔法陣が浮かび上がり、その中から毛むくじゃらの妖精が五体現れた。それらが重い響きとともに降り立つと、たちまち周囲の気温が急激に下がっていく。


「な、なんだ? デカいグレムリン!? あんな奴までいるのか!」


「まだだ! 出でよフィフィネラ!」


 王だけあって配下には事欠かないようだ。さらには翼をもった無数の飛行種が姿をを現し、コウモリのように天井を飛び交った。


「雑魚はあたしが引き受ける。二郎はあいつらに集中して!」


「よし、氷には熱と相場が決まってる。ヴィヴァルディの『夏』だ!」


 俺はあえてタイトルを口にした。もちろんラ・トゥールと連携をとるためだ。

 本当は別の曲で打ち合わせていたが、敵を見て勝手に変えた。柔軟なこの人なら、きっと合わせてくれるだろう。


 いきなりアップテンポの第3楽章を開始する。夏の嵐を表現したこの曲は、かなり攻撃的な曲である。夏の暑さを表した気だるい第1楽章は、まさにカッコウが鳴いているという設定だったはず。ならばこの大広間はおあつらえ向きの舞台だ。

 敵のフィールドをも取り込んで、俺はマイオマンサー、いや、今はパイドパイパーと言うべきか、ひょうきんな男の前に立って演奏を繰り広げる。


 ラ・トゥールは背後に隠れながら、それでいて普段見せることのないアグレッシヴな一面を垣間見せた。思えば彼もまた差別と闘ってきた節がある。魔術師のあいだで起きる闘争など知る由もないが、人知れず内側に抱える熱情があるのかもしれない。


『グガアアアアア!』


 通常のグレムリンとは桁外れなパワーをもつ大型種スパンデュールは、まるで雪男イエティのごとく白い剛毛を逆立てながら、凍える冷気を巻き起こした。

 ラ・トゥールはまるで俺が攻撃しているかのように装って、自らを主張せずに音波を飛ばしまくる。

 やはり熱気を帯びた攻撃は効果的なようで、冷気を操る化け物はうめき声を上げてのたうち回った。


『キィィィ! キィィィ!』


 すぐ頭上には甲高い叫びが交錯している。

 カロルもまた、厄介な飛行種を相手に善戦していた。餌まきが効かないと悟るや、彼女は手を掲げて直接念力をかける素振りを見せる。先ほどよりは数の少ない相手を一体ずつ仕留め、着実に床へ撃墜させていく。


 胸を抱えてもがき苦しむグレムリンたちを見て、俺はこの娘を敵にしてはならないと心に誓う。特殊な医者とはいえ、彼女もやはり一介の魔術師なのだ。

 攻撃手段はないと言っていた気もするが、癒しのちからを反転させる恐ろしさに、恐怖の念を禁じえない。


「ひるむな! 数ではこちらが有利。我らを侮る愚か者どもに裁きをくれてやれ!」


 演奏する己の体中で、何か違和感があった。先ほどのドラゴン戦で消費したチーズの消化が進み、次の準備が整った感覚。

 やはり時間をかけて正解だった。ラ・トゥールは具体的なデメリットを知らないと言いながら、こちらの体調を占っていたのだろう。


「うぅ……」


 中央で守られているオベールさんが、己の無力を嘆くようにうめき声を漏らす。

 気持ちはわかるが、気を失わないだけ彼も成長している。魔法のチーズでチートをしている俺よりも、ずっと頑張っていると言えるかもしれない。

 待っていてくれ、ジェランドさんは必ず救い出す。それまでの辛抱だ。


 演奏を終えると同時にスパンデュールの巨体は熱に耐えきれず溶け出して、頭上を飛び交っていた飛行種はすべて床を舐めていた。

 カロルにはだいぶ疲労がうかがえるが、ラ・トゥールには余力を感じられる。これが見習いとマスターとの差なのだろうか。


「勝負あったな!」


「ありえん! あれほどの数をたった三人で……」


「さあ、ジェランドさんを解放しろ! さもなくば次はお前の番だ!」


「カカカッ! 我の手札はいまだ尽きぬ。これまでは貴様を消費させたに過ぎぬわ。きっちり三分。すべては計算どおり」


「お前、カップラーメンをちゃんと三分待つタイプだな。固いほうが美味しいのに」


「これだから最近の若者は……。せっかちな奴にはお仕置きだ! 出でよ──」


 その時だった。それまでおとなしくしていたオベールさんが、信じられない脚力でもって、宙に浮かぶピットナッチオに飛びかかったのだ。

 敵味方双方から戦力外と思われていた人物の強襲に不覚をとったグレムリン王は、泡を食ってバランスを崩した。


「ぐわあああああ!」


「ジェランドを返せ!」


 落下した二者は、取っ組み合ったまま床を転げまわる。

 これが愛のなせる業なのか。天井の高いこの大広間で、敵は三メートル近くも上に居たように見えたが。

 だが、悪魔を相手に無謀が過ぎる。オベールさんは突然、見えないちからによってはるか後方へと吹き飛ばされた。


「ぐはっ……」


「大丈夫ですか!」


「ゴミクズめが。そんなに死を望むならくれてやる。今、貴様の目の前で。出でよ、ザカリウスの娘よ!」


 ピットナッチオは再び宙へ飛び上がると、深いしわの刻まれた両腕を掲げて魔法陣を生みだし、美しき乙女を呼び出した。気を失っている彼女を抱きかかえ、白い首筋に長く伸びた爪を当てがう。


「ま、まずい……」


「お遊びはここまでだ! さあ、小童、生きた時計をよこせ。ザカリウスの心臓を! 機械神の神格を!」


 邪悪なる本性を現した悪魔は、その赤い眼をらんらんと輝かせた。

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