入れ替われるなら、あなたをもっと愛したい。

豚肉の加工品

第1話 無垢とギャル 1

 人間には抗えない瞬間がある。

 食欲。

 睡眠欲。

 性欲。

 どうして抗えないのか?そんなことを考えるまでもない。


それが人間だからである。


 ただ、周りにこんな奴らはいないだろうか?

 睡眠を削ってでもゲームをしていたり、食欲を抑えてでもダイエットをしていたり、性欲を抑えてでも真面目な人間でいたりするような人たちが。


「あははっ、マジそれ」


「マジでやべぇっしょ?」


 クラスで中心的な人間。

 それが前者で、


「…………」


 そのクラスで中心的な人間に自分の席を奪われ、それを眺めているのが、後者の自分なのだろうかと考える。


「あはははっ……――――あ、わりーな、席座っちゃって」


「い、いや……いいよ」


「マジ?サンキュ――――てか……お前身長高デカくね?」


「今全く同じこと考えてたわ」


「なんか少しゴツい気もしてきたなぁ、なんかやってんの?」


「いや?そんな言うほどのことでもないよ?」


「……ふーん、あっそうなのね――――とりま、席借りとくわ」


「うん」


 この流れを高校生になってから、既に二年間味わっている。

 まぁ、これと言ってクラスに要はないし。そもそもクラスに友達と呼べる人間はいないし。昼休みは広場にある自動販売機で飲み物を買っては、ただ時間を過ぎるのを待つだけの生活を送っているだけの高校生活だ。


「はぁ……」


 楽しそうに話している人たちにはため息を聞かれないよう、静かに教室を出る。

 昼休みが終わるまでいつもの場所にいよう、そう考え何を考えることもなく校庭に向かって歩き始めた。


 「それじゃぁ、気をつけて帰るんだよぉー」


 少し年配の担任がそう言った。

 もう既に帰りの会が終わっていたようだ。


「んじゃ、皆でカラオケ行くべ」


「あたしはパスで」


「うちも~」


「うぇ?なんで?」


「今日はこれからデートなんだわ」


「あぁ~、あのカッコいい人?」


「っそ、杏奈は?」


「うちはパパが待ってるからね~」


「あんた……そういうのほどほどにね?」


「マジかよー、そんじゃ俺らもナンパ行く?」


「乗った」


 楽しそうで何よりである。

 とんでもない高校生活を送っている様子ではあるが、何だか毎日楽しそうだ。きっと朝起きてから眠るまで全身全霊で楽しんで生きているのだろう。そんな彼らを少し羨ましく重いながら、未だに真新しい鞄を持って学校を出た。


 門を潜り、家に入る。


「ただいま」


「おかえりなさい、龍昇りゅうしょう


 そこで待っていてくれるのは、いつも母だ。

 着付けや生花など様々な講師をやっているためか、所作が美しいと家族でありながらも見惚れてしまう。


「ほら、お父さんも待ってるわよ」


「うん。行ってくるね」


「はーい、気をつけてね」


 家の裏にある道場。休日のみ一般解放しているそこには一人の男性が座っていた。

 隣にはベコベコに凹んだ鉄製のマネキンが何体も倒れており、少しだけ鉄の匂いが漂っている。


「待っていたよ、龍昇」


「ただいま、父さん」


 その優しい声音とは裏腹に、こちらを見据えた両眼はギラギラと研ぎ澄まされた刃のように輝いている。今もなおそれは研ぎ続けられている、膝の上に乗った血で赤くなる両拳が、そう物語っていた。


「さぁ、準備して来なさい。稽古を始めるよ」


「うん」


「あと一つ……その長い髪は切った方がいいんじゃないかい?学校の頭髪検査で引っかかるよ?」


「う……ん、髪を結い上げると集中力が増す気がするんだ。注意されてからじゃ遅いかな?」


「集中できるならいいんだよ。ただ、龍昇が注意されるのは親として悲しいことではあるからね」


「大丈夫だよ」


 皆、自分のことなど見ていないから。

 その言葉を寸で止め、黒い道着に着替えた。


「さて、いつも通り始めようか」


 戦国時代から続く武術、それが代々一子相伝で伝わっている。

 古からの一子相伝。聞こえはいいが、ふと気がついた時に「自分は今、凄まじいものに巻き込まれているのでは?」なんて少し疑心暗鬼のようになりかけたことがあった。だが、物心がつく前から日常と化していたものなので、辞めるという選択肢はありえなかった。

 武術は良い。鍛錬という言葉がどういうものなのか教えてくれる。

 やり続けていれば、必ず結果に現れる。

 それに才能は必要ない。努力も必要ない。


やれば出来る。というのを教えてくれる。


「さぁ、母さんが夕飯を作る前には終わらせるからね」


「よろしくお願いします」


 そして、「今日も自分は日常を送れている」という実感しながら鍛錬を行った。





 夜の街。

 どこか憧れを持ってしまうような綺羅びやかさを持ったその言葉は、未だ現実というものを知らない若者たちにとって大人になったと勘違いさせてしまうような魅力があった。


「パパ~このバック超良くない?」


「はははっ、確かに可愛いなぁ~。杏奈ちゃんに凄く似合いそう、よし、それじゃこのバックをプレゼントしちゃうぞぉ」


「えー!やったー!パパ大好きっ」


ょっと!!


「ん?――――」


ジ、やめろって!!


 どこからか聞こえる声に、耳を傾けた。


「(この声……――――ま、いっか)」


 ただ知り合いに似ているだけで、実際には違うだろう。


「なんだか声が聞こえないかい?杏奈ちゃん」


「どっかで痴話喧嘩でもしてんじゃない?それよりさ、もう行こ?」


 少しだけ汗ばんだ自分の父親よりも年齢が高い人。

 それに対して少しも嫌な顔をせず、むしろより笑顔になってその場から離れていく女の表情は作られたかのように笑顔だった。


「ちょっと!マジでやめろって!!」


「いいじゃん、いいじゃん。優希もそろそろって思ってホテル街ここ来たんだろ?」


「はぁ!?んなことちっとも思ってねぇから!離せって!!」


 力づくで掴まれた腕を振り払い、全力で走り逃げ出した。

 幸いにも、ここまで商店街に近い。この道を真っ直ぐ走り抜ければこのホテル街から抜け出せる。

 遠くに見える赤く光る信号灯だけを見つめ、このままでは不味いという焦燥感に駆られるように逃げ出した。

 だが、そんな考えはあっさりと崩壊する。


「いや、待てや」


「っ!」


 先程とは違う。

 握られている感覚ではなく、痛いという感覚が先にくるような力。


「……はぁ、ダルっ。お前ホントダルいわ」


「痛っ!」


「もう仲間も呼んだし、ここに来た時点でお前は俺に着いてくるしかねぇの。そんくらい高校生なら分かでしょ?」


「は、はぁ?」


「チッ……はぁ?じゃねぇんだよッ!!」


 急な大声で体がビクッと反応した。


「お前は!俺とここに来た時点で詰んでんの!!分かったらもう言う事聞けや、そもそもお前高校生だろうが!言う事聞かなかったらどうなるかくらい分かってんだろ!?なぁ」


 そして思ったのだ、


あぁ……もう駄目だ


 もう逃げられない。怖い。終わった。怖い。助けて。怖い。詰んだ。怖い。暴力はやめて。言う事聞くから。もう何でもするから。怖い。痛いのは嫌だ。

 色んなことが頭で反芻する


「おら、来いや!」


あ、終わった。


 力づくで引き寄せられたのに、体が抵抗しなかった。

 もう恐怖で抵抗する気がなくなってしまったのだから。

 走馬灯というのは、死ぬ時以外でも見ることを初めて知った。この一度きりしかない人生の終わり――――それこそ、人生が終わる瞬間にも走馬灯というものは見えるのだ。


「今からその体に教えてやっからな?明日からのお前の生活が楽しみだなぁ?」


 心では、助けて!と叫んでいる。

 でも体はもうとっくに死んでしまった。

 もう夜だ、この時間にわざわざ面倒事に救いの手を差し伸べてくれる人はいない。そんなことはここ数年で理解している。


でも、誰か……助けて


 その声にならない声が誰に届くのだろう。

 その涙を浮かべた表情が誰に見られるのだろう。

 その答えは――――意外にもすぐに訪れた。


「あの~、女の子にそんな乱暴しちゃダメですよ?」


「あ?」


「へ?」


 その人物に視線だけ送る。

 髪を上げ、後頭部で一本に結ぶ男だ。ただ、その顔はマスクによって見ることはできない。


「なんだ、てめぇ……」


「い、いや名乗るほどではないですよ」


「名前を聞いてんじゃねぇよ!こいつの何だって聞いてんだ!」


「いや――――」


 目があった。


あれ?この人……どこかで――――


 女がそんなことを思っていると、四人組の男がこちらを見て歩いてきた。

 いかにも、目の前で腕を掴んでいる人と同類。仲間と呼べるような人物たちだ。

 だが、それに気付くこと無く助けに入った男は言葉を続けた。


「一応、顔見知りっていう感じですね」


「顔見知り?は?ラリってんのお前?チッ――――あぁ、もういいやめんどくせー。やっていいぞ、お前ら」


 その言葉で、後ろにいた四人組の一人が男の背後から襲いかかる――――


「いっ―――!!」


 言葉にならない声が喉元でつっかえた時、あたしの目には信じられない光景が広がった。


「っんぶ……」


 背後から襲った男の顔面に拳を叩き込んだのだ。

 そして倒れ込もうとする男の胸ぐらを掴み引き寄せて、鼻っ柱に頭突きを何度か叩き込み、胸ぐらを離した。


「え……っと、ごめんね?反射的に」


「てめぇ……――――」


 隣に立っていた男がキーケースから鍵を突き立てたまま、男の首目掛けて腕を振り下ろす。だが、これもあっさりと受け止めて腕を捻りながら背負投げる。

 頭から着地した男からはゴリッ!という音が聞こえ、体が痙攣し始める。

 その、あまりにも流れるように行われた行為に、周りが静まったように感じる。


「あ、あの……何で一人ずつ?」


「は、は?」


「全員で来るでしょ?こういうのって、違うのかな?」


「何を言って――――」


「まぁ、とにかくその子の腕放そうよ?ね?痛がってるよ?」


 最初の頭突きの連続によって額から血が垂れているのを拭き取る姿を、四人組の残る二人はただ静かに眺めた。

 手が出せないでいたのだ。二人が遊びでは片付けられないような姿になってしまったから。そして女の腕を握っていた男は女の腕を放した。

 それと同時にポケットからナイフを取り出した。


「て、てめぇ……!!やっちまうぞ!!あぁ!?」


「お、放した。痛くなかった?」


「あ、え、え?」


「――――なに無視してんだよ!!」


 声を荒げながらナイフを突き出してきた男に目もくれず、突き出されたナイフを避けて腕を掴むと開ききっていた横腹に蹴りを入れる。


「ぐふっ……!?」


 空気が漏れ少し唾液が漏れている口元に向かって、更に追い打ちの拳。そして握られたナイフを蹴り上げてから、髪を掴んで地面に顔面から叩きつけた。


「は、刃物は危ないよ」


 そう言うが、地面に叩きつけられた男には届いていないだろう。

 顔か頭か……それとも鼻からなのかは分からないが血が垂れ流れている。


「もう向かってこないよね?」


 残る二人は、その静かな言葉に腰を抜かしている。


「うん。もう大丈夫そうだね」


 そして彼は、あたしの腕を優しく絡めて硬直した体を先導してくれる。

 近くで見ると背が高い。


そして……いい匂いがする。


「もう夜も遅いから、近くまで送ろうか?それとも一人で帰れる?」


「いや」


「うっ……じゃ、じゃ送っていくね?」


 反射的に彼の腕に抱きついてしまい、彼の体が震えた。

 あたしに気を使うように歩幅を合わせてくれる。

 あとの事は、あまり覚えていない。気がついたら家に帰っていた。


でも、あの声は忘れない。

あの瞳も、あの体も、あの雰囲気も、忘れることはない。


 奥底から恐怖した次の日の朝の目覚めは、物凄く勇気で溢れていた。

 そして、


「さっ、あの人を探しますか……」


待っててね?




 

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