第15話:「夕」

 翌朝。かい紫月しづきの二人はホテルを発ち、静岡県警に見送られるようにして新幹線で東京へと戻った。結局のところ、紫月は駅への移動中も新幹線の中でも眠そうにしていた。


 とはいえ、二人は何事もなく東京駅へ到着した。一方で、加茂を始めとする祈祷課及び陰陽課は、警察の捜査との兼ね合いで祓の事後作業が中々片付かず現地に残留中だが、それはさておき。


 紫月は実動祭祀部の用意していた車両で東京駅から直接帰宅し、戒はというと怒涛の連続勤務で霞ヶ関へと戻っていた。


 とよも交えて、あの淡島あわしまという男についての会議である。


 戒としては東京支部で簡潔に報告をしてから本部の日女ひめ神社へ向かうものと思っていたのだが、いざ警視庁舎内の実動祭祀部東京支部へ戻ってみると、驚いたことにとよがいた。


 平然と、応接スペースのソファにちょこんと座っている。一方で、とよの正体をしっているフロア内の職員たちは全く平然とできていないようだったが。


「……いらしていたのですか」


「ええ。私一人がここまで来ればいいだけですから、そちらの方が早いでしょう?」


 護衛の人員が日女神社まで行く必要があるのだから、そちらも手間である。


 大方、霞ヶ関を見てみたかったとか、そんなところだろう。


「事情は聞いています。紫月さんの様子は?」


「大事無かったとは言えませんが。少なくとも引きずっていることはなさそうです」


「状況を考えれば、良かった、と言うべきでしょうね。ただ……すいません。やはり先に伝えておくべきでした」


「それは……」


 戒がその言葉に尋ね返そうとした時、フロアの奥からひょっこりと大野が顔を覗かせた。


「おう、帰ったか。悪いが早速始めちまおう」


「……はい」


 とよから話を聞きたいところだったが、戒はそれを切り上げ、とよと共に会議室へと向かった。


 いつぞや福井警視を招いていた会議室に、ぞろぞろと人が集められる。いるのは実動祭祀部部長である大野、護衛課副課長の日比谷、そして祈祷課と陰陽課からはそれぞれの長の二人。そして戒と、主役であるとよだ。ちなみに、物見遊山ものみゆさんで覗きに来た人間がそこそこの数いたが、日比谷にまとめて追い払われていた。


「まず、淡島新あわしまあらたと名乗った男のことよりも先に、皆さんに話しておくことがあります」


 全員が席に着くなり、とよがそう切り出した。


「私が、紫月さんの護衛に戒さんを指名した理由です」


 どうやら、戒個人ではなく、ここで話すつもりだったようだ。


「皆さんは、イマジナリーフレンドというのをご存じですか?」




「ただいまです」


 二十三区内、某所。


 丸一日ぶりに自宅であるマンションの一室へ帰って来た紫月は、誰も人がいないと分かっていても、そう口にした。彼女の養父は、ほとんど家に帰ってくることはないのだ。


「……おかえり。遅かったね」


 そのはずが、広々として無機質な部屋の中から、どこからともなく声がした。


「ちょっと、いろいろあって」


 紫月はその声に驚くことも怖がることもなく、笑顔を作って返答する。


 いつの間にか、テーブルセットが置かれているだけのリビングに、誰かが立っていた。


 少しウェーブのかかった髪を降ろした女性で、服装も年齢も大学生のように見える。少し年上に見られようかという顔立ちだが、雰囲気は少女然としていた。


「大丈夫? 顔色悪いよ」


 その人物は、音もなく紫月に歩み寄って、顔を覗き込む。状況がいささか異様であることを除けば、二人の間にある空気は仲の良い姉妹のそれだ。


「ホテルだと寝れなくて」


「あー、分かる。うんうん。硬いよね枕」


「夕ってホテル泊ったことあるの?」


「まあ、想像の中で?」


 夕、と呼ばれたその女性が、あっけらかんと言う。


「……そうだよね」


「む。なんだねその貧乏人を見るような目は」


「いや貧乏人っていうか、夕は……」


 と、夕が紫月の言葉を遮る。


「駄目だよ。言っちゃうと悲しくなるでしょ、紫月が。ね」


「……ごめん」


「それで、今日は学校お休み?」


「ううん、午後から」


「行かなくていいんじゃない? 大変でしょ、生箭日女いくさひめって」


「まあ……風邪ひきましたってことにはしてくれると思うけど」


 紫月はウラ方だ。人の口に戸は立てられないのが常であるため、紫月の正体が広まらないよう、彼女の正体を知る人間は極々限られている。


 彼女の通う学校の教員はその限られた人間にあたり、頼めば便宜を図ってくれるわけだ。


「でも、折角だし行きたいなって」


「えーわたしだったら絶対午後も休みにしちゃうのに」


「夕って学校行ったことあるの?」


「想像だよ想像」


「もう」


 とその時、玄関のドアが開く音がした。


「……帰っていたか、紫月」


「あ、お義父さん。おかえりなさい」


 笑顔を見せてに振り返る紫月。


 その隣には、誰も立っていなかった。




 場所は戻って、霞が関。実動祭祀部東京支部。


「――よし。噛まずに言えました」


 慣れない横文字をきちんと言えて満足げな神様はさておき。


「確か、年少の子供に見られる、自ら創り上げた空想の友人、ですか」


 戒が答えると、とよは頷いた。


「ええ、それともう一つ。似た存在に、タルパというものがあります」


 今度の言葉は、戒には聞き覚えがない。


「……神秘主義の考え方ですな。元となる言葉はサンスクリット語のニルマーナ。意味は応身おうじん、或いは化身けしんでしたか」


 答えたのは祈祷課の課長だった。総白髪の老人だが、頑健そのものという雰囲気がある。


「えっと……、そりゃ、何ですか」


 頭を掻きながら訊いたのは大野だ。


「簡潔に説明するのは難しいな。だが、例を示すことなら、極めて簡単だ」


 祈祷課の課長は手でとよを示す。


「とよ様?」


「ああ。語弊も含む言い方をしてしまえば、ニルマーナとは神仏が本来とは異なる姿で人の前に現れたものだ。応身とは仏教用語であるから、とよ様を指すなら化身というのが正しいだろうな」


「では、タルパとは」


 大野に促すと、今度はとよへ説明のバトンが戻る。


「ニルマーナのチベット語であるトゥルパから派生したものです。最近の考え方なので私も細かいことまで頭に入っていないのですが、簡単に言ってしまえば、霊的に実在するイマジナリーフレンドです」


「留意しておくべきなのは、イマジナリーフレンドとはあくまでも空想上のものに過ぎないが、タルパは実体を持って存在するものだということだ。イマジナリーフレンドを発生のきっかけとするかもしれないが、あくまで別物だ」


 とよの説明に祈祷課の課長が補足を入れる。


「なるほど。言いたいことは見えてきましたな」


「……上代は、そのタルパを生み出す力がある、と?」


 戒が訊く。


 それならば、神産かみうみと言われてもさしたる語弊はないはずだ。


 日本における神とは、八百万やおよろずの神々という言葉があるように、元々は万物に宿る精霊と言える。それが祀られれば神となり、災いを成せば鬼と呼ばれる。そしてタルパというものも、今の説明からすると、言ってみれば精霊だろう。


「理屈としては非常に近しいです。しかし、否と答えるべきでしょうね。紫月さんのものは、その名の通りの力です。彼女から生まれる存在は、タルパなどという生易しい程度のものではありません。神なのですから」


 会議室に再び静寂が訪れる。


「……失礼ながら、とよ様。それの何がどうなのか、我々人間には分からんのです」


 訊いたのはまた大野だった。


「我々からすれば、神とは見えぬものです。生箭日女やとよ様という存在もありますが、彼女らもあなたも、人であることに変わりはない。我らが確かに見えているのは、人としての在り様だけ。神がいる、生まれると言われても、それが何なのか見当がつきません」


「ああ、そっか。そうですよね」


 まるで本当に今しがた気付いたように、とよが手を打った。いや、まるでではない。本当に、今その事実に気が付いたのだ。大野が言ったように、とよは紛れもなく人の身体だ。だがその存在の根の部分は、紛れもなく神なのだ。


「恐らく、紫月さんから生まれた神も、彼女のそばに居るだけなら何も問題はないのでしょう。タルパもそういうものです。ですが、神なのです。大きな力を持つ。力というのは、存在するだけで周囲の物事を動かす。それは神でも人でも変わらないでしょう」


「淡島という男が現れたように、と?」


「ええ。ですから、無理を言って戒さんを護衛に付けたのです。万が一があってはいけませんから、実戦経験のある人を、と。それで行くと一番は優索ゆうさくさんなのでしょうけど、護衛までお願いしたら過労死してしまいそうでしたから」


「そりゃあ、どうも」


「……知っていらしたのですか? 淡島のことを」


 少しの間を置いて、その事実に気付いた戒が口を挟む。


 時系列がおかしいのだ。


 淡島の情報が実動祭祀部にもたらされたのは、紫月の護衛に戒が選ばれてしばらく経ってからのこと。それより以前に淡島と紫月を紐づけて考えることは無理だ。


 警視庁から秘密裏に情報を貰っていた可能性も全くない。福井警視の部下とともえが廊下でぶつかるまで、淡島が殺した相手が成りモノを生んだ人間だということ――つまりは実動祭祀部や禍事祓まがごとばらえとの関わりという事実すら発覚していなかったのだ。


「はい。部分的に、ですが」


 どうやら、先に伝えておけばよかった、と言っていたのはことのことらしい。


「今日一番お話ししなければいけないことは、その理由に関わるところです。実は私は、紫月さんを生箭日女として招いた時点で、彼女の力を狙ってくる相手がいることは知っていました。ですが、それが具体的に何者か、ということは全く知らなかったのです」


「……失礼ですが、どこからそんな情報を手に入れたのですか?」


 変わって、日比谷が尋ねる。


「私へ何かを教えてくれるのは、この実動祭祀部以外ですと、天しかありませんよ」


 天、とは高天原たかまがはらのことだ。記紀神話にて語られる、天照あまてらすを始めとする天津神あまつかみたちがいるとされる地。つまりは、そこにいる天津神たちがとよへと伝えた、ということだ。


 余談だが、生箭日女の資質を持つ少女の所在も、天からとよへ伝えられているらしい。


「何しろ、相手もまた神ですから」


 とよのその言葉に心当たりがあったのは、ここにいる人間の中で唯一、淡島新と相対していた戒だけだった。


「……国津神くにつかみ、ですか」

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