第6話:警視来訪


 霞が関、警視庁舎内、実動祭祀部東京支部にて。


「一色、入ります」


 かいが会議室に入ると、最初に目が合ったのはどういうわけか来栖巴くるすともえだった。


「よっ」


 しかも私服である。胸元が広めに開いた目のやり場に困るロゴ入り白シャツに、グレーのパーカーと、スキニーのジーンズだ。


 祓以外の勤務中は、祈祷課も陰陽課もスーツが義務付けられているため、元々は勤務時間外だったのだろう。


「忘れ物取りに来ただけなのに引き留められちゃって」


「お前が口を滑らせなきゃ、俺も自分の仕事を進められてたんだがな」


 隣に座っている大野が溜め息交じりに言う。


「こちらからすれば、これ以上ない僥倖ですがね」


 二人の反対側に座る、長身痩躯に上質そうなネイビーのスーツを着た男が苦笑した。


「どうも、捜査一課警視の福井です。急に呼び立てて申し訳ありません。一刻も早く確認したいことがありまして。まあどうぞ、お掛けください」


 口は笑っているし、口調も穏やかだ。しかし目だけは、鷹のような眼光を湛えたまま一切の感情の動きを見せない。


「一色さん、はいこれ」


 巴の隣に座ると、彼女から写真を渡された。傲慢そうな中年の男が笑っている写真だ。


 それには、どこか見覚えがあった。


「漫画かアニメのようなのですが、うちの捜査員とそちらの来栖さんが廊下の曲がり角でぶつかって、資料を散らかしてしまいましてね。そのとき散らばった資料の中に、その写真がありまして。それを見た来栖さんが、見たことがある人だ、と」


 戒は手渡された写真を睨む。会ったことはない人間のはずだが、どこか見覚えがある。


「憶えてない? ほら、渋谷の」


 巴に言われ、戒はようやく思い出した。そして、どうしてわざわざ警視が出向いているのかも合点がいった。


 この写真の男とは、紛れもなくあったことはない。しかし、顔は見ていた。紫月と会った日の渋谷で、戒が祓ったケガレビトは、この顔だった。


 成りモノという存在は、国家機密となっている。知っているのは、実動祭祀部職員と、一部の官僚のみだ。その一部の官僚というのは、警察機関の中では警視以上となっている。


「その男は、木村竜太郎といいます。都内にある人材派遣会社の課長でした」


 でした、ということはつまり。


「先月、勤務先の地下駐車場の社有車内で、死体で発見されました。頭部が破裂しており、それが死因です。また、胴に銃創があり、体内から五〇口径の弾丸が見つかっています」


「……最悪」


 巴が口許を抑えて呟いた。


「五〇口径というのは、一般的にマグナムと呼ばれる大口径のものです。頭部の破裂も、大口径の銃弾を至近距離で受けたためでしょう。実際、頭部に撃たれた銃弾は貫通して車外へ飛び出しており、駐車場内で発見されました。そして」


 彼は、写真の束を机の上に放る。二十枚以上はあった。


「ここ一年で、全国で発生した未解決の殺人事件の被害者……その内、銃によって殺されていた方の写真です。それも、五〇口径の弾丸で」


 多すぎる、と。戒も大野も巴も、同じことを思った。しかし騒ぎになっていないあたり、マスコミへの公表はしていないのだろう。


 そして、同一犯の仕業だということも、言わずとも分かった。


「ご覧いただけますか」


 最初に手に取ったのは大野だった。束を無造作に掴むと、素早く検めていく。そして何枚かを束から抜き、机の上に並べた。


「こいつらは、見覚えがない。だがそれ以外は、俺と一色が禍言祓で斬ったのと同じ顔だ」


 大野は写真の束を戒へ渡した。戒も全て検める。


「人の顔をあまり憶えられないので自身はありませんが……大野課長が言うのであれば、恐らく全てケガレビトとして見たことがあるかと。それと」


 戒は大野が机に置いた写真の内の二枚を手に取る。


「この二人は、恐らく大野課長が不在の際の祓で見た気が」


「ここ一年でそんなことあったか?」


「いえ、祓自体は随分前です。三年か、四年か。私と、来栖でやったはず」


「あ、そうかも。見た気がする」


 それまで黙っていた巴も、戒が手に取った写真を見て声を上げた。


「……ああ、そうか」


 と、福井警視が得心のいった顔をした。


「来栖巴さん。どこかで聞いたと思っていたのですが、生箭日女いくさひめの来栖さんでしたか」


「元ですけどね。……なんかめっちゃ恥ずい」


 実は、来栖巴は元生箭日女だ。契約相手は、別雷神わけいかずちのかみ。他の生箭日女候補と代替わりするような形で引退し、そのまま祈祷課へ入ったのだ。また、生箭日女時代の巴は、貴重な裏事情を知っている存在で、大野が不在の際は戒の祓に同行していたのだ。


「残りの方には見覚えがありませんか?」


 福井警視が問うが、三人の答えは揃って否だった。


「ふむ。因みに、ここにいらっしゃる方以外で、人の姿をしたケガレビトを祓ったことは?」


「ねえな。成りモノ、つまり人の姿をしたケガレビトを祓うときは、俺か一色が必ず行っている。だが、それは『実動祭祀部』としての話だ。それ以前は、分からん」


「それ以前……?」


「ああ、知らなかったか。若いもんな。まあ、これも高級官僚には伝えても構わん機密だから言っておくが……実動祭祀部ってのは、外部組織を強引に宮内庁に組み込んだもんだ」


 さらりと言われた事実に、福井警視は初めて驚いた表情になった。


「発足前も生箭日女は存在したし、ケガレビトを祓ってもいた。成りモノも一緒くたににな。ただ、俺は下っ端だったし、一色はそもそもいなかった」


「……なるほど。可能性はあるか」


 警視はおとがいに手を当て、少し考える。


「そう疑わないでもらえると助かるがね」


 大野がそう言うと、福井警視は苦笑した。


「いえ、疑ってなど」


「嘘こけ。どう考えたって、怪しいのは俺たちだろ。ほとんどの被害者が成りモノを生んだ奴らだ。成りモノの顔を見れるのは実動祭祀部だけ。成りモノを生むような馬鹿どもを殺そう、なんて考えに至れるのは、実動祭祀部かそれに繋がりのある人間だけだ」


「……ええ。その通りです。もっと言えば、あなた方の組織だった犯行なのではという疑いすら、私達は視野に入れています」


「警視。その疑いは間違いかと。そんな行為は、私たちからすれば危険すぎる」


 今度は、大野を引き継ぐような形で、戒が口を開いた。


「危険、ですか?」


赤穢あかけがれです。実動祭祀部では、ケガレビトの元となる穢れを二つに区分しています。赤と黒。赤は人の流血や死によって発生し、黒は主に悪意によって発生します。そして、生箭日女というのは、黒穢くろけがれによって生じるケガレビトを祓うことを想定されている存在です。赤穢れとは相性が悪く、禍言祓まがごとばらえが失敗する可能性すらあり得る」


 思い出していたのは紫月の初陣だ。赤穢れを宿したケガレビトに敗北し、身を蝕まれようとしている少女の姿。そして、それに重なるように脳裏に浮かぶ、戒を蝕むある記憶も。


「禍言祓の失敗は、あってはならない。生箭日女も職員も命を落とす可能性があり、該当地区に穢れがまき散らされる。私達にとって人殺しとは、そういう危険を招く行為です」


「ご教授感謝します。しかし、そのことを理解していない人間が組織内にいる可能性は?」


「……ゼロとは言いきることはできませんが」


 戒にとっては認めたくないことだったが。


「まあ、ここは協力といこう、警視さんよ。俺たちもあんたも、人殺しをとっ捕まえたいのは同じだ。取り敢えずここにいる俺たち三人、あとはうちの副課長の日比谷も信用していい。祓の危険性を、身をもって理解している。特に一色はな」


「……いいでしょう」


 少しの間を置いて、福井警視は頷いた。


「最後に一つ。ここまでの話含め、全て公表していない情報ですので、内密に」


 最後に警視が取り出したのは、やはり写真だった。しかし非常に画像が粗い。元々画素数の低い画像をさらに拡大したものだろう。


「木村殺しの現場の監視カメラに、男が写っていました。殺害の瞬間も。現状、実行犯の姿を捉えられたのはこれだけです」


 その男は、春だというのにファー付きのモッズコートを着込み、ボリュームのある癖毛と、切ったような鋭い目つきをしていた。


「現在、身元を特定中ですが、手掛かりはこれしかなく、判明する見込みは薄いでしょう」


「いいだろう。こっちでも当たってみるさ、いろいろな」


「よろしく頼みます。……では、私はこれで」


 福井警視は手早く写真やら何やらを取りまとめると、颯爽と会議室を後にした。


「……まずは俺と日比谷でどうするか決める。お前らは普通にしてろ」


 大野は立ち上がると、仕事に戻ると言って会議室を出て行った。


 続いて、戒も立ち上がる。日女ひめ神社で修練をさせていた紫月しづき百合阿ゆりあは帰してしまったし、彼は別に書類仕事が溜まっているわけではない。最近疎かになっていた自分の鍛錬でもしておこうかと思っていた。


「……ねえ、一色さん」


 それを、隣に座っていた巴が呼び止めた。


「さっき、怒ってた?」


「何のことですか?」


 本当に何のことだか分からず、戒はそのまま訊き返した。


「デメリットが大きすぎる、って話のとき。割りと怖かったよ」


「……まさか」


「聞いてるよ、面倒見てる子、赤穢れの多い奴に負けたって」


「あまり言いふらさないようにお願いします。本人が酷く気に病んでいるので」


「分かったけど……。ねえ、朝那あさなさんのこと、まだ引きずってる?」


 すっ、と腹の底が冷え、視界が灰色になったような気がして、戒は目を瞑る。


 その名を聞くと、今でも、一瞬だけ、必ずこうなる。


「なぜ、そんなことを?」


「今日も、その子の稽古に言ってたんでしょ。仕事、護衛だけじゃないの?」


「……ただの老婆心です。あんな目に遭った子を、放ってはおけない」


 巴は小さく溜め息を吐いた。


「そういうことにしとく。で、どうなの?」


「……当然」


 戒は平然と言った。


「ずっとそうです。これからも」


「……そう。ごめん、やなこと訊いて」


 戒はそれ以上答えず、足早に会議室を出た。

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