ケガレ祓いの生箭日女

雛田安胡

第1話:日本、東京、魔法少女


「花束を頼めますか。赤の菊をメインで、あとはお任せで」


 どこかの花屋のカウンター前。そこに長身痩躯の青年が立っていた。


 二十ほどにみえるすっきりとした目鼻立ち、マッシュヘアの暗い茶髪、左耳のみのピアス。大学生のような風貌だが、隈の刻まれた目元と倦んだ眼差しは社会人のそれだ。


 その服装もまた、年齢の割には似つかわしくないものだった。色とりどりの花々に彩られた店内とは対照的な、灰色で三つ揃えのスーツ。しかし着られている印象は全くなく、その青年の立ち姿にこれ以上なく馴染んでいた。


「ボリュームは控えめで……予算の上限は特にありません」


「どなたかへの贈り物ですか?」


 店の奥から出てきた店員に訊かれ、青年は頷く。


「ええ、そんなものです。恋人に」


「はい、彼女さんですね……お好みの花の種類とか、色とか、なにかありますか?」


「さあ……今となっては分かりません」


 青年の返答に、店員はしまったという顔をした。


「もう五年になります。その時は、花の好みを訊くような頭はありませんでした」


 青年は、表情も声色も一切変えることなく、そう言った。


 ――数分後。チリリン、とドアベルの音が鳴る。青年は店を後にしていた。 


 彼の手にあるのは、華やかな色合いの花束だ。中心には大ぶりな赤の菊が顔を出している。墓前用ではなく、あくまで贈答用の構成で作ってもらっていた。


 その日は全国的に春うららというべき晴天で、しかも日曜日。さらにその場所は、異常ともいえる人口密度を誇る東京の、さらにその中心部の一つである渋谷だった。


 暖かな日差しの中、街の騒がしさはいつにもまして酷い。青年の出てきた花屋があるのは裏通りだったが、それでも厭になるほどだ。そんな喧噪の中を、彼は駅方向へ歩き出す。


『――さて、ここからは魔法少女特集です!』


 花屋から少し歩いたスクランブル交差点前。


 青年は、耳を突くキャスターの声に顔をしかめ、頭上の特大モニターへ目を向けた。


 放送されているのはありきたりなエンタメ系のニュース番組だ。しかし映っているのは、どこか和装にも見える衣装を身に付けた少女が剣を手にし、人の形をとった黒い靄のようなものと戦う映像だった。


 だが、そのカメラアングルはどこかおかしい。空撮のため画質が粗いもの、少女の後方から撮っているために背しか映っていないもの、など。特撮番組の映像とするとその作りは余りにも粗雑だ。


 まるで、実際に戦っているところを安全圏からどうにか撮影したかのような。


 それもそうだろう。先程まで流れていた映像は全て現実のものだ。


『五年前に政府が存在を公表した「イクサヒメ」ですが、人気が再熱しており……』


 映像が途切れ、ニューススタジオに並ぶコメンテーターへと切り替わるのを尻目に、青年は信号が青になった横断歩道を歩き出す。


 ――そう。この国には、魔法少女がいる。


 当然、正確にはそんな名称ではない。だが、美しい衣装に身を包み、超常の力で人々を助ける少女を指す言葉として、魔法少女という言葉はほとんど実態と相違なく、簡潔だ。


 しかし同時に、その言葉を用いることは不理解をひけらかすのと同義でもある。


 と、横断歩道を渡り切るころ、青年の携帯電話が鳴った。


「……はい、一色いっしき


『大野だ。現場上がりに悪いな、もう家か』


 相手は、彼の上司だった。


「いえ、少し寄り道を。今は渋谷です」


『重ねて悪いんだが、本部まで行ってくれないか。お嬢さんからでな。お前ご指名だ』


「用件は」


『詳しくは現地で、だそうだが。新しい候補が見つかってどうたらと言ってたな』


「……承知しました」


『あ、残業は前の現場上がった時間から続けて付けとけよ』


 青年は電話を切った後に溜息を吐くと、下る予定だった渋谷駅の階段を上がり、東京メトロ銀座線のホームへ向かった。


 魔法少女もとい「生箭日女いくさひめ」は宮内庁に属する国家公務員だ。国の命により、敵と戦う。しかしながら、それが国家事業である以上、それに携わっているのは前線に立つ彼女らだけではない。生箭日女を支えるための数多の仕事があり、数多の人間が関わっている。


 青年もそんな一人だった。


「残業代など、要らないんだけどな……」


 一色戒いっしきかい。所属は宮内庁実動祭祀部護衛課じつどうさいしぶごえいか。主な業務は、生箭日女の露払いだった。




 東京湾に浮かぶ人工島、お台場。その一画に、文明の瓦礫を押し固めた島に似つかわしくないその緑がある。その正体は、社叢しゃそうだ。


 名を、日女ひめ神社。数年前に建造された、生箭日女のための社。そこは、戒の所属する宮内庁実動祭祀部の本部を兼ねている。


 戒は最寄りのテレコムセンター駅でゆりかもめを降り、そこから決して短くない距離を速足で歩く。買った花束は仕方なく持ってきていた。


 日女神社の様式は、新造であるためかごく一般的だ。入口には大きな朱塗りの伊勢鳥居があり、参道は真っ直ぐに拝殿へ続いている。ただ、その参道は拝殿前から更にその脇へと続いており、戒はそれに沿って境内の奥へ向かう。


 しかし、奥とはいっても、ここは土地のない人工島から更にはみ出す形で造られた神社であり、広さはない。拝殿の後ろすぐには関係者以外立ち入り禁止の看板があり、その向こうには宮内庁実動祭祀部本部として使用している社殿と、それに渡り廊下で接続された本殿が見えている。


 その本殿ははっきりと言ってしまえば変だった。一般的には平時は雨戸なり何なりで閉ざされているはずなのだが、それらが開け放たれていた。四方全てが、である。


 そう、この本殿には、奥というものが存在しない。正方形をした社殿は四方全てが開放可能な戸であり、祭壇も御神体もない。あるのはがらんどうな座敷のみだ。


 だが、それは日女神社に出入りする人間にとっては理由も含めて当然の事実であり、戒も今さら気にすることはなかった。


 戒は本殿手前の簡素な衛士室えししつの前で足を止め、その小窓を叩いた。


「護衛課の一色です。とよ様はどちらに?」


 とよ様、というのは戒を呼んだ人物のことだ。彼女は組織内で明確な地位を持つわけではないのだが、さる事情により実動祭祀部の中では誰も頭が上がらない。


「ああ、話は聞いております。ただ……つい先ほど『上がられ』まして」


 肩章付きの制服を着た衛士が小窓から顔を覗かせ、申し訳なさそうにそう言った。


「……了解しました。待ちます」


 彼女が理由もなくそういう行動をとる人物ではないことは把握していた。すぐに戻ってくるだろうし、そもそも向こうも緊急のようだ。


 戒は、中で少し休もうかと、本殿の隣、実動祭祀部本部の縦に長い社殿へと足を向ける。


 と、その時。視界の端で、小さな影が境内に敷かれている白砂利の上を走ってくるのが見え、戒は足を止める。


 それは、真っ白な毛並みの子狐だった。


「……ムタ?」


 こちらへ向かって一直線に走ってくる小さな姿に対し、戒は片膝を突いた。


 その子狐は名をムタと言い、れっきとしたこの神社の一員である。件のとよが飼っている子狐なのだが、主人以外に近づくことは殆どない。しかし今日はどういうわけか戒に向かって突っ込んで来ると、何かから身を隠すように戒の足元を回り込んだ。


「あ、あのっ」


 ムタが駆けてきた方向から砂利の音と共に声を掛けられ、戒は視線を上げる。


 そこに居たのは、繊細な風貌の、それでいてどこか色香を纏ったような少女だった。


 艶やかで長い黒髪は社叢を超えて吹き付ける潮風に乱され、前髪は汗で額に張り付いており、二重瞼の奥の瞳は常に潤んでいるように見える。着ているのは、今となっては珍しいセーラー服、それも黒いタイプだ。年の頃から察するに、中学校の制服だろうか。不思議とここの風景に馴染んでいる。


 惜しむらくは、戒がその容姿に対して何ら感情を持たないことだが。


「そのワンちゃん、捕まえてください。多分迷子だと思うのでっ!」


「……ああ」


 戒は鉄面皮のまま、花束を持っていない方の手で真っ白な子狐を抱え上げる。


「それなら問題ない。この子はムタ。この神社で飼われている。……あと」


 ムタを抱えたまま、少女に歩み寄る


「狐だ」


「え」


 少女はその容姿に似合わないきょとんとした顔で、子狐の尖った鼻を見つめた。


 と、ムタが身をよじって戒の腕からすり抜けると、着地と同時に一目散に駆けて行ってしまった。恐らくもう追われないと悟ったか、花の香りが嫌だったのだろう。


「あ、ああー……」


 少女が名残惜しそうに眉尻を下げた。


 さっきの発言から察するに、撫でたかったから追いかけてきたわけでないだろうが、そういう下心もあったのは本当のようだ。


「まあ、チャンスはいくらでもある。いつもその辺にいるだろうから」


 恐らく、この少女はこれから幾度となくここに来ることになるのだろう。


 関係者以外立ち入り禁止のこの場所に、戒が顔を知らないこの歳頃の少女がいることなど、考えられる理由は一つだ。


 それはそれとして、戒は内ポケットからハンカチを取り出し、少女に差し出した。


「良ければ。買ってから一度も使っていない」


 少女ははっと自分の首筋に手を当てる。さっきまで、汗が一筋、そこを伝っていた。


 大方、どこかの客間で待たされていたところをでムタを見かけ、迷子の犬がいると勘違いして飛び出し、ここまで追いかけてきたというところだろうか。


「お、お借りします……」


 黒髪の隙間から覗く少女の耳は真っ赤だったが、残念ながらその辺り機微まで、戒という男は持ち合わせていなかった。


「すいません、洗ってお返しします」


 首筋やら額やらを拭い終えた少女がそう言うと、戒は首を横に振った。


「いや、いい。貰ってくれ。多分、君とはあまり顔を合わせない」


「えっ?」


 あまり顔を合わせないということは、裏を返せば少しは顔を合わせるということた。少女はその意味が分からずに首を傾げる。


「君は生箭日女候補だろう?」


「いくさひめ……あ、はい! そうです」


 と、少女ははたと何か気付いたような表情をした。


「自己紹介、まだでした。上代紫月かみしろしづきです。候補として呼ばれて……ます」


 そしてぺこりとお辞儀。戒もそれに小さく礼を返した。


「実動祭祀部護衛課の一色戒だ。君が生箭日女になれば、仕事仲間のようなものになる」


「実動祭祀部……護衛課……」


 どうやら上代紫月というこの少女は実動祭祀部の存在自体を知らないらしい。こうも生箭日女が話題となっている近頃では珍しい。


「生箭日女の活動支援を行うのが宮内庁の実動祭祀部。その内、護衛を行うのが護衛課だ」


「でも、それだったらすぐに会えますね」


 なぜか少し嬉しそうな紫月に、戒は再び首を横に振った。


「いや、俺の持ち場は少し特殊なんだ。それに、身辺警護に付くのは必ず女性だ」


 同年代でもない男に警護に付かれたくないだろう、という言葉は口には出さなかった。


「……あら、戒さん。そんなところにいらっしゃったのですね」


 と、真横から聞こえてきた声に、二人は本殿の方へ視線を向ける。


 開け放たれた本殿の座敷の中央に、いつの間にか、十ほどに見える少女が立っていた。紫月と同じく長い黒髪だが、彼女とは違いカチューシャで留めており、広いおでこを出している。一方で服装は極めて落ち着いており、濃い青をしたシックなワンピースだ。


「思ったよりも早いお戻りですね、とよ様」


「すみませんでした、私がお呼び立てしたのに。おや、その花は……」


「業務時間外だったもので。買い物帰りです」


「赤い菊……ああ、なるほど。重ねてお詫びします」


「いえ」


 と、戒は紫月に横から腕をつつかれた。


「あ、あの……」


 どうにも、話そうとしていることが多くて喉でつっかえているような印象だ。


 それもそうだ。あの人物が誰かというのは元より、なぜ子供がここにいるのか、何よりも、どうやっていつのまにか座敷の真ん中にいたのかなどなど、疑問が多すぎるはずだ。砂利を踏む音もなく、誰かが廊下を歩いた様子もなかった。


 だが、戒はあえて諸々の疑問を無視し、簡潔に答えられる質問にだけ答えた。


廓場くるわばとよ様。君を候補に選んだ方で、そうだな……とても偉い人だ」


「もしかしてそちらは、例の?」


 今度はとよからの質問。


「はい。まだお会いしていなかったのですか?」


「少々立て込んでしまって」


 とよはそう言うと、紫月の方へ視線を移す。


「初めましてと、改めまして。私は廓場とよ。貴方は、上代紫月さん、ですよね」


「は、はいっ。よろしくお願いします」


 偉い人だ、と言われて心なしか肩が力んでいる紫月にとよは微笑む。


「戒さんとお喋りされていたのですか?」


「えっと、はい。いろいろと……」


「ふふっ、珍しい。戒さん、あまり喋らない方なんですよ」


「……とよ様。本題は」


 あることないことを喋られる前にと、戒は口を挟んだ。


「ああ、すみません。そうですね」


 とよはそう言い、おとがいに手をあてる。


「諸々順を追ってお話したいところなのですが……せっかくですし、まずは」


 とよは少しばかり大きく息を吸った。


「一色戒さん。これより貴方に、生箭日女、上代紫月さんの専属護衛を命じます」


「……は」


 彼にとっては全く予想外。しかし客観的な見方からすれば物凄い早さでのフラグ回収。そんなとよの発言に、戒の頭は完全にフリーズすることとなった。


「あ……ハンカチ、やっぱり洗って返しますね」


 この後、紫月が正式に生箭日女となるための儀式、手続きその他諸々、並びに戒の上司やら何やらを交えて、歳頃の少女の護衛に若い男を付けるのはどうなんだとか、戒が今請け負っている業務はどうするんだとか、諸々が話し合われたが、それはさておき。


 春も深まり、寒さも全て去った頃。


 結局、戒は新人生箭日女、上代紫月の専任護衛となり、そして彼女は初陣を迎えていた。

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