第4話 出会い

 ケーキを食べ終わると沙羅さらは、アイスティーを一口飲んだ。甘くなっていた口の中が、さっぱりした。沙羅は、伊藤いとうに目を向けると、唐突に、


「仕事は楽しい?」


 訊かれて伊藤は目を見開いたが、すぐに笑顔になり頷くと、


「ああ。楽しいよ。美容院で働いてると、いろんなお客さんが来るけど、で、怒られることもあるけど、それも勉強だから」


 伊藤は、メロンソーダを飲んでから、


「オレがその人だったら、やっぱり怒るかなって思う時もある。どう考えても納得できない時もある。だけど、そういうことがあったとしても、次はどう対応しようかな、とか考える。次は絶対上手くやってやる、って向上心になる。だから、やっぱり勉強なんだよね。まだまだ勉強中。だから、毎日楽しいんだ」

「そっか。それは良かった」


 自分の好きなことをやっているという気持ちが、伊藤にそう言わせるのだろうと沙羅は思った。それに比べて、今の自分には、一体何があるのだろう。つい、暗い考えに行ってしまう。


 沙羅は、伊藤から視線を外してコップの氷をストローでつついた後、アイスティーを何口か飲んだ。そして、コップをじっと見たまま話し始めた。


「私は、三か月前にあそこを辞めたんだ。この前電話で話した時に言おうかと思ったけど、言えなかった。辞めたかったわけじゃない。さっきも言ったよね。だけど、辞めざるを得なかった。ホームでね……」

「いいよ。話さなくていい」


 伊藤が、沙羅の言葉を遮った。が、沙羅は首を振って、


「何でだかわからないけど、いとーちゃんには聞いてもらいたい。だから、楽しくない話だけど、聞いてください」


 沙羅が必死にそう訴えると、伊藤は諦めたような顔になって、「わかったよ」と言った。沙羅は、「ありがとう」と言ってから、


「あれは、半年前のこと」


 辞めることになった経緯を話し始めた。



 その日沙羅は、いつものように職場の最寄り駅で降りると、改札口に向かった。と、駅員に何か質問している男性の存在に気が付いた。その人は、沙羅が勤めている老人ホームの名前を口にしていた。


「そこに行くには、どっちに行けばいいですか」

「ちょっと待って下さいね」


 駅員が地図を広げて、その場所を探している様子が見えた。沙羅はそばへ行き、


「あの……良かったらご一緒しましょうか? 私、その老人ホームで働いてます」


 駅員に質問していた男性は、沙羅の方に向きを変えると、みるみる笑顔になり、


「いいんですか? 僕、今からそこで面接してもらうことになってます。お願い出来ますか?」

「もちろんです。私もそこに行きますから。ついてきてください」

「ありがとうございます」


 その人は、少し声が大きかった。が、高齢者は耳の遠い人も多いからちょうどいいか、と沙羅は思った。ホームまでは、駅から歩いて十分くらいだ。初めは黙り合っていたが、


「あの。面接受けるんですか?」


 沙羅が訊くと、男性は大きく頷いた。


「今まで、全く違うことをしていたんですけど、いろいろあって辞めることになりまして。介護の仕事は初めてですけど、求人広告で見て、あのキャッチフレーズっていうんですか? あれがすごくいいなと思いまして。こんな所で働いてみたい、と思って応募したんです」


 もうすでに面接が始まっているみたいに、男性は熱く語り始めた。


「キャッチフレーズと言うと、あれですね」

「はい。あれです」


 沙羅の勤める老人ホームには、入居希望者に向けたフレーズがある。それは、「あなたは、どんな風に生きてこられましたか? これから、どんな風に生きていきたいですか? あなたが望む未来のお手伝いをさせて下さい」というものだ。求人広告では、その文章の下に、「一緒にお手伝いしてみませんか?」と書かれている。沙羅も同じようなものを見て応募したので、よく覚えている。


「私も、あのフレーズ、好きです。そうありたいと今も思っていますから」


 そんなことを話している内に、沙羅の勤め先である『こもれびホーム』に着いた。総務の職員に声を掛けると、沙羅は、


「じゃあ、頑張ってくださいね。きっと大丈夫な気がしますけど」


 笑顔で手を振った。男性は、何度も沙羅に頭を下げ、「ありがとうございました」と大きな声で言った。


 その人は、沙羅の予想した通り採用になり、沙羅と同じフロアーに配属になった。

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