3.導き

 もちろんまともに歩けるはずがなかった。恐怖体験のあとということもあるが、それ以上にパンプスではこんな森を歩き回れるわけがない。先程までは火事場の糞力的なあれだ。足首を痛めなかったのが奇跡である。

 結局赤髪のバルに背負われて森から出ることとなった。この歳になっておんぶをしてもらうのはとても抵抗があったが、背に腹はかえられない。スカートではなかっただけましだ。

 そして道中私の置かれた状況について教えてくれた。主にバルが。時折薄茶の髪のヤハトが。フェナはチャチャしか入れない。

 有華たちのように、突然この世界とは全く別の世界からこの世界へやってくる者たちを、落とし子ドゥーモと言うらしい。年に一人か多くても二人ほど。皆が皆、本当に一歩踏み出した瞬間ガラリと世界が変わったと口を揃えて言う。

 彼らには身体的特徴はないが、ただひとつ言えるのは、言語で不自由をしないと言うことだ。

 先ほど有華のことを落とし子ドゥーモかもしれぬと思ったフェナは、この辺りではあまり使われない言葉で質問したそうだ。有華はそれに戸惑うことなく、そのあまり使われていない言語で返事をした、さらにまた別の言葉でも。三つの異なる地域で使われる言語に淀みなく答えたことと、見慣れぬ服装でそうと判断された。

「他世界で落とされた者を世界樹様が迎え入れたのだ。我々は歓迎する」

落とし子ドゥーモは必ず助けなければならないって法が敷かれてるんだよ」

 ヤハトの言い様は救いがないのでバルの方を採用することにした。

「世界樹様って言うのは?」

「この世界の中心におわす方さ。森を抜ければ小さくだが見えるだろう。我々の営みを見守る母なるだ。神殿には分枝ぶんしが奉られているから、機会があれば詣でるといい。その神聖な気に、寄り添う精霊の密度に少しは大樹様に触れられた気持ちになれるだろう」

 とっても宗教に、思わずはあ、と気のない返事を返してしまった。しかし、バルはそれを咎めることはせず続けた。

落とし子ドゥーモは行くあてがなければ神殿預かりとなる。嫌でもそのうち感じることになるさ」

 行くあてなんかあるわけがない。つまり有華はその神殿とやらに引き取られるのだ。この先のことを考えるとズンと胸が重くなる。

「ガガゼの角、どーするんですかフェナ様」

 ヤハトが一番後ろから前を行くフェナに声をかけるが、彼女は答えない。

「せっかく街近くまで降りてきた個体なのに。奥まで探しに行くのめんどくさいんですけどー」

「別に角の採取は義務じゃなかっただろ。ガガゼの討伐が本来の依頼だ」

「依頼主のおっさんがわざわざ見送りに来て念押ししてきてたじゃないか」

「あれは、フェナ様の顔見たさにきただけだ。確実に角まで得たいのなら、我々ではなくズシェたちやギーレたちだって街にいたんだ。そちらに頼めばよかったのさ。【消滅のフェナ】に依頼をした時点で採取の確率は二割以下だ」

「私はその呼び名は好きではない」

「ならばぜひ、無闇矢鱈と爆破して獲物を跡形もなく消すことのないようお願いします」

 丁寧にお願いしているが、バルの圧を感じる。後ろでヤハトがシシシと笑っていた。

「大樹様の結んだえにしだ。何か困り事があれば相談するといい」

「俺はムリー。ワケわかんないのはフェナ様一人でじゅうぶっわあっちぃ!!」

 全部を言い切る前にヤハトの髪の毛に火が着いた。

 ふふと、笑ったついでにお腹が鳴った。確実にバルには聞こえた。

「フェナ様、少し休憩しましょう」

 数瞬の沈黙のあと、バルがそう提案した。

「まあいいよ」

 バルが腰を屈めて有華を下ろすと、腰に下げてあった袋のようなものを差し出した。

「私の水袋になるが……」

「あ、いえ! お茶があります」

 パスタと酒とつまみだけではなく、他にもいくつか買ったものがある。そのうちのひとつがコンビニブランドのお茶だった。ペットボトルの蓋をガチガチといわせて開けると、近くの倒木に腰かけていたフェナが寄ってきた。

「それちょうだい」

「えっ、お茶ですけど。あと、体に合わないとかありません?」

「そうだよ、ここで腹壊されたら困るし」

 ヤハトの制止を聞かずに手を出してくるフェナよりも先に、バルがペットボトルをつかむ。

「毒見します。少しいただいても良いですか? シーナ」

「まあ、どうぞ」

 言っても聞かないのでスミマセンと、口をつけずに器用に飲んだ。

「味はマセラ茶に似てますね」

 マセラ茶、と心に刻む。考えてみたら、食べ物も口に合うかわからないのだ。

「もう少しだけ待ってくださいね」

 今か今かと待ちあぐねているフェナの目の前から、バルがペットボトルを移動する。時間を置くところが、本当に毒見なのだなと思った。

 さて、……見た感じ、パスタにおかしな変化はない。とんでもなく時間が立っているわけではないようだ。おなかがすいたし同じものがあるとも限らないし、できれば食べたいのだが、間違いなく狙われる。でも我慢、できない!

「これ、食べてもいいですか?」

 フェナの目が輝いた。

「お茶は密封されてたけど、これはされてないからまず食べるのは私です! 本来の味を知ってる私からです!」

 ここで味が変わってたら食べさせられない。捨てるしかない。

 三人の目にさらされながら、トマトと生ハムの冷製パスタをいただく。

 結果は全く問題なし。美味しい。めちゃくちゃ美味しい。生きてるって実感が胃の辺りから広がっていく。

「早く毒味しなさいよ! あとお茶先にちょうだい」

 有華からパスタのはいったプラスチック容器を奪うとそのままバルに押し付け、そのままの流れでお茶を奪う。

「お茶は、ほんと、普通に美味しいわね」

 つまらなそうに言われるとなんだか悔しい。

「おれもそっちの食い物味見する」

 毒見じゃないのかい、と心の中で突っ込んだ。あと、全員が食べたらダメなんじゃないだろうか?

「うんまっ! これ、旨いな。バル、これ、つくれる?」

「わからん。この細いのはなんだ?」

「ちょっとまだ!? まだなの!!」

 ヤハトが旨いと誉めたせいで我慢の限界が近づいてるようだ。するとバルがプラスチック容器の蓋にパスタを少しだけ分けた。

「フェナ様はこちらを。シーナ、食べてください。食事の前だったのでしょう?」

「えっ! これだけ?」

「これはシーナの食事でしょう? 取り上げてはいけません」

 大変不満そうなフェナだが、同情してたら自分の分がなくなるので見ない振りをしてささっと食べてしまった。生ハム、好きなんだけど同じようなのあるかなぁ。

 フェナは蓋の上のパスタを睨みながら、律儀にもバルの言いつけ通り待てをしていた。なんとなく、お手拭きでフォークをきれいに拭いて渡す。

 ようやく時間が経過して、許可が降りたあとは早かった。優雅にそれでいて一瞬で、パスタが皿の上から消える。

「バル……再現して」

「まあ努力はしますが」

 頭をかきながら苦笑している彼に、有華も少し笑った。

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