第8話

 そこからの3日間は、彼女とこれからどうなるかを考えていると飛ぶように過ぎていった。仕事に集中できず、小さなミスを連発した。悶々としている状態では料理にも手がつかず、カップ麺や納豆ご飯だけの夕食が続いた。

 日曜日、昼前の明るい太陽で目を覚ました。既に上った太陽が街を温めている。冷房の効かせた室内と、アスファルトの反射する熱にこもった屋外がガラス一枚で仕切られていた。ベッドから体を起こし、昨日のうちに決めておいた着替えをもってシャワーを浴びる。冷水が徐々に温まり、熱湯へと変わっていく。頭頂部から伝ってくる熱湯は余計な思考で頭にたまった靄を注ぎ落してくれるようだ。そのまま洗顔を髭剃りを済ませると、シャワーを冷水に切り替えて頭からかぶり、逃げ出すように風呂場から出た。

 着替えを済ませフライパンで朝昼兼用の目玉焼きを焼いていると、今日これから起きるであろうことが頭に浮かんでくる。結局、兄に電話をかけた日から今日まで彼女とは連絡を取っていない。「デートが全部終わってからかな。」僕はぼんやりとつぶやいた。「兄ちゃんが何とかしたる!」と言い放った兄からも連絡はなかった。黄身がほとんど完熟になっていた目玉焼きを食べた口がパサパサする。

 時計を見ると12時5分前で、出発時間まではまだ少し時間があった。しかしだからと言ってやることもなく、準備を終えた僕は家を出発することにした。




 電車の扉が開く音とともに、人で混み合った電車の中に彼女が入ってきた。彼女は僕の姿を認めると、人を少しかき分けながら車両の奥へと入ってくる。

「おはよ。」

「おはよ、の時間じゃないでしょ。」

 屈託のない彼女の笑みに少し心が軽くなる。会話の話題を探すのに窮していたが、電車の中という空間は会話のない男女二人を自然に溶け込ませてくれた。この6年間、話題が尽きなかったのは彼女のほうから僕に何度も話しかけてくれていたからだということに今更ながらに気が付いた。右側に立った彼女を見やると、窓の外をまっすぐ見つめている。

「上野、上野~」

駅員特有の声でアナウンスが響き、電車のドアが開く。電車から降りて改札を通り、動物園が近づくにつれ、目的地を同じにする人たちが目についた。昔の記憶と違わず家族連れが多く、中にはベビーカーを押している人もいる。

 正門でチケットを購入して園内に入ると少し遅れてきた彼女から声がかけられた。

「久しぶりだね、動物園にくるなんて。高校生の時以来?」

彼女からそう言われた時、今日ここに来た意図を探るチャンスだと思った。

「そうだね。だから誘ってくれたの?」

「上野と天王寺は別でしょ。」

 少しはぐらかされたような気のする返答は、象の鳴き声に気をそらされる。左手のサル山では頂上のボスザルが雌の猿を侍らせている。一方の下のほうでは孤立したサルたちが暇をつぶすようにのそのそと過ごしていた。彼らが自分の未来に重なる。

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