燈乃夕陽と黃山花梨1

 屈葬ごっこをやりはじめたのは私からだった。でも、いつだって、なんだって、物事の深いところまで潜っていけるのは花梨の方だ。

 私はそういうとき、自分がとてもさみしい生き物のように感じる。

「ミミ、これ、しってる?」

 幼い発声でミーミはという芸名はミミとしか聞こえなかった。それが習い性になって今でも二人きりのとき花梨は私をミミと呼ぶ。たぶんそれは意図的に。本名の深雪でもなく、古い芸名のミーミでもなく、新しい芸名の夕陽でもなく、たったひとつの私たちだけの名前で。

 そうして、もちろん私も。

「リリはしってるの?」

 私たちの覗いている暗い丸い箱は、なにかの大道具のようだった。けれどそれはいつ行っても端の方でひっそりと、忘れ去られたように存在していた。底に藁のようなものが少し入っている。

 収録の待ち時間、私たちのするべきことは現場を歩き回って探検することだ。あそこには普通の子供ならば会うことのない人間がたくさんいたし、いろんな道具があった。

 仏頂面の大人がたくさんの色々な風船を膨らませていたり、二人組の大人が壁に向かってぶつぶつとずっと話していたり、やたらに身長の大きい大人が机の下に頭を入れて眠っていたり。

 私たちはたびたびそういう大人に悪戯をした。それは、そうすることを求められていたから。裏でも表でも私たちは大人たちを翻弄するリーリとミーミでいなければならなかったのだ。なぜなら私たちは、よりリーリとミーミに近い人格を持つものとして選ばれたのだから。

 大人に対して物怖じせず、破天荒で、楽しいことだけが好きで、屈託のない。子供のなかの子供。

 私たちはそのころ5才だったが、今よりもっと現実的であったし素直でもあった。人の望むことに対して、誠実であろうとしていた。そうして、子供の目では、大人の真意など手に取るようにわかるのだった。

 リリがその大道具だかなんだかの暗い丸い箱の中に手を伸ばずと、手の輪郭がもやもやとぼやけた。

「なんだろうね、これ」

「わかんない」

 リリは薄暗い箱の中で手をうろうろと動かして遊んでいた。大きな暗い丸い箱、おそらくあれは樽だったのだろうと思う。それは出番を待っている現役の大道具たちに取り囲まれて、まるで、存在していないかのように存在していた。

 あるいは、かつて存在していた、という存在の仕方をしていたのだ。

「ミミ?」

 私がそこらにある廃材を積み重ねてその暗い丸い箱に入る階段を作るあいだ、リリはじっとそれを眺めていた。あのころのリリは、今よりもっと繊細で鋭敏で、世の中のすべてについて、ただ観察している時間が長かった。

 それは臆病さというより慎重さであったのだけれど、私はいつもそんなリリのどこから、あの勇敢さが生まれるのだろうと疑問に思っていた。

 リーリとミーミは双子の探偵団で、表の世界ではいつでもリリが私を引っ張ってくれている。どんな大人にも負けずに、遠い場所まで連れて行ってくれる。それは虚構でも現実でも同じ。

「入るの?」

 やや不安そうにリリは呟いた。

「うん」

 暗い丸い箱の中へ飛び降りると藁の乾いたような湿ったような、不思議な匂いがした。手をのばすと、一瞬の間があってからリリが私の方へ降りてくる。かさかさという音が響いて、リリは自分の足を見下ろした。足の輪郭がぼやけている。

 私たちはしゃがみ込んで、最初のうちは小さな声でそこでおしゃべりをしていた。それからふと横になってみようと思い立った。今となっては、どちらからそうしたのかは分からない。

 箱の丸みに背中を張り付けて横になると、リリの顔がすぐそばにあった。呼吸があたたかくて、藁の匂いが霧のように体を包んで、私はなんだか、ここは外とは別の世界であるというような気持ちになった。

 虚構でも現実でもなくて、それ以外の。

「ちがう国みたい」

 リリが私の思ったことを言うので、私は嬉しかった。

 今考えればあの頃には、もはや私たちの生活には空想が入り込む余地がなかったのだ。毎日、台本どおりに夢のような出来事がつぎつぎ起こり、神様のように私たちはそれを操った。

 けれど、私たちの周りにはもっと大きく出来事を操っている大人がいて、その大人たちのもっと周りには、たくさんの生きている人間たちが彼らを操っているのだった。

 リーリとミーミ。

 私たちは二人きりで世界だったが、私たちが本当の意味で二人きりになれる世界は存在しなかった。

 でも、その大きな丸い箱の中で死んだように横になっているときにだけ、私たちは二人きりの世界で、二人きりでいられるのだった。

 その屈葬ごっこはしばらく続いたが、いつごろからか、大きな丸い箱がどこにもいなくなって、終わってしまった。でもその頃には私たちは箱がなくても、二人になれる方法を見つけていたのだ。

 向かい合って、じっと死んだように黙っていること。

 そうすればどんなことも、私たちとは違う国のできごとになる。

 それは、夕陽と花梨になった今でも変わらない。

「リーリとミーミ、大好きでした!」

 こんな風に声をかけてくれることは多い。むしろ、たいていの声は私たちの今の前よりも、かつての名前を呼ぶ。

 私たちは人の目が輝くのを知っている。それは月が太陽によって光るのを同じようなものだ、と誰かが言っていた。でも月にとって太陽はたったひとつの光だけれど、人の目を輝かせる光源はたった一つではなくいくらでもある。

 今ではみんなが持っている小さな画面のひとつひとつの中で、無数の光源が無数に光り続けていて、きっとこのままでは人間は光に目を潰されてしまうだろう。

 けれどそれを止められるものなんていない。増える光源の後ろで、忘れ去られて死んでいく光源がいくつもいくつもあることだって。

 止められない。ずっと続いて、同じようなことが繰り返されていくだけ。

「わーい。嬉しい!」

「ありがとー!」

「夕陽と花梨もよろしくね!」

「よろしくねー!」

 花梨が私の腕に腕を絡ませて、最近考えた二人のポーズをやってみせる。かわいー、と声が上がって、花梨は満足げだった。外歩きのロケは嫌いではないらしい。

 確かに外に出るための人格をずっと保っているのが正解というのは、かえってやりやすいかもしれない。妙に待ち時間が長かったりすると、人格をオフにしているときに間違った対応をしてしまったりする。 アイドル業も子役も、表の実績と裏での態度の両方が、仕事に対しての評価になる。今回も上場だった。私たちのできる私たちの精一杯をやれたと思う。まぁ、それだければ足りないのがこの世界だということも、私たちは十分すぎるほどにわかっている。

 そんなことを考えながらロケバスに揺られて都内に帰って、事務所の移動車に乗り換えると、後部座席に海さんがいた。

「お疲れ。夕陽も花梨も、なんか久しぶりじゃない?」

 どうも海さんは少しお疲れのようだ。

「そうっすか? 三日前くらいじゃん?」

 花梨が言うと、そうだったかな、と海さんは長い黒髪を触った。これはよくみる海さんの癖だ。それも、なにか考えごとをしているときの癖。

 私はなんだか笑いたくなった。

「3日空くとひさしぶりって、海さん求めちゃってるなー」

「たしかに、求めちゃってんねー」

 すぐに花梨が乗ってきて、海さんは顔をしかめた。

「なにが」

「私たちに毎日でも会いたいってことっすよね」

「そんなこと言ってないでしょ」

「いやいや、3日空いて久しぶりは求めちゃってる」

「ちゃってるちゃってる」

「求めてないから!」

「はいはい、ツンデレツンデレ」

「うるさい」

 あはは、と笑っていると海さんの様子が少し変なことに気づいた。いつもより背筋が伸びているというか、奇妙に動きがないというか。そう思って後ろを覗き込んでみると、膝に明るい髪色が見えた。

「うわ、膝枕してる」

「してない」

 海さんは意味の分からない嘘をときどきつく。それは大抵、苺ちゃんが関わっているときだ。

「いやいや、事実ですから? してないっていわれても。ねぇ」

 花梨も楽しそうだった。

「事実、乗っちゃってますからね、膝の上に」

「事故だから。べつにやりたくてやってるわけじゃないから」

 そういって、海さんはそっぽを向いた。いつ見ても彫刻みたいなその顔つきが、暗い窓に映っている。花梨はからかうのにもう飽きたらしく前を向いている。私は横になっている苺ちゃんの顔を確認してみた。

 眠っているのだろうか。髪がかかっていてよくみえないが、目はつぶっている。

「苺ちゃん忙しいっすもんねー」

 誰にいうともなく呟いたのに、海さんはいつも律儀に答えてくれる。

「自業自得でしょ。ペース配分がわかってないだけ」

 なんとも言葉と行動が噛み合っていない。口では厳しいことをいうが、普段なら絶対に膝の上になど乗せないのだから、乗せている時点でそれはねぎらいということになる。

 苺ちゃんは明るく元気で人懐っこく、受け答えも面白いのでもともとテレビ受けはいい。それが少し前のドッキリ番組で、性格がいいとかなんとかでバズって、最近はともかく忙しそうだった。

 もっとも、彼女が真価を発揮するのは、それでちょっと気になった人がライブ映像を見たときだろう。能天気とも称されがちな普段の彼女からはまったく想像ができない、というより、重なる部分がほとんど一つもない圧倒的な存在として、いつも彼女はステージに立っている。

 あれは一種の霊媒なんじゃないだろうか。ユタとかイタコとか、よくわからないけれど神降ろしの類に思える。

 私たちのグループが他のグループよりも、メッセージ性の強い楽曲を歌うことが多いのは年上組のスキルの高さもあるけれど、センターの苺ちゃんの存在によるものが大きい。

 なにかを表現するために生まれてきた人間というのは、苺ちゃんのような人をいうのだろう。パフォーマンスをしている彼女を見るたびにそう思う。

 そして、私たちとは出自がちがう、とも思う。

 とはいえ、グループの一人が売れるということは、他のメンバーにもすくなからず、いや、全然すくなくはない影響があるのでありがたい。

「ねえ、見てみて」

 呼びかけられて横を向くと、花梨が安っぽいビニール袋の中をこちらに見せている。中を覗くとふくれた米がたくさん入っていた。

「ポン菓子?」

「ぽんがしー」

 はい、といわれるので手をだすと、さらさらと軽い米の粒で手のひらが埋まった。口に入れるとほんのすこしだけ甘くて、くしゅくしゅしていて、すぐなくなる。すぐなくなるから、いつまでも食べていられる。時間が消えていくみたいに、私たちはポン菓子を食べ続ける。

「わー、また食べてる!」

 気がつくと停車していて、開いたドアの向こうにみどちゃんの顔が見えた。そのうしろにすみれ、たぶん、その前に桃ちゃん先輩がいるんだろうけど、それは小さくて見えなかった。

「車で食べるのやめなって青野が怒るよ!」

 その声に、え、なに、と空想から戻ってきたらしい海さんが私たちの方を覗き込んだ。

「あんたら」

 ぽこぽこと順番に人間が入ってきて、車の中はすっかりいつもの配置になった。なぜ同じ注意を何度もさせるのだ、という海さんの形だけの説教が後ろから聞こえてくる。文句をいってても、海さんはなんだかんだ面倒見がよく人もいいので、私たちの本質を正そうとはしない。

「ほんっとに昔から変わらない」

 海さんの言葉に、花梨がけらけら笑った。

「昔って、そんな前から知り合いじゃないっすけどー」

「全国民、昔から知り合いみたいなもんでしょ」

 その言葉にたしかに、と格言を噛みしめるようにすみれがうなずいた。

「私もお二人のこと、気を抜くと昔からの知り合いみたいに思っちゃいます。すみません」

「いいよいいよ、みんなが私たちのこと好きだってことは知ってるから」

 花梨が音符と一緒に言葉をはくと、褒めてないだとか、尊敬してますとか、お腹がへったとか、いろんな音が反響してくる。それで花梨は楽しそうに軽くて甘い乾いた米を食べ続けた。

 でも、変わらないでいられるものなんて、この世界には何もない。

 死んだふりだって、いつまでも続けていられない。

 私たちは、そういうことを全部もうわかってしまっているのだ。それなのに、また同じような場所で、同じような仕事をし続けている。

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