紫水すみれと桃瀬さくら7

 次の日、全体練習が終わって車の定位置に座っていると、黃山さんと燈乃さんが乗り込んできた。いつもは前の席で二人で並んで座っているのに、なぜか私の両隣に座ってきた。

 まだ運転手も他のメンバーも乗ってきておらず三人だけしかいない。なんだろうと思うと、両隣からぱちぱちと拍手の音がする。

「すみれっち、今日すごいよかったじゃん、見違えたよ!」

「体のキレが違ったね! 立ち位置はまだ甘いけど」

「あ、ありがとうございます」

 頭を下げて答えると、両隣からにやにやとした顔で二人が同時に私の顔を覗き込んできた。

「個人練習の成果なんじゃーん?」

「へ?」

「マネージャーからぜんぶ聞いてます」

「桃ちゃん先輩と」

「二人っきりで」

「夜中まで」

「特訓」

 二人の顔があまりにもにやにやといたずらっぽくて、思わずバッカス探偵団のことを思い出す。いや、そうじゃない。

「そんな! 夜中までなんてかかってないですよ! 特訓というか、少し見てもらっただけで」

 言いながら、もしかすると夜中だったような気もするし、少しというには長過ぎる時間だったような気もしてきた。かなり長い間、桃瀬さんの後ろで踊っていたような気がする。そのあと、いくつか助言をもらった。

「すみれは、振りはちゃんとしてる、タイミングも、合ってる。でも、音を感じない」

 音を聞け、と何度振付師に指導されたか分からない。でも私にはその言葉の意味がずっとわからなかった。誰も教えてもくれなかった。それを桃瀬さんは、賢明に伝えてくれようとしているらしかった。

「ダンスは、音から出てこなきゃだめ。音に合わせちゃだめ」

 言葉だけだったら、桃瀬さんの言っていることも理解できなかっただろう。けれど、彼女だけを見て踊って、やっとわかったような気がした。

「だから今、振りを合わせる練習は、意味ない。音から動きをだす練習」

 彼女の踊りを見てすべてに合点がいった。自分が彼女のステージを見て音を楽しいと思ったこと、その時の気持ち。それらが自分が踊るときにまったく消えてしまっていたこと。

 桃瀬さんの言葉を思い出していると、二人が両端から脇腹をつついてくる。

「和解からの急接近ってやつじゃん?」

「ひゅーひゅーってやつじゃん?」

 完全に面白がっている。しかし、この二人に挟まれて会話をしているというのも、改めて考えるとすごいことで、やっぱり未だに混乱する。小さい頃の私のスターに、こんな風にからかわれる日がくるなんて。

「いや、本当に、そういうんじゃなくてですね」

 途中まで言って、ふいに思い出した。そういえば、桃瀬さんは昨日、私のことを好きだというよなことを言っていた気がする。あれはどういうことだったのだろう。

 そんな風に思われる所以はないけれど、彼女のあのたどたどしい喋りからして、嘘とも思えない。恐らく嫌いではない、という意思表示だったのだろうが、それにしたって、嫌われていない理由も私には思いつかなかった。うっとうしがられるべきなのではないだろうか。

 だとすると、黃山さんや燈乃さんと一緒で、プロゆえの言動なんだろうか。ぎすぎすしないように。私が少しでもうまくやっていけるように。けれど、それならもっと早く表面上だけでも仲良くしてくれればよかったのに。

「お?」

 横から黃山さんの声がして顔をあげると、桃瀬さんが乗口の前に立っていた。そして、なぜか黃山さんの手を掴んでいる。

「え、え、なんすか。こわい、なに?」

 桃瀬さんにぐいぐいと引っ張られて、黃山さんは車の外に出されてしまった。黄山さんがいなくなると、桃瀬さんは黄山さんが座っていた場所へ、どすん、と腰掛けた。そして、反対側の私の隣に座っている燈乃さんを睨んだ。

「じゃま」

 え、と燈乃さんがぽかんとした顔をしていると、桃瀬さんは手を伸ばして燈乃さんを押し出そうとした。えー、と驚きながら燈乃さんが前の席に移動する。黃山さんもその隣に座って、椅子ごしに私を見た。

「どういうこと?」

「いや、わかんないです」

 当の桃瀬さんは何事もなかったように、いつも持ち歩いているお菓子袋を漁っている。そうこうしているうちに、年上の三人もやってきて、車は出発した。

 隣ではぺりぺりとお菓子の包み紙を開ける音がする。いつもどおり、なんの会話もない。やっぱりよくわからない。

「すみれ」

「え?」

 名前を呼ばれてやはり体が跳ねる。いつから私のことをすみれと呼ぶようになったのだろう。そもそも、昨日以外、名前を呼ばれた覚えが一切ない。声のほうを見ると、傘の形をしたチョコレートの先がこちらを向いている。

「あの、なんですか?」

「あげる」

「え? ああ、ありがとうございます」

 チョコは喉が焼けるかと思うくらい甘かった。

 傘の先を舐め回していると、すぐ後ろからすごーい、と小さな声がした。振り向くと、苺さんがじっとこちらをみて、驚いたような顔をしている。

「桃ちゃんにもらったの?」

「あ、はい」

「ひえー」

 なんだ、と思っていると、にこにことしながら苺さんが耳打ちをしてくる。

「桃ちゃんは、絶対だれにもお菓子くれないんだよ」

 すごいね、とまた苺さんは言った。

「はあ」

 桃瀬さんはもうチョコ以外には何も興味がないという顔で、傘を頬張っている。そうなのだろうか。たしかに誰かにお菓子を与えている姿は見たことがない。

 少なくとも、チョコをくれる位には心を許してくれているということだろうか。彼女のことだから、大した意味はないのかもしれない。気まぐれかも。というより、その可能性しか考えられなかった。

 でも、もう私にはどちらでも構わない。

 好かれていようが、嫌われていようが、彼女と同じステージに立てるならば。

「ライブ、たのしみですね」

 そう呟くと、桃瀬さんは笑った。

 その顔を見ると、やっぱり魔法にかかったように私の体は弾むのだった。

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