第35封 不測の事態に立ち向かえ②




 数人の従者を引き連れそこに居たのは、今テトラが最も会いたくない人物ナンバーワンの男であった。


 シェルパは新緑の瞳を柔和に細め、恭しく礼をする。

 その顔は笑みの形をしていながら、極めて不気味な様相であった。


「こんばんは、美しい新月。テトラ・オービス第一王女殿下にご挨拶申し上げます」

「…………」


 警戒を露わにするシラストの事も、無表情で見つめるリナンの事も、まるで存在しないかのような口ぶりだ。

 テトラは鳥肌が立ち、思わずリナンに縋りそうになる己を律して、姿勢を正しながら口を噤む。


 シェルパは悲しげに微笑むと、肩まである柔らかな髪を揺らし、そっと首を傾けた。


「予想が外れ、悲しいですね。あなたはもっと、利口なかたかと思っていた。オービス国王陛下も、民の為に尽くす方かと思っていたのですが。いえ、悪く言いたい訳ではないのです。ただ少し、我々の親切心を無碍にされて、悲しいだけなのです」


 テトラは奥歯を噛み締め、自分はいま侍女であると、懸命に自分へ言い聞かせる。

 そうでなければこのスカした顔面を、腰を落として思い切り振り抜き、手の平で張り飛ばしてしまいそうだった。


 指が白くなるほど、両手を握りしめる彼女を一瞥し、リナンがシェルパから視線を外す。

 そして何事か思案してから、再び目の前の男を見据えた。


「シャルパドゥーラ第一王子。そちらを呼んだのは、妹だろう。明日の披露宴は小規模なものだ。お呼びでない客がうろちょろされると、困るんだが」

「おや、金で得られた名誉だと言うのに、うだつの上がらない殿下は勇ましいですね。テトラ第一王女殿下のご意志も、金で買いましたか?」

「どうだろうな。俺が婚約者に出来ることなんざ、出資者パトロンになって助けるくらいだしよ」

「卑しい男だ、リナン・ナルツシード。少し先んじただけで、彼女を得られたとでも?」

「知らねぇよ。なんにせよ、お前にそれを確かめる術はない。明日は兄上の結婚式でも見て、さっさと帰るんだな」


 鼻で笑うリナンは、興味を無くしたように歩き出す。シラストが絶妙に位置を変えて、彼とテトラを守り、テトラはリナンの後へ付き従った。

 しかし横を通り過ぎようとしたところで、リナンがあえて足を止める。

 無表情に近しい顔で、こちらを見下ろすシェルパを僅かに見上げ、鬱蒼と笑い目を細めた。


 それはテトラが、これまで見た事がない部類の顔で、思わず背筋を悪寒が駆け上がる。


「忠告しといてやるよ。明日、婚約披露宴は観に来ない方が良い」

「……どういう意味でしょう?」

「こういう意味だよ」


 リナンの手がテトラに触れて髪留めを外し、薄皮向き作業でまとめていた髪を解いた。

 レベリカに命じられ切った髪が、胸の辺りで揺れてテトラは目を丸くする。


 しかしリナンの行動以上に、愕然とした悲鳴を上げたのは、シェルパだった。


「な、って、テトラ王女殿下の、髪が、っ髪が! どうして、あの美しい髪が、っ」


 テトラに掴みかかろうとする彼を、リナンとシラストが押し留める。

 第一王子の混乱っぷりに動揺する従者達も、自国の王子を後ろから宥めた。

 シェルパは大きく目を見開き、次いで文字にできない形相でリナンを睨みつける。


 リナンはテトラの髪を指先ですくと、溜め息を吐き出した。


「レベリカに切れと命じられた。嘘だと思うなら、侍女にでも聞けばいい。その辺の使用人でもいいぞ。見ていた人間は多いからな」


 テトラが断髪した後。

 リナンと二人でこれみよがしに、短くなった髪を晒して動き回ったのだ。

 城内ではあっという間に、レベリカ第一皇女が、他国の王女に髪を切れと命じたと広まり、それは皇帝夫妻の耳にも入っている。


 皇帝夫妻は、リナンとその婚約者のことだからと、始めは気に留めない様子であった。

 しかしレヴィンスの一声で、少しずつ高位貴族の動向が怪しくなってきた今、無視できない問題として頭を悩ませている。


 本当に通貨の原材料の流通が、鈍くなってきているのだ。

 このまま手をこまねいていては、近い将来、皇帝の元に集まる金回りは、非常に悪くなるだろう。

 

 王族のを維持する事は、実は想像以上に出費がかさむのである。王家や高位貴族は国の経済を回すため、それ相応に自国へ金を落とす義務があるからだ。

 特にギンゴー帝国は全体の生活水準が高いので、自ずと出費も跳ね上がってくる。

 金回りが鈍れば、王家はどこかに頼るしかない。皇兄殿下という強力な後ろ盾を持ち、一人でも十分暮らしていけるリナンは、その最も筆頭に立つ男なのだ。


 皇帝夫妻は初めて、リナンの存在を無視できなかった。

 

 よってレベリカ皇女は自室謹慎を言い渡され、今も部屋で見張りをつけられている。三人の侍女は、鬱憤が溜まり当たり散らしている皇女の相手で、すっかり疲弊していると噂だった。

 

「な、なん、……なぜ、うそだ、完璧な造形美が、こんな、私がどれだけ便宜を図って、嘘だ、約束が違う」

「その様子だと、レベリカから話は聞いてないか。ま、言えないだろうな。テトラに執着しているお前には」

「お前は何をやっていた? どうしてだ、側に居たんだろう、彼女が髪を切るのを指を咥えて見ていたのか!?」


 詰め寄るシェルパが、リナンの胸ぐらを掴み上げる。

 テトラは血の気が引いて、無意識にその腕に掴み掛かろうとした刹那、リナンが静かに口を開いた。


「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ、シェルパドゥーラ・ハルベナリア。お前、テトラが駆けずり回っている間、何を見ていた? テトラの父君と母君が城を売るまで、指を咥えて見てたのか?」


 


 


 



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