第11封 日々は些事の繰り返し③




 リナンの執務室に戻った後は、大半が待ち時間だ。


 彼に接して一週間しか経っていないので、まだ行動の癖を把握できていない。その為テトラは、暫くリナンを観察するべく、あまり出しゃばらない事にした。

 軽食を食べながら紅茶を飲むタイミングや、商談に向かう際の歩幅の間隔。扉の開閉や椅子の引き方。リナンが行いたい事を、円滑に行えるようにするために、彼を知る事が一番だ。

 幸いリナンは、テトラが多少不躾に見つめていても、半分空気だと思っているようである。遠慮なく観察させてもらおうと、彼の仕草を目で追った。


 午後の時間が過ぎれば、リナンは夕食へ向かう。

 その間、テトラは彼の私室に戻り、就寝の準備である。


 締め切ったままであった窓を開け、軽く空気を入れ替えると、部屋が冷える前に扉を閉めた。

 ベッドサイドにある丸テーブルで香木を焚き、微かに煙を燻らせつつ室内灯を灯す。

 クローゼットから取り出したリネンの肌着は柔らかく、寝巻きと共に籠の中に入れ、両手で持ち上げた。


 (さてと。後は湯の用意なのだけれど、流石にわたしじゃ何もできないのよね)


 侍女とはいえ、未婚同士が裸を見るのは悪しき習慣であるため、流石に湯殿の世話はできない。

 それに帝国内の慣習で、高位貴族の男は一人での入浴が普通だという。必要があれば一定年齢以上の、既婚者の女中が対応するのが一般的であった。


 テトラは静かに扉を閉めつつ廊下に出て、下女が用意している湯殿に立ち寄る。

 そこに丁度よくマウラバルがやってきたので、テトラは脱衣場に籠を置いた。


「マウラバル侍女長。第三皇子殿下の、着替えの用意をお持ちしました」

「よろしい。殿下のご様子はわたくしが見ますから、貴女は夕食を食べておいでなさい」

「ありがとうございます」


 姿勢を正して一礼し、賄いを貰いに厨房へ歩いていく。

 途中で、早々も早々に食事を切り上げてきたリナンと出会でくわし、テトラはサッと通路を開けて頭を下げた。


「お早いお戻りですね。湯殿の用意は出来ております」

「ああ……お前は今から飯なのか?」

「あ、はい。そうです。すぐ戻りますね」

「……別に。戻ってきても視線がうざったいだけだから、ちょっとは落ち着いてきたら」

「そういうところが減点対象ですよ、殿下」


 つぶさに見なければ、把握できないのだから仕方がない。つい睨め付けて反論してしまうが、リナンの横顔はどこ吹く風だ。

 半歩離れて聞いていたシラストが、テトラに軽く頭を下げて目尻を緩ませた。


「今日の賄いは、ひよこ豆と牛肉を煮込んだ物と聞いています」

「本当ですか? わたし豆料理大好きなんです!」

「そ、そそ、そうなのですか? では、その、僭越ながら今度、お食じ、でぇっいだッ」


 真っ赤な顔で何事か言おうとしたシラストを、リナンの片足が思い切り蹴りつける。鋭い一撃はすねに直撃したようで、近衛騎士は青い顔でうずくまった。


「流石に痛い……! 何をなさるんですか殿下!」

「何してんだはこっちのセリフだっつーのクソが」

 

 目をぱちくりするテトラの前で、リナンはシラストを見ろして盛大に舌打ちする。

 おそらく食事に誘われたような気もするが、流石のリナンも、テトラの立場をおもんぱかってくれたのだろう。従者が主人の婚約者を食事に誘うなど、もはやただの笑い話である。

 

 テトラは苦笑混じりに、シラストへ片手を差し出した。

 パァっと表情を輝かせる姿は、年上ながら大型犬のような可愛らしさがある。テトラの手を取って立ち上がった彼は、触れた片手を何度も開いては握っていた。

 リナンから聞かされているが、シラストは本当に惚れっぽいのだという。少し距離が縮まった令嬢相手は皆、こうなるらしく、リナンが心底疎ましそうに息を吐き出していた。


「お気持ちだけ受け取っておりますね、シラストさま。では、後ほどまた」


 侍女服の裾を持ち上げて再度頭を下げ、踵を返したところで、不意に手首を掴まれる。

 驚いて振り返れば、掴んだ張本人のリナンが、テトラを半目で睨んでいた。


「近いうちに出掛けるから、用意してろよ」

「へ? ……あ、商談ですか?」

「買い物だよ、お前の。金なら出すっつってんだろ。少しはそんなババァみたいな服じゃなくて、くらい張れ」


 いや、これを準備したあなたが言う?


 そう口から飛び出しかけ、しかしテトラは押し黙った。

 リナンの様子から、ある可能性に思い当たり、額に青筋を浮かべて顎を引く。

 

「この侍女服を用意したのは、ハンバルさまですよ?」

「あ? ……お前がこれが良いって、言ったんじゃねぇの?」


 怪訝な顔をするリナンに、嘘は見受けられない。と言うより、少し困惑すらしている。

 どうやらいっぱい食わされていたらしい。テトラは不躾ながら長い溜め息を吐き出し、やんわりとリナンの手から逃れて、唇を尖らせた。


「わたしだって、もうちょっと可愛い服が良かったですよ! 良い品物ですからこのまま着ますけどね!」

「…………」

「ほら、だからハンバルに任せるのは良くないと、言ったじゃないですか……!」


 助言してくれていたらしい。やはりシラストは良い人である。

 リナンは苛立たしげに片手で髪を乱し、テトラ同様に息を吐き出してから、何度か頷いた。


「面倒くせぇことしやがって……。悪かった、可愛い侍女服な、はいはい」

「言質取りましたからね!」


 まぁテトラとて派手な衣類は好まないので、自分が選んでも似たり寄ったりと言われるかもしれないが。

 それでもリナンと共に外出の許可が出るのは、単純に喜ばしい。ようやく置き場所に困っていた、用途不明な宝石類を換金できる。

 そのままリナンの名義で手続きを済ませ、送金まで終えたいところだ。ナンフェア王国で手放した王城の、再建費用の足しにもなるだろう。

 

 今度こそ踵を返し、テトラは足音も軽く、厨房に向けて歩き出した。


 


 

 


 

 

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