第6封 汚部屋の宝物庫①




 テトラの小さな胸は、今度こそ大いなる期待に膨らんでいた。


 いよいよ今日からギンゴー帝国で、住み込み侍女業に従事する事になる。

 リナンから受け取った資金で最低限の用意を揃え、またまた迎えに来てくれた帝国の馬車に揺られ、三日間。

 テトラは古いトランク一つを膝に抱え、瞳を輝かせて王都に入った。


 城の裏側から城内に通され、騎士と共に廊下を歩いていくと、老齢の女が出迎える。

 これまた神経質そうな、グレイッシュヘアーのミセスであった。情熱的な瞳の色が、どことなく似ているので、ハンバルの身内かもしれない。

 

「侍女長のマウラバルです、帝国へようこそ殿

「これからお世話になります、テトラと申します」


 テトラは細やかな花柄のワンピースの裾を、軽く持ち上げて膝を折った。一応、母の教育の賜物で、辞儀や歩き方には自信がある。

 ミセス・マウラバルは上から下までテトラを見下ろし、ふん、と鼻を鳴らして目を細めた。

 まがいなりにも他国の王女に向かって、やって良い仕草ではない。これがテトラでなければ、首が飛んでいた事だろう。

 

「ここでのあなたは、一介の侍女となります。王族としては扱いませんので、そのように」

「心得ております」

「……よろしい。早速ですが、第三皇子殿下の元へ参りましょう」


 マウラバルに案内された通路を渡り、ひとけのない奥まった部屋へ辿り着く。

 日当たり良好だが、随分と外れにある私室だ。

 あまり家族仲が良くないのかもと、テトラは姿勢を正しながら顎を引いた。


 マウラバルが扉を叩くと、中からドアノブが回って、近衛騎士が顔を見せる。

 彼はテトラを目に留め、慌てて髪を整えると、すぐに廊下に出て床に膝をついた。

 美しい鞘に収まった剣に触れ、首を垂れる騎士の辞儀に、テトラは目を丸くしてから微笑んだ。


「まぁ騎士さま、わたしは今、一介の侍女ですよ」

「し、しかし」

「シラスト騎士、第三皇子殿下は中に?」


 冷めた表情のミセスに、シラスト、と呼ばれた近衛騎士が、些か不服そうに顔を上げる。

 テトラに断りを入れてから立ち上がる姿は、間近で見ると屈強で高身長な男だ。マウラバルは心底嫌そうな視線を向ける。


「ああ、今は休まれている」

「ではテトラさん。ひとまずあなたは、部屋の清掃からお願いします」


 マウラバルは清掃用具置き場や、洗濯場などを簡単に伝え、さっさと来た道を戻ってしまった。

 流石に戸惑うテトラに、シラストは片手で顔を覆い息をついて、改めてテトラの前に膝をつく。


「テトラ王女……いや、その、テトラさま。お待ちしておりました」

「……ありがとう、シラスト騎士さま。そう言うわけで、清掃に入ろうかと思うのですが、まずはお部屋を拝見しても……」


 不意に、扉が内側から再び開いた。

 夜更かしでもしていたのか、隈が縁取る相貌のリナンが、扉に寄りかかりながらテトラを見下ろす。


「……ああ、何、もう来たのか」

「はい殿下。お部屋の清掃を言いつけられました」

「ふぅん、そう。……荷物はこれだけ?」


 リナンの視線が古びたトランクに移り、テトラは満面の笑みで掲げて見せた。


「はい! 愛用のトランクなんです」

「……そう。ドレスも随分普通だな」

「? それはまぁ、夜会ではありませんし……」


 いまいち会話の意図が掴めず、テトラは首を傾ける。


「まぁいいか。服は後で支給する。……掃除だろ? 適当にやってくれ」

 

 しかしリナンの脳内で何事か完結したようで、彼は面倒そうに扉を開けて、テトラを手招いた。

 家族を除き、異性の居住空間に入るのは初めてで、テトラはドキドキしながら足を踏み入れる。


 ──否、踏み入れようとして、思いとどまった。


 視界から見える範囲、足の踏み場もないほどの本、本、本。

 衣類は適当もいいところに積まれ、かけられ、投げ落ちて。

 ベッドメイクすら入らないようで、掛布も敷布も皺くちゃで、無駄に多様な枕が床に転げ落ちていた。

 かろうじて、食べかけの食事は無いようだったが、飲みかけのコップには水垢がこびり付いている。


 窓から差し込む日差しの中で、真冬の粉雪のように、埃がキラキラと輝いていた。


 テトラは唖然として、口を半開きにしながらリナンを見る。


「恐れながら殿下」

「あ?」

「わたしが侍女に決まるまで、どなたが掃除や片付けを……?」

「そこのシラストが」


 背後にいる近衛騎士に振り返れば、屈強な男は遠い目をして部屋から顔を逸らした。

 おそらく二人とも、基本的に掃除や片付けが苦手なのだろう。

 衣類やシーツ類は、廊下の決まった場所に出しておけば、勝手に下女が持っていくというが、あまりにも不摂生な部屋であった。


「……その、他の侍女は配属されなかったのですか?」

「言っただろ、あんま部屋に女を入れたくねぇんだよ」


 呆気に取られていたテトラの心は、打ち震えた。

 感動ではなく、憤りでだ。

 確かにリナンはトラウマがあり、複数の女を侍らせる事に抵抗があるのは、事実なのだろう。

 そうだとしても王族の部屋を、これほど放置して良い理由にはならないはずだ。


 テトラの目から見れば、リナンのに誰も寄り添わなかった事実だけが、浮き彫りになっている部屋だった。


 テトラは拳を握り締め、トランクを床に置いて留め具を開けると、布を取り出して口に巻く。

 視線を向けてくるリナンに、彼女は再び満面の笑みを浮かべて見せた。


「良いでしょう、腕がなります! わたしが絶対に、綺麗なお部屋へ復元しますからね、殿下! そうと決まれば、掃除用具をお借りしてきます!」

「…………はぁ、よろしく」


 心底気のない返事であったが、元気よく走っていくテトラに片手を振ると、彼は僅かに白緑の瞳を緩ませた。


 


 


 


  



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