第3話 十二年前、失った日③――世界α・アラサキ国

 レイの腕に更に力が入った。

カイトは息苦しくなり、頭をよじって角度を変えた。すると目の前の崩れた壁に、小さな穴があいていることに気づく。そこから、向こう側の光景が飛び込んできた。あまりに現実感のないものだったので、きっと極度の緊張状態が見せる幻覚か何かだと思った。


 跪く父と姉、床に倒れ嗚咽を上げるジュドと泣き叫ぶナナ――――四人とも四肢を鎖で繋がれ、衣服は破れ、至る所に血が滲んでいた。


「おい」


 敵将は白い肌の女だった。身に纏うのは赤い戦闘服で、胸元にはいくつもの勲章らしき宝石とリボンが並んでいる。


「残り二人の王子は? 見つからないのか」


 問いかけられた兵の一人が背筋をぴんと伸ばしながら、「は」と答える。


「探しておけ。たかが子供二人だけだ」


 コツと軍靴を鳴らし、女将軍はカイトの家族に向き直った。


「さてアラサキ王よ」


 彼女は手に持った短鞭を投げ捨てながら、父に呼びかけた。この鞭で先程ジュドを打ったのだろう。


「これから存分に、感情を揺さぶらせていただこうか。まずは上の姫君から。一番大人しくてつまらんからな。その次がそこで気絶しかけている真ん中の王子。その次に末の姫君だ。彼女が一番恐怖に対し素直だ。姉兄達が順に処刑される瞬間を、しかとご覧いただき、思うがままに泣き騒いでいただこう。子供が痛い苦しいと訴える声は、あなたの感情を揺るがすに、最も効果的であろう?」


 理解が追いつかない。

カイトは視線をずらし、直ぐ側で身を小さく屈めたままのアロンを見た。兄もまた、壁の隙間から向こう側を注視しているようだった。


「それに――――あなたの感情をより動かすことが一番の目的だが、これは私なりの慈悲でもあるのだ。王よ。末の姫君はまだ三歳だったな? 私の娘も同じ年でね。だから思うのだよ。ほんの数秒でも長く生かして、教えて差し上げたくはないか? この世がいかに無慈悲で理不尽で恐ろしいか。だからこその素晴らしさを。この世の秩序を」


 震えとともに、カイトに流れ込んでくるのは怒りの感情。それは彼自身のものではなかかった。身体をぴったりくっつけている、レイのものだ。彼のこんな荒々しい感情を知るのは、初めてのことだった。


「さあ、ナナ様。よく御覧なさい。お姉様の首が飛びますよ」


 敵将が振りかざした斧が、きらりと輝いたのが見えた。

 そして次の瞬間、カイトの視界は暗闇に変わった。温かい肌の感触。アロンの柔らかい手のひらが、カイトの視界を奪っていた。


「今なら抜けられる。走れ!」


 レイの声は大きかったが、ナナとジュドの悲鳴と、敵勢の歓声によってあっさりかき消された。


 その後、あの場に残された家族がどうなったのか。

カイトは知らない。見ていないのだから。


 自分を抱えたレイが、炎を避けて走り抜ける揺れを感じていただけだ。すぐ横で、アロンが嗚咽しながら駆けている気配がした。

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