第9話 子供の為に
約束の時刻が迫っていた。クイッと顎をしゃくることでシートベルトを促しすぐに車を出す。ちらりとひと間、視線を交わし、ゆるゆる走らせつつ土村の言葉に触れる。
そうか、あの程度の事でもそう取られてしまうのかと世代間の格差を思い知った。今の子は大事にされてきたその分、昔人間よりも打たれ弱くなってきていると聞く。そっと肝に銘じ、取り繕う。
「いや、何も怒ったわけじゃないんだ」
若い娘に気を遣う。嫁が娘を連れていってからというもの、久しくなかった行動だ。むず痒い感覚を覚えた事に、苦く微笑む。
「あんなものはな、怒った内に入らんよ」
あれくらいで怒られたと感じる純な心を案じ、心配になる。どんな育て方をされてきたのか、これからやっていけるのかと。長年会ってもいない娘の面影を見たせいか、要らぬ仏心が芽生えた。
「注意という程でもない。心根の問題だ。報道や記者なんてのはな。人の知りたい、誰も知らないことを、誰しもに分かるように伝えることこそが本質だろうさ」
指示機を出してハンドルを切りながら、横顔を探り見る。横に振られる中、土村は縦方向にこくりと揺れ動く。続けて話す。
「ジャーナリストは話を聞き出し、考え、結論づける。それなのにな。聞かず考えずしてどうする、と言いたかっただけだよ」
「なんだか、探偵みたいですね」
という感想に口元がふと緩む。
「そいつは良いな。現実の探偵よりかは、俺達の方がよっぽど探偵しているかもな」
クスクスと、ようやく見せた笑顔で俺は我に返った。己の本分を見失う所だった。思わず緩みかけた頬をピシリと引き締め、問いかける。
「何でまた、報道なんて目指してるんだ」
「大きな流れに惑わされないようにする為です。世界中で起きている様々な出来事を正しいものは正しく、間違っているものは違っていると、白黒はっきりとさせて皆に伝えたいし、私自身も知りたいんです」
思わずヒュウと、口笛を吹きたくなる様な答えが返ってきた。土村の身にいったい何があっての人生観なのかは知らないが、面接の返答らしき固さに真意は知れない。
「正義の名の下にってか?」
「ダメですか?」
「ダメとは言わんがなあ」
言葉を濁すと、問われる。
「友江さんはどうだったんですか。報道にいたって、伯父さんから聞いています」
迷うことなく即答する。
「金と地位の為だったな。芸も能も持ちやしない若造が業界人に近付くには、そんな方法しかないと思っていたからな」
「そんな理由からなんですか。欲にまみれて正義の欠片もない。そんなの最低です」
「そうか? よくある理由だと思うが」
報道、テレビ、マスメディアと。金と力が渦巻く世界に違いなかった。世に与える影響は計り知れないし、実際に力もある。周りの連中も一様に上を目指し、金と力を手に入れようと日々邁進していたものだ。
「まあ、悪いことは言わん。正義感なんて物はとっとと捨てちまえ。正義より金だ」
老獪の苦言も、若者の心に響きはしないようで反感を買った。
「お金も大事ですけど。だからって……」
「そんなつまらん、ありもしない物よりも俺には金がいるんだよ。子供の為にもな」
養育費を捻出しなければならなかった。会いたくないと言われた相手の為にせっせと働く姿は、我ながら滑稽な物に思える。
自嘲する様を、土村はじっと睨む。
「子供の為だからって理由を押し付けないで下さい。友江さんが選んだ事でしょう。正義を蔑ろに、悪い事をする為の言い訳に使うだなんて。された子供が可哀そうです。本当にそうする必要がある事でしたか?」
ズバリと言う。
青く若い意見と一笑に付すことも出来たが、子供を引き合いに出されちゃひとこと言ってやろうかという気にもなる。車体のスピードは過不足なく、法定速度を守ったままで走り続ける。
「正義ってのは全部作り物。まやかしだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます