第12話 ポイズンピンク(3)




 毒婦、という言葉がある。


 男を騙し、搾取し、殺す。

 そういった悪行を為す女を差した言葉だ。


 中国うちのくにでは、妲己とか、武則天とかがそれにあたるのだろう。




 あたしは、この言葉が嫌いだ。




「嘘つき、殺せないくせに」


 審査所から離れていくタクシーに、恨み言をぶつける。タクシーは一度も速度を緩める事なくトンネルを直走ひたはしり、視界の果てに消えていった。


 入街審査所の駐車場には、あたし一人だけが残された。

 音もない、誰も居ない、だだっ広いだけのトンネルは、振られた女にはお似合いの寂寥感に包まれている。


「…………あーあ、だめだった」


 涙は出なかった。

 元より分が悪い勝負だったからだ。

 スザクにその気がない事くらい、分かっていたからだ。


 それでも、あそこまで惨めったらしく縋ったのは、『もしかしたら』と、可能性に賭けてしまったからだ。


 怪人街を目の前にして、スザクに迷いが生まれたのなら、その心の間隙に割り込めるのではないか、と。

 まぁ、結局失敗したわけだが。


「……でも、約束はしたもんね」


 さっき彼と交わした、決闘の約束。全てが終わったら、戦ってやる……確かに彼はそう言った。


 決闘でスザクと戦う事は、スザクと結ばれるのと同じくらい、あたしにとっての幸せだ。




 だって、戦いなら。

 スザクに好きなだけ、傷を付けられるもの。




 格闘家という生き物は本質的に極上のサディストであり、同時に至上のマゾヒストでもある。


 ほとんどの格闘家は、相手を攻撃し痛め付け、倒す事に快楽を覚えるサディズムと、相手の攻撃を受け、厳しい修行に耐える事に快楽を感じるマゾヒズム、この二つの素質を兼ね揃えなくては成り立たないのだ。


 無論、あたしも例外ではない。あたしは、女としてスザクに惹かれると共に、格闘家としてスザクを傷付け、傷付けられたいとずっと思っている。


 だってスザクは、格闘家にとっては極上の獲物だからだ。

 右腕はガンダ君に獲られちゃったものの、それ以外の部位は多くの戦いを通して徹底的に鍛え上げられていながら、滑らかで傷一つ付いていない、美しい肌を持っている。

 格闘家を一種の芸術家として例えるならば、彼は真っ白なキャンパスのようなものだ。


 それでいてスザク本人は、例え相手が怪人であろうとも必要以上に殺すのを好まない──つまり、格闘家として無垢な、処女のような清廉さを保ったまま、格闘家として完成している。


 この事が格闘家としてどれだけ貴重で、どれだけ唆るものか、常人にはわかるまい。


 もしも彼の身体に一生残るような傷を付けられたらと思うと、思わず絶頂イキそうになる。


 きれいな彼の身体をあたしの手で汚せたら、それはどれだけ気持ちがいいだろうか。

 あるいは、彼にアタシに一生残るような傷を与えさせたら、彼はどれだけ苦悩するだろうか。


 『銀鱗』のサイズ採寸の時に彼の裸を拝んだ時、あたしの女として性欲と、格闘家としての嗜加虐欲せいよくが、どうしようもなく昂ったのは言うまでもない。




 女として愛したい事と、格闘家としてあいしたい事は、矛盾する。

 でも今、あたしは、女としては負けてしまった。あの女に、横浜エヴァンジェリンに。

 だから、後は格闘家としてしか、彼を──。


「……あーもうっ!ムカつく!あの〇〇〇女!」


 あの女の事を考えると苛々してくる。

 スザクに振られる事は前から覚悟していたとはいえ、やっぱり諦めることなんてできないし、したくない。


 こうなったら今すぐスザクを追っかけて、無理矢理にでも──。




 その時だった。

 背後で、審査場の建物の自動ドアが開く音がした。


「──ッ!」


 音を聞くと同時に、あたしは反射的に背後に向けて回し蹴りを放った。


「ぐわッ!」


 蹴りはあたしの背後に迫っていた何者かに寸分違わず命中し、思い切り相手を吹き飛ばす。


 素早く戦闘の構えを取り相手に向き直ると、蹴り倒した相手は、ついさっきまで、審査所のロッカーで眠っていたはずの──。


「なかなかいい蹴りじゃん、姉ちゃん……」


 入街審査員の、新人の怪人衛兵サツだった。


 がっしりとした体格の、なかなか見てくれのいい短髪の男の『スキン』を被り、青の制服を着た青年の姿をした怪人は、蹴りを顔面にもろに喰らったためか、薄く鼻血を垂らしている。


「……あたし、ちゃんと怪人用の睡眠薬を飲み物に混ぜたはずなんだけど?」


 それで何故、動けるの?

 そう疑問を投げかけようとして、男が答える。


「それは、外の世界で流通している睡眠薬のハナシだろ?怪人街さいたまけんの中じゃ、もっと強いクスリも流通してるし……怪人衛兵サツならば、この程度の薬剤に抗体を作る訓練はやらされる」


「なるほど」


 ──やはり怪人街には、『商会』が持つデータだけでは到底足りないほど、未詳の部分があるようだった。


「しかし何をするつもりだ、姉ちゃん。怪人衛兵サツに薬盛っておいて、まさかまともに帰れると思っちゃいないだろうな」


 目覚めたばかりなのか、男はまだあたしの正体や目的については分かっていないようだ。


 さっきまでここに居たスザクやタクシーについても聞いてこないし、何なら、本部への連絡もまだしていないだろう。


 目を覚まして、慌てて飛び出してきたという所か。


「……あらあら、こわいこわい。さっきまで一人で警備させられて怖がっていた新人くんとは思えないわぁ」


 安い挑発はそれでも彼の矮小なプライドを傷付けたのか、その一言だけで男の眉間に皺が寄った。


「……ほざくなよ、人間がよぉ。お前ら下等種族なんてなぁ、俺一人で十分なんだよ」


「だったらせめて『スキン』を脱いだらどう?あたし、あなたより強いよ?」


 『スキン』を着た状態だと、怪人の能力は五割程度まで落ち込む。それでも怪人は常人より強いが、『スキン』を着たままというのは、戦いにおいては全く褒められた判断では無かった。


「クク、『スキン』なんてなぁ、ハンデだよ、ハンデ。それに……姉ちゃんには今から俺の『ココ』でも相手してもらわないといけないからなぁ。こっちは昨日から連勤でよぉ、溜まってんだよ」


 そう言うと怪人衛兵サツの男は、制服のズボンのジッパーをおもむろに下ろした。

 ボクサータイプのグレーの下着が、ジッパーの隙間からのぞいて見える。


「あら……そういうコト」


 怪人は生殖器を持たず、本来、性行為を行うことができない。

 だが、怪人が持つ人間への擬態願望故か、あるいはかつて持っていた性器の名残か、怪人になっても性欲が残り、苦悩する個体も多く存在する。


 そして、『スキン』を被っている怪人の場合は、『スキン』の元の性別の性器を持つ為、子をなす事は出来ないが、性交の快感を得る事は出来るのだ。


 だから怪人街の盛り場には風俗街やホテル街、機械娼婦マシンスベタの立ちんぼなどが存在し、極道ヤクザのシノギになっているとか、果てには人間の娼婦が怪人街のビザを取り、怪人相手に商売をするケースも見られる──と、噂されている。


「へへ、どうせ明日の昼までは誰も交代に来ないんだ。俺を騙した罰として、一晩中付き合ってもらうぜ。死ぬほどヒィヒィ言わせてやる」


 男は下卑な笑みを浮かべながら、腰に下げた機械警棒マシンジッテを手に持ち、じりじりとこちらに近づいてくる。


 新人の下衆の怪人とはいえ、訓練を受けてるだけはある体捌きではあった。


「……やめておいた方がいいと思うわ。あたしついさっき振られたばっかで、あなたのことムカついて殺しそうだから」


「へへ、そりゃいい。相手の男はバカだな。こんなエロい女、ほっとくなんてよぉ」


「…………そうね。ほんと、バカよ」


 男とあたしの距離は、すでに三メートルを切っている。あと少しで、互いの攻撃範囲圏内だ。


「結局この街じゃよお、強さが全てだ。強い奴は弱い奴からどんなもんでも奪える。金も女も地位も、『スキン』も……なァッ!」


 怪人衛兵サツが、叫びと共に跳躍した。流石は怪人といったところか、常人には反応できない速度で、こちらに向かって一直線に向かってくる。


 口の端から唾液を垂らし、向かってくる男を見ながら、あたしは呟いた。

「いいわ……あなたの言うように、一晩中、付き合ってあげる。ただし……あたしが、死ぬほどヒィヒィ言わせる方だけど」




「──『電動』、『経始』」




 言霊と共に、あたしの体から、翠色の電流が空中に放電される。やがて電流は翠色のオーラとなってあたしの身体を覆い包み、暗いトンネル内を昼間のように照らす。


「……えっ」


 怪人衛兵サツの男が、それを見て間抜けな声を出した。




 『闇黒電剣流エレクトロニック・アーツ』の源流は中国山西省、太行山脈の隠れ里にて伝承された、生体電流を操る拳法、『打雷拳』にある。


 『打雷拳』の詳細は割愛するが、『打雷拳』は長い歴史の中で三つの流派に分岐したとされており、その一つが短器械(刀や剣などの近距離武器)を用いる門派──現代で『闇黒電剣流』と呼ばれる剣術である。


 そして、分岐したうちの一つには、電剣流と異なり、あくまでも拳足による戦闘に終始した拳法が今も存在している。


 それこそが、あたしが後継した、この──。




「『闇黒霆拳流エレクトロニック・アーツ』・『痲痺撃まひうち』」


 男の攻撃にカウンターして、翠色のオーラに包まれた拳を鼻先に叩き込んだ。

 その瞬間。

 パン、と破裂音がして、男の顔面が拳の衝撃と電撃の爆発により、肉を弾けさせながら吹っ飛んだ。

 右の眼球が眼窩から零れ落ち、鼻が削げ、顔の中央部が、潰れた柘榴の実のように、ピンク色の肉と骨を露出させる。


「ギ……ギャアアアッ!」

 男の叫び声は、ダメージの割に小さかった。

 何故なら、男の全身の筋肉が感電して痙攣した為、声がうまく出せなかったからだ。


 パンチを受け倒れた男の身体は手足がピンと伸び切って、まともに動けないでいる。

 感電した事による、筋収縮の影響だ。


 あたしは動けないで床に仰向けに倒れている男の側に歩み寄り、語りかける。


「そういえば君、今いい事言ったよね。なんだっけ……この街では、強い奴が全部を奪えるとか、なんとか……おかげであたし、いい事思いついちゃったんだよね〜」


「イ……イイイイ、ッタタタ……」


 電撃の影響で呂律が回っていないのか、顔面の半分が生焼けハンバーグみたいになっている男は、小刻みに震えながら声を出した。




「……あはは、おもろっ」

 その様子が、あまりにも無様で、面白くて。

 あたしは、かつて鼻があったであろうピンク色の肉の傷口に、思い切り靴の踵を捩じ込んだ。


「ピ……ピイイイイイイッ!」


 『スキン』は極めて精巧な人間の変装具であり、性器を持たない怪人に性的刺激を与える事さえ可能だ。

 痛覚も同様、『スキン』に与えた攻撃は、『スキン』の下の肉体へのダメージは無くとも、痛覚だけは十全に通す事が出来る。


「あっはっは、あっはっは。……結構良い声出すんじゃん!ほらほら!もっと頑張って!」


 何度も何度も何度も何度も、動かない男の傷口を、踵で蹴り潰す。

 神経を千切り骨を砕き肉を削ぐ。

 敵を倒す為じゃない、ただ、愉しいから。


 取るに取らない実力差のただの雑魚を、わざわざ時間をかけて嬲り殺すこの時間は、やはり格闘家として、堪らない快楽だ。




「ゴ……ガッ……」

 何度も蹴った結果か、男の顔はすでに『スキン』どころかその下の怪人の肉体すらも、グズグズになったピンク色の顔面の肉を晒していた。

 それでもまだ、死ぬ様子は無さそうだ。

 流石は怪人。頑丈に出来ている。

 ──その分、長く楽しめるというものだ。


「まだまだ頑張ってよ?明日の昼までは、誰も交代に来ないんでしょ?つまり、誰も助けに来ないんだからさ。……これから一晩中あなたをヒィヒィ言わせるんだから、耐えて欲しいなぁ。まあその後殺すけど」


 あたしの言葉に、倒れた怪人の肉体は怯えて縮こまったように見えたが、無視して今度は男の手の爪に指を這わせ、シールみたいに一気に剥がした。




 毒婦、という言葉がある。

 あたしは、この言葉が嫌いだ。


 だって、どんな女の子にも毒はあるもの。

 すきなひとの為なら、どんな人間をも破滅させ、殺す──恋慕という、猛毒が。


 あたしにも、あの女にも、どくはあるのだ。

 でも、スザクはそれに気付いていない。

 あの女の毒にスザクがやられる前に、あたしがスザクを助けてあげなくちゃ。


 怪人衛兵サツの男が言ったように、この怪人街では、強い者は何でも奪える、らしい。


 それを聞いて、閃いた。

 だったら、これだけ強いあたしが、あの女からスザクを奪えない道理なんて、ないって。


 正攻法ただしいみちで告白したって、無駄だったんだもん。

 だったら、無理矢理にでも奪っても、仕方ないよね?

 だって、欲しいんだもん。



 ──横浜エヴァンジェリン。

 そしてエヴァンジェリンのメイドであり、エヴァの横暴を許している、桜木町ナデシコ。

 スザクから搾取するあの二人の女から、どうやってスザクを奪おうか。

 ──それとも、殺した方が早いか。


 一体いつ、どうやってあの二人を陥れようか。

 そしてスザクの心を、どうやってあたしのモノにしようか。



 ──とりあえず、今夜は目の前のこの男で憂さ晴らししてから、ゆっくり考える事にした。






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 この作品の女は基本ヤバい人しかいないです。

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