殿下の唇強奪作戦 1
「殿下~~~~~~ぶっ!」
一限目の魔術の基礎のために校庭にやってきたエイミーは、すでにそこにいたライオネルを見つけるなり駆けだした。
しかし、両手を大きく広げて抱き着こうとするエイミーを、あと一歩のところでライオネルの長い腕が押し留める。
ライオネルの手のひらを顔に張り付けたエイミーは、それでも両腕をパタパタさせて彼に訴えた。
「殿下、今日はペアで実技ですよ! わたしたちのための時間です!」
「そんな時間あってたまるか‼」
「ああ、それにしても殿下、今日もシトラスミントのいい匂い……」
「やめろ‼」
くんくんと手のひらの匂いを嗅ぎはじめると、ライオネルが悲鳴を上げて手を引っ込める。
「へへへ」
「……お前は本当になんなんだ」
「殿下の婚約者ですよ! すきありっ」
エイミーはライオネルが脱力したわずかな隙を見つけて、ぎゅうっと彼の腕に抱き着いた。
「離れろ!」
「離れません! 婚約者は運命共同体ですよ」
「お前と運命を共同したくないっ。自分の巣に帰れモモンガ‼」
「わたしは人間ですよ。モモンガみたいに愛らしいって殿下が思ってくださるのは嬉しいですが、モモンガと人間は結婚できません」
「ああくそっ」
ライオネルは王太子にあるまじき悪態をついて、チッと大きく舌打ちした。
口では文句を言いつつも、エイミーの腕を力づくで振りほどこうとしないあたりライオネルは優しいと思う。
乱暴に見えて、ライオネルはいつも小柄なエイミーが怪我をしないように力を加減してくれているのだ。
(殿下、好き……)
そんな不器用な優しさにエイミーは毎日……いや、一分一秒が過ぎるごとにライオネルがもっと好きになる。
「あんた、ほどほどにしときなさいね。じゃ、わたしはあっちに行くわ」
「うん、またね」
「おい待てこれを回収していってくれ!」
「無理ですよ、だってエイミーの魔力量に合わせられるのは殿下しかいらっしゃいませんから」
「ぐ……!」
去っていくシンシアに手を振って、エイミーはライオネルを見上げた。
ライオネルは背が高いので、エイミーとは頭一つ分身長差がある。
「殿下殿下、今日のわたしどうですか?」
「いつもと同じだろう。いやいつにもまして気味が悪い。……なんだ?」
平坦な声で答えたライオネルに向かって自分の唇を指さすと、彼は眉間にしわを寄せた。
「歯でも痛いのか?」
「違いますよ。見てください。ぷるぷるでしょ?」
「なにが。頭の中か? ああ、お前の頭の中は脳のかわりにプティングでも詰まっているのか。道理で」
「唇です! キスしたくなりませんか?」
「なるか‼」
「えーでも、キスしたくなる唇になれるって書いてあったのに……」
「またわけのわからんことを……いいか? その口を少しでも俺に近づけてみろ、問答無用で猿轡を噛ませてやるからなっ」
「そんな、殿下以外が触れないように猿轡を噛ませてくれるなんて」
「お前は本当はものすごく馬鹿なんじゃないか⁉」
「恋に落ちたらみんな馬鹿になるらしいですよ。殿下もぜひ馬鹿になってください」
「もういい。お前と話していると体力も精神力も根こそぎ奪われていくからな」
「腰砕けですか?」
「違う‼」
「へへ~」
「なんで嬉しそうなんだ……」
なんでと言われても、ライオネルとたくさん話ができれば嬉しいに決まっているではないか。
(これってシンシアが言っていた痴話喧嘩よね。へへ、嬉しい……)
周囲から奇異な視線を注がれているのにも気づかずエイミーはうっとりする。
シンシアはよくあきれ顔をするけれど、ライオネルと婚約して十一年。これでもましになった方なのだ。
何故なら婚約当初は、ライオネルから完全に無視されていて、何を言っても何をしても彼は無反応だったのである。
だからエイミーは、とにかくライオネルから反応を取り付けようと、毎日毎日努力を重ねた。その結果がこれだ。ライオネルはぷんぷん怒っているが、それでも反応してエイミーを見てくれるようになった。ものすごく嬉しい。
一限目のはじまりを告げる鐘の音が鳴り響いて、教師が校庭にやって来た。
初級の防御結界についての説明を終えると、すぐに実技練習がはじまる。理論も大事だが、魔術はいかに練習してそれを自分のものにするかが大事なのだ。
「殿下殿下、もしわたしが殿下の防御結界を破ることができたらキスしてください」
「防御結界の授業なのに破ろうとする意味がわからん」
「わたしの防御結界が破れたら殿下のお願いを何でも一つ聞きますから」
「乗った!」
ライオネルが食いつくと、エイミーは飛び上がった。
「やったー! 約束ですよ?」
「もちろんだ。お前こそ約束は守れよ。なんでも言うことを訊くんだな」
「はい、もちろんです! あ……でも、できれば恥ずかしいお願いは二人きりの時に……」
「ハハハハハ安心しろそんな願いは死んでも口にしないしそんな日は永遠に訪れない」
ライオネルは乾いた笑い声を立ててポッと頬を染めるエイミーを無視すると、さっそく自分の周りに結界を展開させた。
それは授業で教師が説明した「初級」の防御結界ではなく「上級」のそれだったが、教師も見て見ぬふりをしている。二人が入学して一か月。二人の「じゃれあい」は無視するに限ると、教師たちの間では暗黙の了解になっているからだ。もちろんエイミーもライオネルも知らないが。
ライオネルが上級魔術で強固な結界を築き上げると、エイミーも負けじと自分の周りに結界を展開させた。もちろんこちらも上級だ。
「時間制限はどうする」
「五分にしましょう」
「いいだろう。それから炎魔術は禁止だ。周囲に被害が出るといけないからな」
上級の結界を破ろうとすれば、もちろん上級の攻撃魔術で攻撃しなければならない。
エイミーとライオネルが全力で炎魔術を使えば、おそらく大爆発が起きて大変なことになるだろう。だからエイミーも頷く。
「もちろんです。そうですね。風魔術と水魔術、土魔術に限定しましょう。複合魔術もだめですよ」
「望むところだ」
「じゃあさっそく――」
ルールを決め終えると、エイミーはすぐに魔術を発動させた。
何と言ってもライオネルの結界が破れればキスしてもらえるのである。
ライオネルとキス……。
ライオネルとのキスは、三年前に、隙を見て強引に唇を奪って以来だ。それからというものライオネルに警戒されすぎてすべて不発に終わっている。
(絶対にキスしてもらうんだから!)
せっかく唇をぷるぷるにしたのである。何が何でもライオネルの形のいい唇にチュッとしてもらうのだ‼
「ってお前は最初から……!」
巨大な風の塊をぶつけたエイミーに、ライオネルが舌打ちする。
しかし、ライオネルも当然負けてはいない。
風をすべて防ぎ切った後で、土魔術でいくつもの礫を生むと、それを弾丸のごとくエイミーの結界にぶつける。
当然エイミーもその攻撃をすべて防ぎきって、水の魔術で次の攻撃へと移る。
いつしかクラスメイト達が自分たちの練習の手を止めて二人の応酬に見入っていたことになど気づきもせず、エイミーもライオネルも互いの結界をぶち破ることだけに集中していた。
(五分じゃなくて十分にすればよかったわ! さすが殿下、全然結界が破れない! あと一分しかないわどうしたらいいの殿下の唇~~~~~~!)
何が何でも三年ぶりの二度目のキスが欲しいエイミーは、必死になって頭を回転させた。
ライオネルの頭のねじが数本飛んでいると言わしめるエイミーだが、基本的なスペックはかなり高い。その無駄に高い頭脳をフル回転させて、今この場で最適な攻撃を考えた結果――エイミーは閃いた。
魔術とは、術者の意思によって発動する。
では、その意思を奪うにはどうすればいいのか。
「殿下、覚悟~~~~~~‼」
直後。
「うわああああああああ‼」
ドーンと、突如として足元に出現した巨大な落とし穴の中に、ライオネルは悲鳴を上げながら落下した。
――結果、人生二度目の落とし穴にはまったライオネルは、十一年前と同じように気を失ってしまったのだった。
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