第27話 クラウスの不在
薬の効果が持続するのではないかという心配は杞憂に終わった。
翌朝、当然のように目を覚ましたゲルトは、いつも通りのゲルトだった。
西の森に連れて行かれ、拘束された後、水を飲まされたことは覚えていたが、それ以降の記憶は曖昧で、三日間も閉じ込められていたという認識はなかったようだ。
安堵したと同時に、不安にも駆られた。辛い記憶がないことは幸いだが、記憶が飛ぶほどの薬を飲まされたという事実が懸念される。
だが、それから数日経ても、ゲルトの健康に問題が出てこなかったこともあり、次第に不安は溶けていった。クラウスと顔を合わさなかったことも大きい。
意図的なのかどうか定かではないが、小屋の鍵を受け取ってからというもの、クラウスと顔を合わすことがなかった。屋敷にいたことはいたようだが、食堂で食事を共にすることも、廊下で擦れ違うこともなく、平穏な時が過ぎた。そのうち、遠出をすると言い残し、出掛けて行ったことをコリンナから聞いた。
溜まった仕事が一段落すると、息抜きに街へ繰り出すのが彼の慣習らしい。
その度に新しい女性を伴ってくるということで、使用人たちは主人不在の屋敷で見るからに気楽そうでありながら、嵐が来るのを身構えている節があった。
「また我儘な人を連れて来たら参ります」
コリンナがリアの髪を梳きながら、心底嫌そうにため息をつく。
開けた窓からは、朝日と清々しいほどの涼やかな風が入り込み、部屋の中の空気を塗り替えていく。
「連れてくる女性はいつも一人?」
鏡越しにコリンナを見れば、コリンナははたと動きを止めた。
「そういえば、一度もありませんね」
コリンナはきゅうと眉を寄せ、考え込むようにして櫛を手にしたまま顎に手を当てる。
「鉢合わせしたこともありません。屋敷に滞在していた女性たちも、次にクラウス様が遠出するときにはいなくなっていますから。自ら出て行かれる方も多いですが、クラウス様が追い出している素振りもありましたね」
「そう、上手くやってるのね」
呆れ半分で相槌を打つと、コリンナは目を瞬かせて、鏡を通してリアを見つめた。
「でも、今回はリア様がいます」
戸惑うように視線を泳がせてから、思い出したように再び銀糸の髪に櫛を通し始める。
「そうね。でも、きっと私は今までの女性たちとは違うんだわ」
リアはクラウスに魅力を感じてここへ来たわけではない。脅されて強制的に連れて来られたのだ。きっと今までクラウスに伴われてきた女性たちは、彼を男性として好いて着いて来たのだろう。
確かにクラウスの容貌は、世の女性たちに魅力的に映るに違いない。堀の深い、目鼻立ちの整った顔に、闇夜を集めたような艶やかな黒髪、同じ色の瞳に、ややつり上がった目尻。襟足の長い髪が首に掛かる姿は色気があり、身長もかなりある。騎士のように鍛錬を積んでいるわけではないだろうが、その体躯は十分逞しい。
もし、彼の人となりを知らず、リアやゲルトに対し不当な扱いをしていなければ、リアだって、彼の姿に魅入られたに違いない。好みは別として。
だから、他の女性たちは自らの意志でクラウスに寄り添い、モルゲーン屋敷を訪れているはずだ。
そういう意味で、リアと彼女たちの立場は全く違う。
だが、肯定の意を表し、こくこくと頷くコリンナはリアの発言に別の解釈をしたようだった。
「そうですね。リア様はとてもお優しくて、気さくでいらして、今までの女性たちとはまるで違います」
「えっと、そうでは……」
「だから、クラウス様もどうしたらいいのかわからないのかもしれませんね」
「え……?」
コリンナは思案顔になって、黙々と髪に櫛を通し続ける。
話を続けようと口を開きかけ、けれど躊躇して、口を閉じた。
クラウスがリアをどう思っていようと関係ないではないか。リアにとって彼は敵であり、決して打ち解けることのできない人間なのだ。
頭皮に心地よい刺激を受けながら、リアは窓の外を眺め、小さく息を吐いた。
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