第2話 憧れの人

雲野壮介くものそうすけは、響子の憧れの人だった。

四歳上の兄、大吾が家によく連れてくるイケメンの同級生で、成績優秀、品行方正、スポーツ万能の三拍子揃った、素敵なお兄様。だらしなく、足は速いが、基本何でも適当男である大吾と、なぜ気が合うのかわからなかったほどだ。できれば、同じ学校に通いたかった。四歳違うと、中学も高校も同じにならないのだ。残念なことに、小学校は学区が違った。


大吾が壮介と出会ったのは中学一年生の時で、出会って早々なぜか気が合い、桜吹雪の舞う通学路を通り、大吾は壮介を家に連れてきた。

響子が七歳、壮介が十二歳のときだ。

それ以来、大吾はしばしば壮介を家に招いた。カードゲームや、ボードゲームに興じ、静かに漫画を読み始め、でも結局はテレビゲームに移行する。兄たちの遊び方だった。


テレビゲームが始まると、自分の部屋に籠っていた大吾たちは、テレビのある居間に下りてくる。そこで、響子はいつも兄たちの後ろから彼らのプレイするゲームの様子を眺めていた。


「きょん、自分の部屋に行けよ。邪魔だよ」


大吾から心無い言葉を投げつけられても、響子は頑として動かない。


「お兄ちゃん、ここはわたしの家でもあるんだよ。どこにいようとわたしの自由なの」


「でも、つまんないだろ? 自分の部屋でお得意のお人形遊びでもしてろよ」


言い合いを始める兄妹に、慌てたように間に入るのは壮介だった。


「大吾、響子ちゃんの言う通りだよ。響子ちゃん、一緒にゲームしようか?」


十三歳にして既にイケメンであった壮介に優しく声を掛けられ、響子は胸が震えるほど嬉しかった。


「ありがとう! でも、私は苦手だから。そーすけくんがやってるの見てる方がいい」


この頃は、大吾が「そーすけ」と呼んでいたこともあり、響子も「そーすけくん」と何の違和感もなく呼んでいた。それが「雲野くん」になったのはいつからだろう? おそらく、十二歳くらいだったのではないかと思う。急に恥ずかしくなってしまったのだ。それは、壮介に対して、淡い恋心を自覚したからかもしれなかった。

 

大吾が連れてくるのは、もちろん壮介だけではなかった。他にも何人かいたのだが、ずっと変わらずやってきたのは壮介だけ。煙たがらず、優しくしてくれたのも壮介だけだった。


壮介は必ずお菓子を持参した。しかも、響子の好きな物ばかり。偶然なのだろうが、それがすごく嬉しかった。苺チョコレートにはまっていたときは、苺チョコマシュマロや、苺チョコのかかったプレッツェル。チーズスナックのときは、あらゆる製菓会社のチーズスナックを持ってきてくれた。


(もう、これは運命なんじゃない!)


などと、本気で考えた。

怠け者の大吾が、秀才の壮介と同じ学校に入学するという奇跡のおかげで、高校生になっても壮介は家にやって来た。


さすがに、壮介の国立大学に入ることは叶わなかったが、それでもお互い地元の大学ということもあり、大学生になっても交流は続いていた。

中学生の頃から、時折夕飯を食べていくこともあった為、両親も壮介のことはよく知っていた。完璧すぎる壮介が、なぜ大吾と仲が良いのかと、母も時々首を傾げていたが、礼儀正しい美男子がよく顔を見せてくれることに、母は喜んでいた。もちろん、響子も。


そんな、大吾と壮介が長いこと遊んでいたのが「リントヴルム・サーガ」だ。千年ぶりに復活した魔王を倒す勇者たちの物語で、主人公を八人のキャラクターから選べるというRPG。響子もすっかり夢中になり、戦闘場面などのBGMを時折口ずさむほどだった。

 

響子の受験勉強中だからと来るのを控えていた壮介が久々に訪れた日、居間でお菓子を摘まみながら、大吾と壮介が話していた。

麦茶を飲みに来たという建前で、一階に下りてきた響子は、久々に見る壮介の笑顔が眩しかった。


「響子ちゃん、お邪魔してます。久しぶりだね。無理してない?」

 

壮介は小さなピンク色の紙袋を響子に差し出した。中には、高級そうなお菓子の箱が入っている。


「これは……」


「今、人気のチョコレートなんだって。勉強の合間にどうぞ」


「すっごく並んだらしいぞー」


椅子にだらしなく座った大吾がぼりぼり煎餅を頬張りながら付け加える。


「ええ⁉ 並んだんですか⁉」


わざわざ私の為に——?


「おい、大吾。それは言うなってさっき言った」


苦笑する壮介に、「そうだったけか?」と気のない返事をする大吾。

胸にじわじわと温かいものが込み上げて、鼻の奥がつんとした。


「あ、ありがとうございます! 大事に少しずつ食べます‼」


頭を下げると、壮介の困ったような笑い声が聞こえた。


「いや、溶ける前に食べて」


眉尻を下げる顔もかっこいいなどと思っていた時、大吾が突然話を変えた。


「そういえば、リンサガの女性向けシミュレーション恋愛ゲーム出るんだってよ、知ってるか?」


「らしいね。でも、女性向けだと、俺たちはどうだろう……手を出す必要はない?」


「なぁー。でも、キャラクターはそのままらしいし、番外編と考えれば面白いかもだぜ」


「うーん……恋愛シミュレーション」


兄たちの会話から、響子は「リントヴルム・サーガ」の乙女ゲーム化を知ったのだ。


(女子としては気になるかも。よし、発売したら買って、ふたりをびっくりさせてやろうっと)


二人の会話から、響子は、「リントヴルム・サーガ」の乙女ゲーム化した「聖女の恋は前途多難~リントヴルム・サーガ~」を購入することを決めたのだ。


だが、結局、手に入れた乙女ゲームをプレイすることはできなかった。

買ったその日に、響子は命を落としたからだ。



七歳を境に、リアの意識は変わった。

性格や行動が、ではない。

七歳にして、異世界に生を受けた十五歳の少女の記憶を手に入れたのだ。

変わるのが自然だった。

風間響子は、リアの前世だろう。

あの日、あの横断歩道で、響子は命を絶たれた。


憧れの、淡い恋心を抱いていた彼の助けを受けたのにも関わらず。

前世を思うとき、必ず考えるのは壮介のことだ。

響子の腕を引き、その胸に抱き込み——一緒に跳ね飛ばされた青年。

たまたま見掛けて、駆けつけてくれたのだろうと思う。

とても優しい人だったから、後先考えずに飛び込んだのだろう。


「雲野くんは生きているの?」


生きていてほしいと思う。


「今も、雲野くんとして」


そうであってほしいと切に願う。

響子を助けたことで、命を落としたなどという最悪の結末は考えたくない。


だが——


最期に見た壮介の顔は青白かった。

頭を付けたアスファルトには血が滲んでいるようにも見えた。

焦点の定まっていないような虚ろな目で、彼は口を動かしていた。


(雲野くんは、何て言っていたんだろう)


知りたかった。

けれど、もう知る手立てなどないのだ。

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