第十二章 大穴

夢弦は気が急いていた。

「ええい、まだかえ」

待っているのは、平貞盛の代理を名乗る男である。

ここは夢弦の別邸である。

「お待たせした」

御簾の向こうに、三人の男が現れた。

一人を先頭に、残り二人は書を携えている。

「話は聞いておろう。手早く頼むぞ」

「ははっ」

先頭の男が恭しく頭を垂れる。

かの地が手に入れば、上皇様に取り立てていただける。

そうすれば我が身は生涯安泰よ――。

夢弦の中には、そのような算段がなされている。

男たちは目の前で一通りの作法にのっとり、土地の寄進の手筈を着々と進めている。

何やらつらつらと書にしたためているものが御簾の下から女御ごしに渡され、夢弦は言われるがままにそれに署名した。

「これで、かの地は夢弦様のものでございます。おめでとうございます」

「おめでとうございます」

その場にいた誰もが夢弦に頭を下げる。

「うむ」

これで、これでわが身は安泰じゃ。

夢弦は天にも昇る心地であった。

しかし、契約の書の夢弦の署名がなされたと同時に、かの地を中心に存在する怪たちが、口々に「みやこ…都…夢弦…」とささやきだしたことを知る者はいなかった。

ただ、一色と雅之のみが、何やら様子がおかしいことに気づいた。

そしてその夜、かの地にある穴から、誰も見たことがないほどの、大量の怪が、百鬼夜行として流れ出たのであった。

「これは……」

それを間近に見ていた一色と雅之は、互いに顔を見合わせるのであった。


平貞盛と義彬の間では、相変わらずにらみあいと小競り合いが続いていたが、百鬼夜行の現れたちょうどその翌日、ついに大将同士の一騎打ちが行われることになった。

両陣営、大将を前に、総勢百余名の男たちが朝からにらみ合っていた。

貞盛と義彬、互いに名乗りをあげ、馬に乗り攻め入ったのは、太陽が高く昇ってからであった。

力量は互角、何度となくつばぜり合いが交わされる。

そんな中で、貞盛が義彬に語りかける。

「のう義彬、知っておったか」

「何をじゃ」

「冥土の土産に教えてやろう。

 我が父がなぜ大穴なんぞ開けたのかを」

互いに体力も底をつきかけており、まさに次に振り下ろされる一太刀が、雌雄を決するといった場面での語らいである。

「はっ。そちらに大儀があったなどとは言わせんぞ」

義彬が笑って言う。

「あったのよ。おおありよ。

 実はな、我が父は、時の帝の命を受けておったのよ」

「まさか。それを信じろと?」

「さあて、事実は事実だ。

 まあ聞け。

 時の帝はな、不思議の術で都をおさめたと口々に言われておる。

 逆よ。

 世に不思議が起こり、帝が術を唱えれば、それがぴたりとやむ」

そう聞いて義彬の瞳がかっと見開く。

「まさか帝は――」

「そう、怪と手を組んでおるのよ」

一太刀が振り下ろされる。

互いにそれをひらりと避けて会話は続く。

「では今度の件は――」

「さあて、俺は何も知らねえな。

 ただ一つ言えることは、お前はここで死ぬ。

 そして己が次の帝になるのよ――」

貞盛がそう言って次の一太刀のために腕を振り上げたときであった。

突然に穴が宙にまでその域を広げた。

四方から見ると球となった穴は、辺りのものを、吸い込み始める。

それも、ものすごい勢いで。

「な、なんんだあっ」

貞盛が叫ぶ。

見る間に、視界に入っていたものすべてが、穴に飲み込まれてゆく――。

傍らにいた兵が飲み込まれて既にいない。

かの地に隣接していた小屋は一番に吹き飛ばされた。

馬も木々もみな、穴に吸い込まれてゆく――。

貞盛は見た。

暗い穴に吸い込まれながら、その底に大きななまずが泳いでいるのを。

「はっ。所詮、この世は、くだらねぇ……」

貞盛はそうつぶやくと、ひとり大穴の内へ落ちていった。


「どうやら、狐様はお香に傾いたらしいな。」

穴からの突風をしのぎながら、一色がひごりごちる。

お香につけていた形代が、一部始終を伝えてくれる。

「何じゃと」

雅之が問う。

「お香という供え物と、平氏一党が引き換えになったとな」

「そうかい。そりゃあ何よりだ」

雅之はそう言うと、腰のものに手をやった。

てっきりそばにある縄でも切るものかと思った一色は、雅之が己に刀を振り下ろしてきたので目を見開いた。

反応する間もなく、袈裟切りに血が飛ぶ。

「せいぜい、内側から封を閉じてくれや」

雅之がにやりと笑う。

「雅之、おぬし――。」

一色の顔が苦痛にゆがむ。

「悪いな、俺は上皇様より言い遣っていたんじゃ。

 穴を封じる策を講じろ、とな。

 こうなりゃお前頼みじゃ。

 よろしく頼むぞ。」

そう言って雅之は何でも吸い込んでゆく巨大な穴に向かい、突風が吹きすさぶ中、一色の体を投げた。

一色は見た。

雅之の顔を、きっと見た。

その顔は、すがすがしいほどであった。

それを見て、一色はひとり穴に落ちながら口を開く。

「そうか。

 まぁいい。

 おぬしとはまたどこかで会いそうなきがする。

 面白かった。

 また会おうぞ、雅之――」

足元では大なまずがうねっている。

「おっと、おとなしく喰われる気はないからな」

一色は印を結ぶ。

呪が唱えられ、一色の体が紫色の霧で覆われる。

「おおん――」

その声とともに、一色は、深い穴の中へと落ちていった。


ここは夢弦の邸宅である。

夢弦は例によって、とある公達の腕の中にいた。

酒をあおりまどろみながら、夢弦はこれからのことを考える。

かの土地を上皇様に寄進して、のぼりつめた先には何があるのだろう。

その景色が早く見たい――。

夢弦は今一度、男の腕の中で体を転がした。

ふと空を見上げる。

白くぼんやりとした雲が流れてゆく。

その中に、黒い点がいくつも見え始める。

夢弦はおののいた。

再びの――百鬼夜行――。

後にともにいた公達の語ったところによると、夢弦は「怪に殺される……」とうわごとを繰り返してこと切れたという。


また、この日、宮中に大きな雷が一つ落ちた。

これにより、大勢の宮廷人が亡くなった。

それらはすべて、上皇の秘密を知るものであった。

それを一人知る上皇は、この日から、奥の院に閉じこもって出てこなくなってしまったという。

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