第七章 逃走

一色たち四名が、平貞盛一党に囚われの身となり三日が過ぎた。

この日、辺り一帯の役人である貞盛は、用があると言って朝早くから寺を留守にしていた。

残された者たちはそれまで通りに過ごすこととなり、四名も午前中は書庫にこもっていた。

見張りはうまい具合にいない。

「これは好機ではなかろうか。」

雅之がぼそりとつぶやいた。

「いかにも。」

同調を示したのは一色である。

「好機とは?」

玄奈が尋ねる。

「逃げ出すってこと?」

真中が息をひそめて書棚の間から顔をのぞかせる。

「やっかいなのは貞盛一人だ。あとは見たところ大差ない。

 あれくらいなら幻術で時をしのげる。

 どうせここにいても延命しかできないなら逃げるが勝ち。」

雅之が言う。

「やるか。」

四名の目が光った。


それは昼餉の時であった。

大広間で一同に食事をしていた面々は、部屋の天井の隅に黒い煙が立ち上っていることに気が付いた。

や――、火事か――。

あわてて水を用意する者、逃げ出す者。

しかしよく見ると肝心の火の手が見えない。

心なしか、煙たくもなんともない。

はて――。

皆が不思議に感じたときである。

どう、と煙の中から一匹の大蛇が躍り出たかと思うと、大広間のど真ん中にとぐろを巻いた。

物の怪じゃあ――。

誰かが叫んだのをきっかけに、その場は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

一目散に逃げ出す者多数、取るものも取り合えず向かっていく者が幾人か。

そんな中で、一色ら四名は、お香のもとへと走った。

見張りの者が四名に気づく。

「ごめん――。」

雅之が得意の体術で素早くいなす。

「おぬしらは一体――。」

お香の言を聞くまでもなく、四名はお香の縄を解き、無事、寺を抜け出した。


「僕は中央へ戻ろうと思う。」

そう言い出したのは真中だった。

「一旦中央へ戻って、寮にいる上司たちに報告した方がいいと思うんだ。」

「なるほど、そういうことなら、僕も行こう。」

賛同を示したのは玄奈であった。

そういう訳で、真中と玄奈とは村の入り口で別れ、残された一色、雅之、お香の三名は、お香の道案内で村を後にし山深くへと分け入ることになった。


山歩きに慣れていない二名を引き連れてのお香の歩みはよどみない。

気づけば山桜があちらこちらの山々に点在しているのが見える。

春の日よりの中、若干の血生臭さをたたえた三名の影が、地面をゆっくりと進んでゆく。

いくつ峠を越えたろう。

「ここじゃ。」

気づくと三名は、一つの大きな鳥居の前に立っていた。

やしろである。

相当に歴史のある社らしく、境内の石垣にはうっそうと苔がむしている。

見ると祠の前には二体の狐の石像が阿吽の形で鎮座している。

稲荷であった。

一色は目を見張った。

お香が、つい先日一色がやってみせたように、二人の前で狐の神を呼び出そうとしていたからである。

「お香殿、そなたは一体――。」

地面に幾重にも風が起こる。

落ち葉が乱れ飛び、一色と雅之はその場に屈みこんで防御の姿勢をとる。

お香を輪の中心にしてひとしきり風が吹いた後に訪れた静寂の中で、声がした。

「久しいのう、お香。無事であったか。」

狐である。

「お久しうございます。おかげさまで。」

言って、お香は懐から包みを取り出し、祠の前の石段に広げてみせた。

握り飯であった。

なんとお香は、寺から逃げ出すあの最中で、握り飯をくすねていたのであった。

「いつも、すまんのう。」

狐はうまそうに握り飯をほおばる。

「いえ、それはこちらの台詞。」

一匹と一人の間に流れる親密さに、一色と雅之は互いに顔を見合わせる。

狐は、視界に入っているはずなのに、一色と雅之には知らぬ体である。

また、忘れられてしまわれたのか――。

一色としては毎度のこと、少し寂しく思われる瞬間である。

しかし多忙な狐の神にその名と顔を覚えさせるだけの娘――。

一色はますますお香を不思議の目で見るようになった。

「狐様、兄の行方を知りたいのです。」

一呼吸置いて、お香が口を開いた。

「ああ、それなら、山を三つ越えた所に滝があろう。

 その付近の小屋に隠れておるよ。」

狐はこともなげに答えた。

土地神の前では、その土地に起こることであれば、どんなことも明らかになるのである。

「ありがとうございます。

 また次のお供え物ははずみますので。」

そう言うとお香は深々とお辞儀をした。

「じゃあの。」

狐はしゅるりと尾を巻いてその場から姿を消した。

狐とのやりとりはいつも簡潔に終わる。

その点はどうやら同じなようで、一色は少しほっとした。

居住まいを正し、三名は境内の一角にある石垣に腰を下ろした。

頭上から木漏れ日が降り注ぐ。

「こうして要所要所の稲荷で次の行く先を決めておるのか。」

三人して改めて昼餉をとりながら、雅之がお香に問うた。

「そう。」

お香は短く答える。

「我々はそなたの兄君、義彬殿に会いに行くのか。」

一色が問う。

「そう。」

「何故。」

「彼の地のことを、知りたいんじゃろ?

 そのために私を逃した。

 違う?」

お香は、一色と雅之に対して、にっこりとほほ笑んだ。

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