【常世の君の物語No.1】安倍一色

くさかはる@五十音

第一章 依頼

一筋の涙が、頬をついと流れた。

その感覚を感じ取って、涙の主はぬっと起き上がる。

「おっ、起きたか、一色いしき。」

そう声をかけるのは、同僚の藤原雅之である。

のどかな春の午後、二人は豪奢な寝殿造りの釣殿で、思い思いに過ごしている。

うららかな陽気の中、池の魚はゆうゆうと泳ぎ、庭の桜の花は風に舞って、二人の上に桃色の斑点を添えている。

一色は起き上がると、烏帽子に舞い降りたひとひらの花弁を手に取り口元を少しほころばせる。

「どのくらい寝ていた?」

「なに、ほんの一時ほどさ。」

居住まいを正す一色に向き直り、雅之は笏をぴしりと一色の鼻先に向けた。

「さあて、午後の仕事が待っているぞ。」

恰幅のよい雅之はそう言うと、ぬっとその場に立ち上がり一色に片手を差し出した。

「行こうか。」

その手を握り、一色は言う。

時は平安時代中期、白河上皇の御代、京の都の片隅からこの物語ははじまる――。


「おはよう。」

「やあ、おはよう。」

すれ違う面々に向かい元気よく挨拶を交わしているのは、陰陽寮見習いの賀茂真中である。

ぽっちゃりした体型に、いつも笑みを絶やさないその風貌は、彼に人好きの印象を与えている。

「あっ、おはよう、一色、雅之。」

真中は今しがた教場の門をくぐった二人を見つけ声をかける。

「おはよう真中。二時半ぶり」

一色は笑みを返す。

「少しは痩せたか?」

雅之は相変わらずの軽口を叩く。

「もう、やめなよ雅之。」

三人の背後からそう声をかけたのは、三人より頭ひとつ飛び抜けた清原玄奈である。

細身の玄奈は、今日も神経質そうに、顔に下りてくる結ったばかりであろう髪の毛を、煩わしげに払いのけ目を細めている。

安倍一色、藤原雅之、賀茂真中、清原玄奈は、ここ中務省陰陽寮の見習い第一班の面子である。

第一班の仕事は、上司について術を習ったり、書庫の文献を整理したり、宿舎の掃除をしたり、たまに降りてくる貴族方の依頼を請け負ったりと多岐にわたる。

本日は、午後一で、第一班の中間成績を定める試験が行われる予定である。

そのため四人は、先程集まった教場の玄関口から更に先に進んだ、試験場三室と書かれた札の提げてある部屋に移動している。


「それでは、試験を始める。

各自、己の得意とする技を展開してみせよ。

誰から始めるか。」

部屋の上段、中央に集まった上司三名が声を張り上げる。

「では私から。」

顔を見合わせる三人を尻目に、一色が手を上げた。

「よろしい。では安倍一色、前へ。」

呼ばれて一色は上司の前に立つ。

「して、何をする。」

上司が問う。

「小鬼を捕まえてみせます。」

「ほお。では始めてみせよ。」

言われるやいなや、一色は胸の前で印を結び呪を唱えた。

一色の繰り出す呪言に呼応するように、紫色の陽炎が、一色の体をまとい衣服をゆるやかにはためかせる。

一色は眉間に皺をよせて目をつむる。

次に瞼を開いた時には、一色の瞳は金色に変わっていた。

「見つけた――。」

そう口から吐くと、一色はついと右手を上司の肩の上へと伸ばし何やらつまむ素振りを見せる。

ギィッ……。

瞬間、試験場内に、およそこの世のいきものとは思えない鳴き声が響く。

見ると一色の右手には、一匹の小鬼が、むんずと握られているのであった。

紫色の陽炎が、その小鬼の輪郭をより一層際立たせている。

「見事――。」

上司はそう言うと、一色に止めの命を下す。

ギギッ……。

解放された小鬼は、そう一声鳴くと、ふいとどこかへ消えてしまった。

一色はすっと力を抜いて陽炎を霧消させて平常に戻る。

「相変わらず、あちら側との接触が得意だな。」

元の席へ戻ってきた一色に雅之が言う。

「なにせ祖父は狐とのあいの子だったらしいからね。」

一色はそう言うと、三人の顔を見回した。

「次は誰が行く?」


その後は、雅之、真中、玄奈と続いた。

雅之は恵まれた体格を生かした体術、真中は結界術、玄奈は護摩祈祷による術を展開した。

試験の結果はすぐには出ずに、一ヶ月後まで待たされる。

しかし、四人の首尾が上々であることは、この場にいる誰の目にも明らかだった。

試験を終え、しばしの談笑の間に、ひとり、試験場に入り上司に耳打ちする者があった。

全身黒装束で、模様の入った布で顔を覆っているその人物は、音も立てない身のこなしでさっと場を後にした。

「皆、集まってくれ。」

黒子が出ていってしばらく、顔を見合わせていた上司から声がかかった。

一色たちは言われるがまま、教壇の前へと集まる。

「依頼が入った。」

言って上司は一枚の紙切れを四人に見せる。

「都の南西に柳葉という村がある。

土地の者の話によると、最近、その地で不思議な出来事が相次いでいるらしい。

あまりにも不思議が続くので誰もその地に寄り付こうとしない。

というわけで、出番だ。

お前たち、様子を見てきなさい。」

「都の南西、つまりは都の裏鬼門に当たりますね。」

そう発言したのは真中だった。

「そうだな。

教えたと思うが、裏鬼門は鬼門と同じく邪気が溜まりやすい。

この度のことと関わりがあるのかは分からんが、心してゆくように。」

言って上司は姿勢を正す。

はい、と返事をして、四人はそれぞれ、短いであろう旅路の支度を始めた。

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