#幻怪婚姻ユリレー赤華繋足 第八章 『蒼の海は白の雪に口づける』

星月小夜歌

*一*

*一*

「あら……ここは龍宮城かしら。」

「ようこそおいでくださいました。『間界の花嫁』様。ここは常闇の女神ノーラと常若の女神アイオンより生まれし世界、アトラント。貴女様のいらした世界とは、別の世界にございます。」

 召喚されたのは、人間によく似た身体つきの女であった。

 しかしその頭に輝く氷の角が彼女を人間とは異なる存在だと知らしめていた。

 彼女の肌はまるで死者のようにも雪のようにも白く、腰を越えた黒髪は雪の中でも葉を落とさない深い森の緑を思わせる艶を湛えていた。

 氷の角を持つ女が纏う装束は、白金で出来た絹のようにうっすら煌めいていて、胸の下から腹部を薄氷のように透ける帯で結びその先はひらひらと垂れていた。

「ふむ。龍宮ではないにしても美しいところね。」

 氷の角を持つ女は自らを召喚した者を見つめる。

 彼女自身と同じように、人間の女によく似た身体。

 しかしその耳はまるで魚の胸鰭むなびれの様な形をしており、また二の腕から先と太ももから先は蒼色に煌めく魚の鱗に覆われ大きく優美なひれが手首と腰と膝下から生えていた。

 身体は真珠やサファイア、金や銀で作られた装飾品で飾られている。 

 纏う衣はまるで水着のように簡素なものであるが高貴さを感じさせる。

 やはりここは龍宮によく似ていると、氷の角を持つ女は感心する。

 目の前のひれと鱗を持つ女は龍神の使いであろうか。

 突然、部屋の片隅から声が響く。

「メロディーア様。女王陛下がお呼びでございます。」

「分かったわ。……貴女様もいらしてくださいませ。『間界の花嫁』様。」

 メロディーア、と呼ばれた者は返事をし氷の角を持つ女に向きなおる。

 氷の角を持つ女は呆れたようにメロディーアに問う。

「……ずっと私をその名で呼び続けるのかしら。」

「……大変失礼いたしました。何とお呼びすればよろしいのでしょうか。」

「そうさねぇ……。銀花ぎんか、とでも呼びなさいな。」

「わかりました。ギンカ様。それでは、私と一緒にいらしてください。……と。そのための準備がございます。」

「女王陛下への謁見ね。相応しい服に着替えでもするの。」

「いいえ、違います。……いえ、間違いではございませんね。こちらをお召していただきます。」

 メロディーアが銀花に見せたものは、煌めく真珠と魚の鱗で出来た首飾りであった。

「それは、我らの大地である大いなる海、その息が変じた真珠へ、我らセイレーンの魔力を込めた宝物ほうもつ、『溟海の息吹めいかいのいぶき』。それをつけている限り、貴女様は水の中でも呼吸ができ、決して溺れることはございません。」

「水? 溺れる? どうしてそんな話が。……まさか。ここは。」

「ええ。アトラント北方に広がる大海原。その下に広がる我らセイレーンの王国『ローレライ』。ここはその王宮ライン城の一室。」

「……どうやらここは異世界の龍宮と呼んで差し支えないようね……。」

「ギンカ様の仰るリュウグウがどのような場所か存じ上げませんが、我らの海ローレライのように美しい所なのでしょうね。」

「いや、私も行ったことはないわ。おとぎ話で伝え聞いていただけよ。海の中に海神が住まう美しくきらびやかな宮殿があると。」

「今度、私にもお聞かせください。ギンカ様の仰るリュウグウの物語を。ギンカ様の世界がどのようなところなのか、私は知りたいのです。」

「物好きねえ……。」

「知らない場所のお話を聞くことはとても心躍るものです。さあさ、ギンカ様。『溟海の息吹めいかいのいぶき』をお付けいたします。どうか、少しかがんでいただけますか?」

 メロディーアの頭は銀花の胸ほどにあった。

 およそ、頭一つ分ほど銀花のほうが背が高いということだ。

「……随分と可愛らしい体躯なのね。」

「……恐れ入ります。」 

 可愛らしいという言葉に、メロディーアはどうしてか心を弾ませる。

 かがんだ銀花の首に、メロディーアは『溟海の息吹めいかいのいぶき』を掛ける。

 メロディーアの指が銀花の首に触れると、まるで氷に触れたかのような冷たさが走る。

「つめたっ。……ああっ、ごめんなさい。」

「何を謝ることがあるのよ。私が冷たいのは当たり前だわ。」

「……え。」

「私は雪女。深い雪より生まれ人間を凍てつかせるもの。」

「……雪。」

 銀花は、メロディーアがきょとんとしながら聞いている理由に気づき始めていた。

「メロディーア。」

 突然に名前を呼ばれ、ハッとするメロディーア。

 胸の高鳴りをなだめきれないまま銀花へと気を向ける。

「貴女、雪を見たことがないのね。」

「……はい。仰る通りです。我らセイレーンは、一五歳で大人と認められ海の上に出ることを許されます。しかし……。」

 メロディーアは悲しげにうつむきながら続ける。

「人間や『奇獣』……災厄がこの海にも現れるようになって、女王ハーモニア……お母様は全てのセイレーンに対し海の上に出ることを禁じました。私にはこのライン城から出ることそのものを禁じました。」

「お母様、女王ハーモニア。つまり貴女はこの国の姫ね。」

「はい。私はこの国の第七王女メロディーア。……お姉様たちは人間に殺されました。今は私だけがお母様のそばにおります。第一王女クレッシェンドは勇ましい戦士でもあり、双子の妹である第二王女デクレッシェンドは魔導士としてクレッシェンドを支えて戦いましたが人間に討たれ殺されました。その後も次々……。」

 メロディーアの声はだんだんと弱まり、ついにはへたりこんで泣き出してしまう。

「……無理をしないで。」

 銀花はメロディーアのそばに座り込み、メロディーアの頭を撫でて慰める。

「……ギンカ様、ありがとうございます。」

 銀花はメロディーアが落ち着くまでそうしているつもりであった。

 しかしそれを待たずに声が響く。

「メロディーア様! 女王陛下がお待ちでございますよ!」

 これには銀花もいらいらしてしまい、

「うるさい! 少しは落ち付かせてあげなさい!」

 と声を荒げてしまった。

「いえ、ギンカ様。もう私は平気です。女王のもとへ向かいましょう。」

 メロディーアの瞳はまだ涙がにじんでいたが、銀花は何も言わず、メロディーアに連れられるまま進んだ。

 部屋の片隅まで来て、銀花はそこが小さな海岸のように、砂浜に波が寄せていることに気が付いた。

「先ほど、王宮の一室と申し上げましたが、ここは離れのようなもので海に浮かぶ島の上に作られております。この海から、通路で海底にある王宮に繋がっています。ここは陸に住む異種族の客人を招くための部屋、『なぎさの間』でございます。」

 メロディーアは銀花の首に首飾りが輝くのを確かめると、銀花の手を取る。

「ここから海に潜ります。この先は私が銀花様をお連れいたします。どうか、私を信じてください。」

「……わかりました。貴女を信じます。メロディーア。」

 銀花はメロディーアに手を引かれるまま歩み、水に沈んでいく。

 口が沈み、鼻が沈む。しかし、まるで陸にいるままであるかの様に息ができる。

 この首飾りの力なのだろうか。銀花は驚いて言葉が出ない。

 水の中でメロディーアは銀花に微笑む。

「我らの海、ローレライへようこそ。私が貴女をお連れいたします。そのまま、私の手を握っていてください。」

 銀花がメロディーアに頷くとメロディーアは銀花の手を取りゆっくりと泳ぎ始めた。

「この海中でお話もできます。口を開けても水が入ってくることはございませんよ。」

 泳ぎながらメロディーアは銀花に話す。銀花は半信半疑で口を開く。

「……本当ね。陸にいるのと何も変わらないみたいだわ。」

「『溟海の息吹めいかいのいぶき』の力でございます。……頑張って作った甲斐がありました。」

「え。これ。貴女が作ったの!?」

 メロディーアは顔を赤らめながらはにかんで答える。

「……ええ。はい。王宮の図書室にある、古い文献の伝説をもとにお作りしました。この世界をお救いくださる、『間界の花嫁』様に喜んでいただけますようにと。」

「世界を救う? 私が? さっきから『間界の花嫁』と私は呼ばれているけれど、私は誰かの花嫁になるためにこの世界へ呼ばれたのかしら?」

「それもすべてお話ししましょう。おそらく、女王もそのことで私達を呼んでいるのでしょう。泳ぎながらになってしまいますので、ここでは最低限簡潔にだけお話いたします。詳しくは王宮に着いてからにいたします。」

 メロディーアは泳ぎを止めないまま話し続ける。

「まず、『間界の花嫁』について。このアトラントには、世界が危機に陥った時、異世界から花嫁を呼び寄せて婚姻を結ぶと、危機は払われ平穏が訪れる、という伝承がございます。ギンカ様はその儀式における花嫁としてアトラントにおいでいただきました。」

「まあ、とりあえずそういうことなのね。だから花嫁である私が世界を救うって話と。」

「その通りでございます。」

「で。私は一体誰の花嫁として呼ばれたのかしら。それとも。私がここで選べるとでも言うのかしら。」

「それは……。」

 メロディーアは言い淀んでいる。銀花は黙ったままメロディーアに引っ張られている。

「まもなく玉座です。女王ハーモニアがお待ちでございます。」

 結局一番聞きたいことは明かされないまま、メロディーアと銀花は玉座へと辿り着いた。

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