第6話

 みをの稽古事の日になった。


 先日と同じように茶屋横の路地に入り、時々顔を出しては通りを伺った。みをが言った「もう少し・・」の次の言葉を、猪四郎はここ数日じっと考えていた。今日も同じ事を言うとは思えなかったが、何がしか、それと同じ趣旨の言葉を期待していた。


 先ほど遠目に見えた商人が通り過ぎたので、また顔を出したが、みをの姿はなかった。もうかなり待っている。今日は休んだのではないかとも思えてきた。陽はだいぶ傾いていた。猪四郎は諦めて通りに出た。


 丁度茶屋の数軒先の小間物屋の前を通った時だった。店から二人連れの娘たちが出てきた。歳は二人ともみをと同じくらいだ。一方は細面でやや背が高く、片方は丸顔でずんぐりした体型だ。武家の才女らしく、やや派手ではあるがこざっぱりした身なりをしている。あの商人が近付いてくる前に姿を見ていたことを猪四郎は思い出した。


「良いのがあったわね」

「値段の割に、品は確かだと思うわ」


 二人は店の前で立ち止まり買った物を仕切りに見ている。どうやら朱塗りの櫛のようだ。


「明日二人で届けましょうね」

「みをちゃん、きっと喜んでくれるよね」


 ハッとして猪四郎は立ち止まった。二人の会話に聞き耳を立てた。


「そう云えば、みをちゃん、前から寝込むことがあったわねぇ」

「季節の変わり目とか寒い日は気を付けているようなことも言っていたわ」

「お医者様の見立てでは、滋養をとって休んでいれば良くなるとか、大丈夫よ」

「そうね、では明日」


 二人はそこで別れて、別々の方向に去って行った。


 猪四郎はしばらく足を止めて小間物屋の店先に並べられている品物を見ていた。確かに、みをには愛嬌や活発さは無く、感じていたのはおっとりした純朴な慎ましさだった。そこが、今にして思えば病弱な雰囲気に繋がった。これまでも、稽古事の日であっても見かけないことが何度かあったことを思い出した。穏やかではないものを感じながら猪四郎は足を進めた。


 気付くと、一方の娘が前を歩いている。背が高い方だ。猪四郎の足が早まった。


 やがて、娘の呟きが聞こえて来た。


「・・あやちゃんは口が固いなぁ、何とか聞こうとして鎌をかけたけど・・」


 どうやら丸顔の方はあやという名のようだ。


「・・絶対にあやちゃんは、山岡様に気があると思うのだけど・・」


 山岡とは勘定方の山岡であることはすぐに分かった。背が高く容姿も申し分なく、お勤めについても評判はなかなかで、若手の有望株だ。若い女達の間では噂になっているような話は何度か耳にしていた。


「・・でも、私はあんな優男は願い下げね。やはり男らしい逞しさが無いといけないわ。そうね、剣の腕も大事よね。そうすると関根様なのだけど、顔がねぇ・・」


 番役の関根は色黒で屈強な体のうえに、藩内でも有数の剣の使い手だ。しかし、鬼瓦のような顔は確かにいただけない。想像していた通り、年頃の娘の思うことはこういう男たちの品定めだった。そこに自分の名が上ることはないだろうが、なかなか興味深く、ずっと聞いていたい気がしてきた。若い娘を付けるなど褒められた話ではないが、同じ方向に行くのなら言い訳も出来る。そのうちに自分とは別の道になるのだから、それまでは、と思ったときだった。


「・・みをちゃんは誰かな。殿方の話はあまりしないからよくわからないけど・・」


 猪四郎はドキッとした。ここは聞き逃すわけにはいかない。しかし、娘は路地を左に曲がり、猪四郎が行く方向とは別の道に進んだ。考える間もなく体は左へ曲がっていた。


「・・どこか皆と違うところがあるから、おそらく、私たちとは違った殿方の名を言うかも知れないわ。見た目など気にしない感じだから、意外な人を思っているかも・・」


 やがて娘は立派な門構えの屋敷に入って行った。


 猪四郎の心が揺れていた。自分には全く縁が無いと思っていたものが、手が届きそうなところまで来ている予感があった。あるいは、これまで、自分を卑下しすぎていただけだったのかも知れない。そう思ったとき、みをは、遠くで見ている単なる憧れから、愛おしいものに変わっていた。

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