第2話

 結局、私はぐうの声も出ずに病室を退散する羽目になった。

「……」

 ポッポッと雨が降る中で、私は頭を抱えた。

「自分が本当にやりたいのか、か……」

 家へ向かう細い路地にはヒュウヒュウと風の音が響く。

 一瞬、彼にとって私はそれほど大切でもなく、切り離してもいい存在なのだろうかということが脳裏によぎったが、確かに私はジャンにとってかけ甲斐のない存在のはずだし、そうであろうとしてきたはずだ。

「……ジャンは何を思ってるのかなぁ……」

 思えば奇怪な出会いだったが、それから上手いことここまで来ている。

 彼の性格は全て分かっているはずだ。

 ――感情が出やすい人、っていうのが第一印象だったなぁ。

 そう考えると、あの真剣な顔は演技じゃないということが明確だ。しかも、ジャンの瞳は完全に澄みきっていた。

「……あぁぁ」

 頭の中が色々な思いでグルグルしてきた。




「……魔法?」

 私はしんとした部屋の中で一枚の紙と向き合っていた。

『親愛なるファニー・ド・キャロル殿へ 今回のゲームへ参加するには、二種類の魔法を持っておく必要がある。早めに魔法を授かっておいた方が無難だろう。とっておきの魔伝代理店があるので、そこにまずは問い合わせてみてくれ』

 印鑑には赤色のエルフランドの紋章とking、というアルファベットが躍っていた。

 ――もう、私が行く前提なのか……。

 そこまで私一人に期待する必要はないのに。エルフランドのただの一国民に過ぎないのだ。たまたまジャンと出会ったパーティーにいたという事実が回って有名人になってしまっただけで、それさえ無ければ一個人として気ままに服を仕立て、気ままに絵を描くことができたはずなのに。

「……どうしたらいいのかなぁ」

 やんわりと頼みを断ることが出来ない自分が歯がゆい。この世界での王と言うのは小国を治める頭領で、それほど重要な存在ではないのに、肩書に脅されている自分がいる。

「やっぱ、断ろっかなぁ……?」

 どうせ言うだけでまた悩むくせに。

 私は呻き声を上げてカーペットに寝転がった。




 チリリリリン

 目覚まし時計がいつも通りけたたましく鳴り叫ぶ。

 バン、と強引に止めると、鏡の中の自分とにらめっこだ。

 ――こんなところでも、一つの問題に悩まされる自分の情けなさが出るんだ……これじゃ店行けないよぉ。

 鏡の中に映る自分は、寝癖が立っていて、目元が黒くなっていて、皮膚がだらんとなっている、今すぐにでも孤独死してしまいそうな女性だった。

 だんだんと月が雲に隠れ、辺りが暗くなってゆく。

「冴えない顔してるなぁ……あーあ、もう」

 実際、今すぐ死んでしまいたい気分だった。


 カラン

 と、玄関に紙が一枚落ちてきた。穴が開いたドアからは、独特のツヤがある黒くて長い脚が一瞬見えた。

 二百キロくらいの重りを背負ったような足を何とか動かして、私は紙を取る。

『親愛なるファニー・ド・キャロル殿へ』

 またか。もう今すぐこの紙をビリビリに破いて、ほんの出来心で金属製のドアに穴をあけて作り上げたドアポストから外へ放り出してしまいたい。

『ドアがこのように口を開けているとは驚いた。ここから手紙を入れるという用途は合っているだろうな? さて、ファニー殿は今頃悩みに悩まれているところだとは思う。病気の彼氏もいるのなら仕方がないだろう。そこで、我々はこのような条件を思いついた。つまり、今回の依頼を受けてくれれば、病気の彼氏を救うために補助金を出す。好きな病院に転院することが出来るようにだ。別に、ゲームに勝たなくてもいい。出てくれさえすれば良いのだ。良い返事を待っている』

 二百キロの足が百キロくらいになった気がした。


 ――ジャンを救うことが出来る?


 最高じゃないですか。

「でも私は出たらどうせ誰かと付き合わざるを得なくなるよね……」

 ハラリ

 と、出来損ないのドアポストから入ってきた風で紙が裏返った。

『追伸:ゲームで優勝してくれれば、追加の補助金も出す。もちろん、願いは何にしてくれても良い。付き合った彼氏とでもいいし、今の彼氏とでもいい』


 ごくり


 これはどうやら、腹を括った方が良さそうだ。

 というか、その彼氏とは、チャンピオンになれば別れればいい話だし。王妃って言うのも辞退したら良いだろう。

 私は便箋を一枚手に取った。

 魔伝代理店の住所と郵便番号を封筒に書き込み、便箋には薄ピンク色のインクをつけたガラスペンでサラサラッと、来店の趣旨を書き込んでおいた。




 魔伝代理店、本来は国が許可して伝授する魔法を代わりに教えてくれる店には今回初めてやって来た。が、古めかしい白い建物に、キイキイと音が鳴る『館』というシンプルなゴシック体の看板が揺れているという、明らかに館と言う感じの外観に私は思わず息を止めていた。

 サッサッサッサ

 と、不気味な風を切る音。

「ひっ」

 ふと後ろを見ると、フクロウかミミズクが肩に止まったところだった。

「ちょ、え、うっ」

 フクロウかミミズクかの鳥がクルリと首を回す。

 そして、チョンと前に突き出した。


 まるで、早く店に入れ、と促しているかのように。


 なぜか乾いている喉に唾をごくっと流す。

 意を決して、私はドアを開けた。

 ギィィィィィィィィ

「……いらっしゃぁい……っ!」

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