第21話 再登場

 ベアトリス様と二人っきりのお茶会という希望は、逆ハーメンバーもとい、逆ハーカルテットのせいで見事にぶち壊された。


 私は心の中で血の涙を流しながら、次の機会を虎視眈々と狙うことにする。


「ミシュリーヌ様、わたくしが育てたバラはこの区画ですわ」


「ふぁっ?! こ、これは……っ?!」


 ベアトリス様が案内してくれたのは、広大なバラ園の中でも小さ目の区画だった。

 話を聞いてみると、この区画のバラは、ベアトリス様が一から育てたバラらしい。


「このバラは棘がない品種ですの。香りもとても良くて育てやすいそうですわ」


 きっとこのバラは、ベアトリス様の美しい御手を傷つけないために選ばれた品種なのだろう。

 純白の花弁に乙女が頬を染めたような、淡い桃色がほんのりと入っている。フリルのように波立つ花弁はまるでドレスのよう……!


「うわぁああ……っ!! 難しいバラをこんな見事に咲かせるだなんて……! ベアトリス様は『緑の手』をお持ちなのですね!!」


 確かに今まで見て来たバラよりは若干花は小さいけれど、それでも私にとって、このバラたちは最高に輝いて見えた。

 ある意味このバラたちはベアトリス様の子供なのだ。育ってくれて有難うと全力でお礼を言いたい。


 ちなみに『緑の手』は植物を育てられるのが上手な人のことだ。

 ベアトリス様がいつも背景にバラを背負っていた理由がわかったような気がする。


「そう仰っていただけるととても嬉しいのですけれど……っ、わたくしなんてまだまだですわ」


 そう言って恥じらうベアトリス様の表情に、私の心臓が”ズッキューンッ!!”と撃ち抜かれる。この天使ちゃんは何回私の心をトキメかせれば気が済むのか。


 私はベアトリス様が育てたこの可憐なバラの香りを再現したくなった。

 こんな時、私に最高の調香師である<ネ>の称号があれば……! 世界中をこの香りで満たしたのに、と悔やまれてならない。

 ……いや、今からでも遅くない……?


「おいっ!!」


 私がベアトリス様の子供達(バラ)の香りを脳内に刻み込んでいると、植木の影から現れた人物が声を掛けてきた。


「……はい?」


 至高の香りにキマっていた私が振り向くと、そこにはいつぞやに見た男の子の姿が。


「まぁ……! あなた様は……!」


 ベアトリス様がその男の子──バカ王子を見て驚いている。正直私も驚いた。至高の香りにキマっていた頭が、スンッ……と冷静になる。


「ん? リュシアンじゃん」


「……リュシアンいたっけ?」


「あれれ〜? リュシアンは今来たの?」


「殿下が来られるとは伺っておりませんでしたが……もしかして父上が……?」


 逆ハーカルテットもバカ王子の登場に驚いている。

 ……っていうか、この屋敷の人間であるシャルルとベアトリス様が驚いている時点で、予定になかった来訪のようだ。

 きっと二人の父親である宰相が訪問を許可したのだろう。


「……っ、おい!! お前っ!!」


 バカ王子は逆ハーカルテットの登場にちょっと戸惑っていたけれど、気を取り直したのか、再び声を掛けて来た。

 挨拶もせずにいきなりやって来て、偉そうな態度の王子に皆んな眉を顰めている。必要最低限の礼儀は弁えて欲しいものだ。


 それに「お前」だけ言われても一体誰に声を掛けているのかわからない。……まあ、十中八九私のことなんだけど。

 っていうか、もしベアトリス様のことだったら絶許だ。ベアトリス様を「お前」だなんて、亭主関白な夫のように呼んで良いのは未来の夫、オーレリアンだけなのだ。


「念のためにお伺いしますけれど、もしかして私のことですか?」


 私はベアトリス様を庇うように、ずいっと一歩前に歩み出た。


「……っつ、そ、そうだ!! お、お前だっ!!」


 前に出た私に怯んだ王子が、後退りそうになった足にぐっと力を入れて耐えている。その心意気だけは褒めてあげても良いようなきらいがなくもない。


「どのようなご用件でしょうか?」


 もしかすると、以前私が追い払ったことに対する報復をしに来たのかもしれない。それならそれで、こちらとしても受けて立つつもりである。


「お、お前が俺を許すなら、俺もお前を許してやっても良い!! そ、それに、もしお前が望むなら俺の婚約者にしてやっても──」


「お断りします」


「──な、何、だとっ?!」


「許して貰わなくて結構ですし、私も許すつもりはありません。今のこの状況もです。いくら王子殿下とはいえ、『お前』呼びは非常識ではありませんか?」


 文句を言おうと思えばいくらでも出て来そうなところを、これでも我慢しているのだ。もうどうでも良いから私の目の前から消えて欲しい。


「そ、それは……っ!!」


 バカ王子は何故か顔を赤くして言い淀んでいる。言いたいことがあれば言えばいいのに、全く意味がわからない。


「私は今バラを堪能しているので、どうか邪魔をしないでください」


 これは、『バラの方がお前より大事だから、とっとと帰れ。』という意味だ。


「ぐ……っ、俺は……っ!!」


 何かを言いたそうにしている王子だけど、話を聞いてあげるような親切な私ではない。そもそもベアトリス様と過ごす貴重な時間を邪魔する者に、施すような慈悲なんて持ち合わせていない。むしろ呪う。


 気がつけば、バカ王子のせいで貴重な時間を五分も無駄にしてしまった。失ってしまった時間はもう取り戻せないのだ。


「ベアトリス様がお育てになったこのバラ、とても良い香りですね! 何ていう品種なんですか? 私も欲しくなりました」


 私はこの雰囲気を払拭しようと話題を変えることにする。バカ王子もその内帰るだろうと思っていたのだ。


「えっ、あ、ああ、そうですわね。このバラの品種は──」


 私の意図に気付いたベアトリス様が、質問に答えようとしてくれたその時──。


 一体何をトチ狂ったのか、バカ王子がベアトリス様のバラをむんず、と掴んで引きちぎった。


「バ、バラなら俺が贈ってやる……っ!! ほら、受け取れっ!!」


 あまりの暴挙に、私の頭の中が真っ白になる。


 しかし、真っ赤な顔でバラを差し出すバカ王子の顔を見たら、怒りが臨界点を突破した。


 怒りで目の前が真っ赤になった私は、狂戦士の方のバーサーカーとなった。


 私はドヤ顔しているバカ王子に向かって思いっきり腕を振り被る。


「何してくれとんじゃボケーーーーーーっ!!!」


 私の怒りのゲンコツが、バカ王子の頭に直撃する。


 ”ゴッチーーンッ”というオノマトペが、美しいバラ園に響き渡った。


「いってぇーーーーーーーーっ!!」


 容赦ないフルスイングだが、幼い少女の筋力に大した殺傷能力はない。

 それでも殴られることに慣れていないのか、バカ王子はゲンコツを喰らった頭を抱え込んで、必死に痛みに耐えている。


「この人殺しーーーーーーっ!!」


 私は痛みで涙目の王子に構わず、怒りをぶつけていく。


 ベアトリス様や逆ハーカルテットはあまりの出来事に固まっていたが、私の「人殺し」というセリフにクエスチョンマークを飛ばしている。


「あんたバカァ?! 何勝手に人んちの物に手を出してんの?! バラを育てるのにどれだけの手間が掛かってると思ってんのよ!! 子供を育てるのと同じようにバラには手間と愛情が必要なのっ!! それにベアトリス様が自ら育てたこのバラは我が子同然!! あんたはそんな可愛い可愛い子供を!! 容赦なく!! 引きちぎったのよっ!!」


 まるで伝説のツンデレキャラのように叫んでしまったのは許して欲しい。

 そして後半の私のセリフに、周りの人間が顔を青くしている。例え話がちょっぴり過激だけれど、これぐらいしないと伝わらないと思ったし、紛れもない私の本心でもあるのだ。


 尊い天使で在らせられるベアトリス様が、その聖なる御手で作りたもうた至上の聖花を傷つける輩は、何人たりとも許さない。王子だろうと皇帝だろうと関係ない。


「早くベアトリス様に謝りなさいっ!!」


 私は痛そうに頭をさするバカ王子の手を払うと、王子の首根っこを掴み、ベアトリス様に頭を下げさせた。


 周りから”ヒュッ”と息を呑む声が聞こえて来たけれど、怒りMAXの私には気にする余裕がない。


「……っ、ご、ごめ……っ」


「はっきり言えっ!!」


「ごっ、ごめんなさい……っ!」


 気分は既に悪ガキを怒る近所のお姉さんである。

 前世でもこんなに怒ったことがなかった私は、つい暴走してしまったのだ。


 ……この時の行動が、自分の未来計画を壊すとは知らずに。

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