第47話魔王様の宝物

「サタンさまごめんなさい」

「あ? 助かったんだろぉが」

「命だけですが」

「拗ねんなって」


 僅かにしか動かせない身体でサタンが笑った。足先から徐々に感覚が無くなっていくのを感じる。サタンはゆっくりと腕を持ち上げ、自分の指から黒い指輪を外してシルバーに向けた。


「シルバー」

「サタンさま?」

「手、出せ」


 シルバーは右手を出した。サタンは躊躇ためらわずその中指に指輪を通す。仕草はプロポーズのようだが、込められた意味はとてもビジネスライクだ。


「俺の魂を少し分けた。人間にしては長生き出来るぞ。絶対に外すな」

「……どうしても死なせてくれないわけね」

「当たり前だ。いいか、絶対死ぬな。俺が起きるまでに死んだりしたら、魂追っかけてもっかい殺す」

「わかったわよ」


 シルバーは複雑な表情で指輪を眺めた。爪の先まで手入れされた白く長い指には不似合いな黒い指輪。サタンは似合わないな、と小さく呟いた。


「ダサいとか言うなよ」

「言わないわよ。ちょっと思ったけど」

「お前の正直な所は嫌いじゃない」

「サタンさまのセンス無いとこ以外は好きよ」


 指輪を前にした二人のやり取りを見て、クロムは深く息を吐いた。シルバーが人間になる。命が助かったのは良かったが、すぐに寿命で死んでしまったら元も子もない。どうしたものかと思っていたが、やはりサタンはあの僅かな時間で対策を考えていたようだ。


 黒い指輪から漏れ出る程のオーラは、絶対にシルバーを寿命なんかで死なせないという決意の現れ。これに力を移す余力なんか残すなと文句は言いたいが結果オーライだ。


「クロム」


 次に、サタンの気だるげな瞳がクロムを捉える。月のように静かに光る金色を次に見るのは数百年後になるのだろうと、クロムはそれを目に焼き付けた。


「地獄を頼む」

「できる限りは」

「見栄くらい張れよ」

「引き継ぎも無いですから何とも」

「何だよ。まだ拗ねてんのか?」

「少しだけです」

「っはは! 俺が起きるまでには機嫌治しとけよ」

 

 サタンはほとんど動かないはずの身体を震わせて可笑しそうに笑った。しかし既に腰元までの感覚が無い。刻一刻と残りの時間が迫っている事を感じ、サタンは素早く脳内で要件を纏めた。優先順位の高い順に話さなければならない。


「わかってると思うが、一部権限をケルベスに奪われただけで、金印の正当な継承者はお前だ」

「これですね……まさか半分に割るとは思いませんでしたよ」


 クロムはサタンから受け継いだばかりの「任命印」を取り出した。サタンの瞳が悪戯に細められる。


「金印を割るのは法律違反じゃねぇ。それに……大事なものは不用意に出しちゃいけねぇんだろ?」


「……確かに言いましたが……」

 

 得意げなサタンにクロムが脱力する。指輪といい金印といい、よくもこんなに準備ができたものだ。自分はサタンのようにはとてもなれないとクロムは思った。偉大すぎる人の後任は辛い。


「ケルベスは厄介だ。改正印を取り戻せればいいが、まずはこれを守る事が最優先だ。無理すんな」

「はい」

「ミアの後任は時間がかかってもいいから慎重に探せ」

「わかっています」

「シルバーを頼んだぞ。お前がしっかり守れよ」

「言われなくても」

「……クロム」

「はい」


「どんな事があっても、どんなに辛くても、絶対にその立場から降りんじゃねぇぞ」


 サタンは真剣だった。これからの数百年、クロムに相当な負担をかけると自覚しているからこその不安だ。サタンはあまり恐怖を感じた事が無いが、数百年後に目が覚めた時に彼がいなかったらと思うと考えるだけで恐ろしい。


 しかし、クロムの表情を見る限りそんな心配は杞憂だろう。まるで健康体なのに突然ちゃんと呼吸をしろよと念を押されたみたいな、呆れ返った表情をしている。クロムにとって地獄で仕事をすることは、最早呼吸をするくらい当たり前の事だった。


「俺が職務を放棄すると?」


「そういやお前、有給取った事もねぇな」


 自分に勝るとも劣らないクロムの仕事馬鹿ぶりを思い返し、サタンが心からの安堵を表情に浮かべた。既に瞳の焦点も合わなくなってきている。ぼやけた視界で煉獄の壁が揺れるのを見て、サタンはあ、と呟いた。


「やべ。この対策忘れてたわ」


 地面が揺れる。天秤が消えて存在意義が無くなった煉獄が崩れていくのだと知って、シルバーとクロムは顔を見合わせた。今飛べる状態なのはクロムだけだが、傷も大きく力もほとんど使い切った後だ。


「あんた飛べる?」

「二人抱えるのは無理だな。落ちる」

「ならとりあえずサタン様だけでも」

「お前を置いてはいけないだろ」

「皆で死ぬよりいいでしょうが……サタンさま!?」

「もういいや、シルバー連れてけ。眠い」

「サタンさま! 今寝たらほんとに死ぬわよ!」


「……試してみるか」


 全てを放棄したサタンと慌てるシルバーの横で、クロムが黒い布に巻いた状態で隠し持っていた聖剣を取り出した。持ち主を失ったので聖なるオーラはほとんど残っていないが、これを上手く使うことができれば、天秤が直るまで魔王ごと煉獄を封印しておく事くらいはできるかもしれない。誰が使っても封印できるかは賭けだが、何の策も無い今では唯一の希望だ。


「ちょっと! 何で聖剣それ持ってんのよ!?」

「何かに使えるかと思ってな」

「あんたが魔王の後任なの納得だわ」

「俺が継いだのは金印だけだ、魔王まで継ぐつもりはない……魔王は今から、お前が封印するんだからな」


 クロムは聖剣をシルバーに渡した。天使から人間になったばかりのシルバー。その聖なるオーラ、善の心、強い精神力。どれをとっても勇者の資質は満たしている、と思う。二人はどちらともなく頷きあって、意識を失う寸前の魔王を覗き込んだ。


「サタンさま」

「……何だ」

「置いていきます」

「ちょっとは迷えよ。酷い奴らだな」

「酷いのはそっちですよ……見ろシルバー。これが部下を置いて先に消えようとしている悪い魔王だ」

「何て酷いやつなのかしら。この聖剣で、あたしが封印してあげるわ」

 

「そう来たか……しょうがねぇな、乗ってやるよ」


 突然棒読みで小芝居を始めた二人に、サタンがもうほとんど光の消えかけた瞳を向けた。この三文芝居の幕を引くのは自分の役目かと、魔王の台詞を最後に紡ぐ。


「お前になら封印されてやってもいい。また会おう、勇者シルバー」


 ふっと柔らかく息を吐いて、サタンは完全に目を閉じた。シルバーが無事を祈りながらサタンの胸元にゆっくり聖剣を刺していく。聖剣が、彼女の瞳と同じ明るい緑に輝き、サタンの全身が分厚い氷に覆われた。崩れかけた煉獄の壁が元通りになっていく。辺りを包む光は勇者のような目が潰れるほどの鋭い光ではなく、とても穏やかな、癒しを含む聖なる力。


「行くぞ」


 その光が優しく煉獄中を包んでいくのを見届けて、クロムはシルバーを支えて飛んだ。少し離れたところから振り返った時には、もう煉獄は、まるで初めから存在しない世界だったかのように、すっかりその姿を隠していた。

 

「封印って本当に見えなくなるのね」


 寂し気なシルバーの言葉に頷き、クロムは天国へ向かって黒い翼を動かした。


「……おい、動くな。傷に障る」

「あんたの飛び方怖いのよ! もっと水平に飛びなさいよ」

「知るか。目を閉じたらどうだ?」

「見えなかったら余計怖いっつーのよ」

「なら我慢しろ」


 誰かに抱えられて飛ぶという初体験の最中、シルバーは黒い翼を見上げて文句を言った。怖いし気持ち悪い。しかもクロムの上着に何か固いものが入っているせいで、揺れる度にそれがぶつかって地味に痛かった。最初はそんなものかと我慢していたが、さすがに限界だ。


「ちょっと! あんた一体服に何仕込んでんのよ!?」

「? 何の事だ?」

「何かさっきから痛いのよ、その外側のやつ」

「……あぁ。忘れてたな」


 クロムは止まった。入っているのは、黒の部屋で偶然手にした箱だ。出してみると、それはいつかシルバーから手渡された、サタンがローズに依頼した小さな宝箱だった。


「それって……」

「ローズのだろ」

「サタンさまのでしょ」


 以前これを見たのはごく最近の事だが、シルバーは懐かしいものを見るように目を細めた。亡くなったばかりの親友の作品だ、手に取りたいだろうと彼女に渡す。


「これ、開けたら怒られるかしら?」

「さあな。中身は俺も知らないし、プライベートなんだろ」

「気になるわよね。あの日の予想大会の答え」

「まあ……そうだな」


 本来なら魔王といえどもプライバシーは尊重すべきだが、中身を見てしまってもどうせ数百年はバレない。少し考えて、クロムは正直に頷いた。長い腕に抱えられて空中に浮きながら、好奇心を抑えられないシルバーは木箱を開けた。


 甘いものと地獄と部下のクロムがこよなく好きという以外、プライベートなんて無いのではないかと疑うほど仕事しかしていない魔王様。隠された秘密の一端が覗けるかもと弾んだ気持ちは、やがて心の底から湧き上がる親愛の情と相まって全身を巡った。やはりどこまでいってもサタンはサタンだ。


「……? 一体何を見たらそんなに笑えるんだ」

「最っ高にサタンさまらしいものよ」

「なら絵姿は無いな」

「ある意味もっと面白いわ」


 クロムは、肩を大きく震わせて爆笑しているシルバーを見下ろした。絶妙に見えない角度の中身が気になって仕方ない。やがて腕の中で、笑いすぎて涙目のシルバーがくるりと振り向いた。勝手に体勢を変えるなと非難を込めた視線は彼女が見せつけるように翳した箱の中身に移り、やがて心の底から湧いてきた呆れのため息とともに散る。


「何だそれは」

「魔王様の宝物」

「どの辺が」

「大好きなのよ。あんたと甘味」

「だからといって一緒にしなくてもいいだろうに」


 シルバーが箱の蓋を閉じたのを見て、クロムは再び風を切った。中身は細い棒の先についた、鮮やかな青い飴細工。いつかクロムが作ったそれがひとつだけ、フィルムのついたまま大切に保管されていた。


「……シル」

「何?」

「落ち着いたら、人間界で甘味処でも開くか」

「あんたが? 冗談でしょ」

「何百年か練習すれば上達するだろ」

「そうねぇ……お茶ならいれてあげてもいいわ」

「食事を作ると言い出さなくて何よりだ」

「失礼ね! あんたの甘味よりマシでしょ」


 片や半分になった金印の継承者、片や寿命の長すぎる人間。これからの不安をいつも通りの軽口で覆い隠し、二人はまずミカエルの待つ天国へ報告へ向かう。


 魔王不在の長すぎる時間が、始まった。

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