第17話祭りは全力で楽しむべし

「さて、祭りの開始は見届けましたし、そろそろ戻りましょうか」

「お前屋台一軒も見ねぇで帰るつもりかよ」


 これだけの規模の屋台を前にして何の未練もなくさっさと地獄に帰ろうとするクロムを、サタンは呆れ顔で見た。花を撒き終えたシルバーが、空の籠を持って降りてくる。


「ちょっと、もう帰るの?」

「煉獄をケルベスに任せきりだ」

「今日はルシファーと煉獄勤務だ、あいつもそっちのが良いだろ」


 サタンは屋台の方を見た。今日は天使だけでなく、天国に来れる悪魔も普通に祭りを楽しみに来る。そして必然的に手薄になる煉獄の勤務を、ケルベスとルシファーがかって出たのだった。


「しかしどう考えても、ルシファーに地獄は不向きだろ。あいつら地獄に住むってマジか?」

「家も建ててますし本気でしょうね。ここ数百年で最も愚かな選択だと思いますが」

「だよなぁ。でもあんま首突っ込むのも悪ぃし、ルシファーに至っては近づくと固まって話にならねぇし」

「サタンさまが怖いのよ」

「別に取って食おうってわけじゃねぇんだがな」


 サタンは珍しく困り顔で溜息をついた。善意で相談に乗ろうとしても、本人がその気でなければ難しい。悪魔同士のトラブルには多少強引に介入する事もあるサタンも、天使であるルシファーにどこまで踏み入っていいか悩んでいた。


「引越しも結婚もまだだし、様子見るしかねぇか。さ、土産買って帰ろうぜ!」

「今夜の煉獄当番と地獄に残った悪魔の分ですね」

「おお、ミアにもな。ドラゴンが討伐されたって落ち込んでたし」

「あぁ。討伐されたんですか」

「知らなかったのか? ミアから報告受けただろ」

「まぁ、一応は。何故かしきりに以前契約したドラゴンの特徴について聞かれて……」

「言えなかったんだな」


 サタンは苦く笑い、クロムは溜息をついた。人間に迷惑をかけた時点で討伐対象になり得る事は、クロムにもよくわかっている。ドラゴンが人間界に現れるたびに気を遣われては仕事にならない。


「だから言いたくなかったんですよ」

「契約の理由か? お前が毎日ドラゴン連れ歩いてりゃ気にしない方が無理だろぉが」

「あれは目立ってたわよね。破棄したのもびっくりしたけど、理由聞いたらあんたらしいわ」

「俺は特にドラゴン愛好家というわけではないんだがな」

「そのうち死にかけの巨大狼フェンリルとか一角獣ユニコーンとか拾ってきそうよね」

番犬ケルベロスとか獣鳥グリフォンとかな」

「俺は飼育係か……ほら行きますよ」


 両隣から揶揄からかいの視線が向けられ、クロムは逃げた。

 

「見るのは少しだけです。地獄にも仕事が山積みなので……」

「今は考えんな。目の前の屋台に全力を注げ!」

「サタン様……」

「いってらっしゃーい」


 シルバーがふたりの背中に手を振ったのを合図に、クロムは渋々サタンと共に屋台をまわりはじめた。すぐに焼きたてのパンの香りとともに張りのある声が響く。


「いらっしゃい! 魔王様、クロム様。今なら焼きたてですよ」

「おっ、いいな。それ二つもらおうか。いくらだ?」

「そんな、魔王様からお金なんて」

「そんなわけにはいかねぇだろ。しっかり請求しろ」


 サタンは白い髭を生やした恰幅の良い店主に言った。彼は、普段は天国の厨房で働いている腕利きの料理人だ。以前サタンが食べたカスティラを考案したのも彼である。


「いつも新作の感想をいただいて感謝しております」

「いつも美味い菓子どうもな。ほら取っとけ。悪魔は「気持ち」を渡せないからな」


 サタンは金貨のぎっしり詰まった黒い財布を取り出した。資源豊富な天国は、食事も基本的に無償提供だ。代わりに食事を食べておいしいと思う「気持ち」や、サービスを受けて喜ぶ「気持ち」が通貨がわりに店主に届き、天使の力を高め翼の艶を増すのだ。しかし「お気持ち」と呼ばれるそれは聖なるオーラの塊なので、悪魔には出すことができない。地獄との取引は、金貨や銀貨だ。


「人間界に降りた時にも使えるし、金貨これは持ってて損はないぞ。ほら、俺の「気持ち」だ」

「え……いえいえいえ! 多すぎますって。お釣りも用意してないですし、値段設定も全然考えてないんですから」

「問題ない。サタン様からの「個人的な気持ち」だそうだから領収証も不要だ。あとこれは俺の分」

「クロム様まで!? いえ、だからお釣りが……」

「要らねぇ」「要らん」


 二枚の金貨を手に困ったように眉を下げる店主を見て、サタンとクロムはまだ熱さが残るパンに齧りついた。


「お。美味いな」

「これは今年も繁盛するでしょうね」

「ありがとうございます。あちらの屋台には負けますがね」


 店主は端の屋台を指差して苦笑した。その指の先では黒い翼が何かの肉を串に刺して焼いている。サタンとクロムはそれを見るなり苦笑して、大量の追加注文という形で店主を労った。


 基本的に菜食主義の天使の祭りに肉は無い。芋を揚げたもの、野菜たっぷりのスープ、新鮮な野菜を皮で巻いたものや果物、デザートなどが所狭しと並んでいるのが天使の祭りだ。しかしそれではやはり物足りないのか、端の方では悪魔がこっそり準備した肉料理が数年前から長蛇の列を作り出しているのだった。出店に種族は関係なく肉禁止というルールも無いので問題は無いのだが、何となく他の出店者はいい気がしないだろうとサタンは眉を寄せた。


「まーた余計な事しやがって」

「何故か毎年人気ですよね」

「あれだけ人気だと禁止にも出来ねぇよな」

「もともと特に違反でも無いですしね」

「あっ、クロム、サタン様も!」


 向かいから天使の集団が歩いてくる。六~七名ほどの天使を引き連れている中心はルキウスだ。彼の周りはいつも賑やかだと思いながら、サタンとクロムはそれぞれ手をあげて呼びかけに応じる。


 ルキウスは、まさに話題に出ていた肉の串焼きを持っていた。傍には歩く速度に合わせて自動で走るベビーカーの中にルークが、その上ではリリィが小さな羽をぱたぱた動かして飛んでいる。


「ルキウス様。では」

「うん、またねー」


 サタンとクロムを見た天使たちが、軽い挨拶とともに去っていった。それに手を振り、ルキウスは串焼きをクロムに差し出す。


「串焼き食べる?」

「天使は菜食じゃ無かったのか」

「固いこと言うなって、物は試しと思って食べてみたら意外といけるんだよ。サタン様は……ど、どうですか?」

「お前あんだけ社交的なのに俺にだけ逃げ腰なの何でだ?」

「すみません、なんか緊張して。あ、リリィ!」

 

 リリィがサタンを見て少し脅えた表情をして、ルキウスの腕にポスリとおさまった。リリィを抱っこしながら串焼きを持て余しているルキウスから、クロムがそれを奪って齧りつく。どうせサタンは食べないだろう。郷に入れば郷に従うのがサタンの流儀、肉は地獄に帰ってからだ。それに、サタンの目的は別にある。果物や菓子が並ぶ一角。言うまでもなく甘いものだ。

 

「お、いい匂い」

「匂いだけで甘いですね」

「サタン様のお好きなあれ、りんご飴……でしたっけ? それもありますよ」

「お前そんだけ俺から距離取ってんのに好物は知ってんのすげぇな」


 サタンは二メートルほど後方をゆっくり着いてくるルキウスに笑って、林檎飴の屋台をのぞいた。前衛的すぎて人間界では流行させられなかったものだが、天国では数年前から大人気だ。


 天国に来れなかった悪魔たちへの土産をと命を受け、クロムは店主と交渉を始める。その隙にもう、サタンは次の屋台へと向かっていた。間もなく団子が刺さった串を手に帰ってきたサタンを、クロムは呆れた様子で見ている。


「ほら、これやるよ」

「……甘いですね」

「それがお前の人生に足りねぇ甘さだ。よく覚えとけ」

「俺の人生には甘さなど要りませんが」

「言い切ってんじゃねぇよ……おっ、これも美味そう」


 焦げ目のついた甘い団子を早速クロムに押し付け、その無感動な反応を呆れ顔で見てすぐさま次の屋台を覗く。いつになく楽しそうなサタンは、おそらく祭りでテンションが上がっているのだろう。乗れる時は全力で乗っとけ! というのがサタンの方針だ。もはや止めるのは難しいと、クロムは諦めた。


「あ、あれローズとシルバーじゃないかな!」


 サタンのお気に入りコーナーをある程度見終わった頃、ルキウスが少し遠くの屋台の一つを指差した。まだ祭りは始まったばかり、客は食事や軽食の方に集まっているので、このエリアはどちらかというと閑散としている時間帯だ。しかし、その一角だけはやけに白い翼がひしめき合っている。その中心に何があるかは全く見えないのだが、サタンもクロムもルキウスも、確信を持ってその方向へ歩き出した。


「あそこは確か、飴細工の店かな? 何やってんだろ?」

「飴細工の店なら飴細工買ってるんだろ。普通にしてても何故か混むのはいつもの事だ」

「あいつらも大概人気だよな」


「(ローズ様美しすぎる……!)」

「(しー! ほら、ルキウス様がいらしたぞ)」

「(クロム様も来たぞ。俺まだシルバー様に声かけてなかったのに!)」

「(私もシルバー様と回りたかった!)」

「(ダメよ、クロム様が来てしまったら勝ち目はないわ、今年も諦めましょう)」


 騒動の中心には、やはり美しい桜色と艶やかな銀色が並んでいた。二人は祭りの時には、人間界の各国で流行している服をアレンジして趣味で着ている。今年は久しぶりに、和の国の装いをしていた。


 どうにか彼女たちに声をかけようと様子をうかがっていた天使たちが解散していくのを横目で見ながら、三人は二人の元へと進んだ。


「よぉ。二人とも決まってんな」

「あら。みんなお揃いね」


 にっこり笑って手を振ったシルバーは、紺が基調の植物柄に瞳と同じ新緑の帯を締めている。それはため息が漏れるほど艶やかで美しかったが、クロムが真っ先に口にしたのはこの柄を見たときの記憶だった。


「二百十三年前と似たような柄だな。帯は九十五年前と五十一年前に見た」

「あんたってほんと情緒ないわよね」

「鑑定人かよ」


 シルバーとサタンの呆れた視線がクロムに突き刺さっている隣では、鮮やかな金魚柄に白と赤の帯を締めた可憐な美女がルキウスに笑顔を向けていた。


 母親の姿を見たリリィが嬉しそうにルキウスの腕から離れ、飛んでいく。


「ままー!」

「リリィ。ねぇ、見て! これ作ったのよ」


 ローズはリリィに、飴細工を見せていた。細い棒の先に一羽の鳥の形をした飴がついている。職人が作ったものと遜色ない出来に、ルキウスも感心してあらゆる角度からそれを眺めた。


「流石ローズ! 器用だね」

「凄いでしょ。私たちにも簡単にできるように、職人さんが改良してくれたんですって!」

「それ作れんのか? すげぇな」

「体験やってて教えてくれるの。サタンさまもやる?」

「サタン様!? そ、そんな、魔王様に教えるなんて畏れ多い……」

「んじゃ、こいつに教えてやってくれ」


 自分を見て萎縮している飴細工の職人を見て、サタンは自分が作るのを諦めて代わりにクロムを差し出した。差し出された方は信じられないという目でこちらを見ているが、サタンは抗議を込めたその視線に気づかないふりをして流した。飴細工、作るところを見てみたい。


「頑張れよ!」

「……俺は、甘いものはそんなに……」

「じゃ俺のために作れ」

「……」


 その言い方は狡い、とクロムは渋々椅子に腰掛けた。隣にルキウスも並び、飴細工は二人で挑戦する事になった。


「よしっ。ローズに負けないくらい可愛いの作るぞっ!」

「ふふ、私に勝てるかしらね」

「あんたの抱負は?」

「とりあえず甘ければいいだろ」

「お前飴細工の意味考えろよ」


 ズレた意気込みを語ったクロムにサタンが突っ込んだところで、二人に棒が渡された。細い棒の先についた青く艶々した丸い物体を、ハサミで切ったりしながら形を整えていく。職人天使の指示に従って、ルキウスとクロムは青い鳥を作っていった。


「まずはこうやって頭を作ります。次に羽を……」


「えぇと、こうかな?」

「そうよ。熱いから気をつけてね」

「わかったローズ……熱っ!」

「ほら、だから言ったのよ。次羽よ」

「待って待って、早いって!」


「……クロム?」

「…………」

「すげぇ集中してんな……」

「珍しいわね」


 ローズと楽しそうに話しながら見本の通り順調に作っていくルキウスに対し、クロムは終始無言で作業していた。難しい顔をしているが、その横顔は真剣そのもの。もしやこれが仕事一筋の彼の趣味の一端になるのではと、サタンは内心期待しながらクロムの手元を見つめ、そして真顔になった。隣でシルバーも同じような顔をしている。


「……ねぇ。何作ってるの?」

「鳥だが」

「本当に鳥のつもりなのね」

「鳥だろう」

「見えねぇよ」


「出来た!」

「なかなか上手じゃない、私の次にだけど」

「やっぱローズには敵わないや」


 隣で一足先に作り終えたルキウスが、青い鳥の飴細工を満足そうに掲げる。クロムもやがて立ち上がり、透明なフィルムでラッピングされた完成品をサタンに手渡した。


「おっ、くれんの?」

「俺のために作れとか言ったのは誰ですか」

「クロムはどう……うわ、えーと……独特だね?」

「凄い感性ね……ルークの作った粘土細工より芸術的よ」

「二人とも優しいわね」


 クロムの飴をのぞきこんだルキウスとローズがそれぞれに感想をこぼす。サタンは暫くの間飴をじっと見て、そして頷いた。


「題名を変えりゃいい。そっくりなのがある」

「何です?」

「トビウオとハエの合成魔物ハーフ


 あー。と、クロムを含む全員が微妙な顔で頷いた。見たことは無くてもすごくしっくりくる例えだった。


「じゃあもうそれでいいです。早いとこ食べてこの世から消してください」

「食べる? 冗談だろ」


 クロムの気持ちとは裏腹に、サタンは金の瞳を緩めて大切そうに飴細工の棒を握りしめ、青空へと飛びあがった。再び巨大な氷像の前に浮くと、魔王の挨拶が始まるのかと自然と周囲の注目が集まる。


「満足したから帰るわ! 邪魔したな」


 途端、氷の不死鳥のくちばしから炎が噴き出した。地獄の業火と比べるとごく弱い、しかし力強く鮮やかな紅に歓声が上がる。即興のパフォーマンスだ。


「じゃ、祭りを楽しめよっ!」


 その言葉を合図に、隣でクロムがすかさず小さな残り火の一つ一つを凍らせた。細かな氷の粒が、天国の太陽に照らされて七色に輝き広場を彩る。こうして祭りを大いに盛り上げ、サタンとクロムは帰っていった。

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