第9話天国の指導者達

(さてと……ちょっとは書類も片付けないとね)


 医療棟での仕事がひと段落ついて、シルバーは隣の城にある執務室へと向かっていた。


 執務室とは、天国の指導者リーダーが共有している仕事部屋だ。城は広くいくつもの部屋があるにも関わらず、彼らは自分専用の仕事部屋を持っていない。彼らはとても仲が良いので、情報を共有しながら一緒に仕事する方が一人でやるよりもはかどるのだ。


「あっ、シルバー!」

「ローズ! 来てたのね!」


 今の時間は誰もいないはずだと思っていたが、思いがけず視界に桜色の長い髪が広がり、シルバーの口角が上がった。

『守護の天使』ローズ。強固な防護壁シールドの能力で天国の防衛を一手に担い、また優れた頭脳で便利な発明品の数々を世に生み出している美しきリーダー天使だ。しかし彼女はもう一人のリーダーであるルキウスと結婚して二人の子供を設けて以来、前線からは一時離れている。


「珍しいじゃないの。まだ育休中でしょ? どうしたのよ」

「ちょっとやりたい事があってねー」


 歌うように言って、ローズは入口近くの壁を三回ノックした。壁から出てくる液晶画面に、シルバーは目を見開く。


「え? 何これ!?」

「新しい機械よ」


 どうやら天国一の発明家は、また新しい発明品を世に生み出したようだ。シルバーに短く説明して、ローズは両手を腰に当てて液晶画面に向き直った。すぐに機械的な声が画面の方から聞こえてくる。


「ナニカ ゴヨウデスカ」

「ルキウスの財布を探して」

「カシコマリマシタ」


 画面から光の球がふわりと出てきて、シルバーは思わず一歩下がった。ローズは執務室をふらふらと彷徨う球を追いかけ、やがてそれがデスクの一番下の引き出しに吸い込まれるように入っていくのを見届けた。


「ここね」


 シルバーはローズの後ろに移動し、引き出しを眺めた。ここは彼女の夫であるルキウスが主に使っているデスクだが、ローズは躊躇ためらわずそこを開ける。奥まで手を突っ込んで満杯に入っている書類をかき分け、やがて彼女が手にしたのは、確かに彼が普段好んで使っている布製の財布だった。


「ほらね」

「凄いじゃないの! 大発明ね!」


 感嘆の声を上げたシルバーに、ローズは得意気に片手を上げる。パシンという小気味良い音とともに二人の片手が一瞬交わった。


「でも何で財布なのよ?」

「昨日無いって騒いでたのよ」

「またぁ?」

「そうなの。で、丁度このシステムもほとんど出来てたから、いても経っても居られなくて取り付けに来ちゃったってわけ」


 中身は拾ったひとのものよねーと、金貨をごっそり抜くところはちゃっかりしている。自分の夫のものとはいえ、おっとりした雰囲気の可愛い顔に反してなかなか豪快な女性である。


「何でも探せるの?」

「この部屋にあるものならだいたいね。でも聖なる波長で見分けてるから、クロムの財布は探せないわよ」

「あいつは財布どころかペンの一本だって失くさないわよ」


 当然のように言うシルバーは、何故クロムが引き合いに出されたのかというところには突っ込まなかった。それが何だかおかしくて、ローズはくすくす笑いながらルキウスの財布を鞄にしまった。


「今日は子ども達は?」

「連れてきたけど寝ちゃったのよ。ほらあそこ」


 ローズはその小さな手で部屋の反対側を指した。本当に先程まで作業していたらしく、短い爪の間が黒く汚れている。白魚のような可憐な手なのに勿体ないと内心で零し、シルバーはその指が指し示す方へ向かった。


「あら、こんな所にいたのね。気が付かなかったわ」

「二人揃って寝てくれて、作業が捗ったのよ」


 ローズはばさりと白い翼を広げ、大きく伸びをした。文字通り羽を伸ばしているその姿を微笑ましげに見て、シルバーは大きな揺りかごに揺られている小さな天使達を見る。最近会話が通じるようになってきたくらいの金髪の美しい髪の女の子と、まだ歩くのも覚束ない桃花色の髪の男の子だ。親譲りの青い瞳は今はしっかりと閉じられているが、父親そっくりの金髪と母親より少し濃い桃花色の髪が並んで寝息を立てている様子は、まさしく二人の遺伝子を感じさせる。


「相変わらず完璧に可愛いわね」

「そりゃあ私たちの子どもだもの」

「はいはい、ご馳走様」


 美男美女夫婦と名高い本人が揺りかごを覗き込み、誇らしげに言った。堂々と惚気のろけける姿もいつもの事。夫婦仲が良いのは素晴らしいと、シルバーはくすりと笑った。


「そういえばこれ、ずっと揺れてるけど自動なの?」

「そうなのよ! 色々研究した結果、この振動が一番ちょうどよく眠ってくれるのよね」

「作るより揺らす方が楽でしょうに」

「シルバーにはね。でも私は違うの」

「流石、旦那の失くしもののためにあんな凄い機械作っちゃう人は説得力が違うわね」

「ふふ。まぁねー」


 天国一の発明家は、とてもそうは見えないおっとりとした笑顔で歌うように返事をした。謙遜けんそんしない堂々とした姿勢もシルバーには好ましく、二人はとても仲が良い。その後も取り留めのない雑談を交わしていると、部屋の扉がぱっと開いた。噂に度々出てきた金髪が、二人を見るなりにこりと笑う。


「あっ! 二人ともいた」

「ルキウス。お疲れ様」

「ローズもお疲れ。シルバー、殺し屋騒ぎ大変だったんだってね」

「もう知ってるのね」

「何なに? 殺し屋?」


 耳が早い事だと感心しながら頷くシルバーに、興味津々のローズ。ルキウスは空色の手帳を手に、天使たちのその後も含め全てを話した。彼は全くこの件には関与していないというのに、一体いつ情報を仕入れたのか。

 

「ちょっとかわいそうではあるけど、煉獄は悪魔との共同主権だからね。ミカエル様も慎重にならざるを得ないよ」

「当然でしょ。何のためにあそこで働く天使を厳選してると思ってるのよ」


 ルキウスの言葉に、ローズは大きく頷いた。煉獄勤務は死者を最初に天国に案内するというだけではない。悪魔も地獄行きの死者も多く目にするそこでの仕事は、多様な視点や的確な判断力が求められる。


「ミカエルさまも普段あんなんだけど、意外にちゃんとしてんのよね」

 

 何をしても怒らなさそうな雰囲気だが、ミカエルだって締めるところは締めるのだ。シルバーも軽く頷き、入口近くで立ち止まっているルキウスに視線を向けた。


「で? あんたは仕事終わったの?」

「いや、こっちの事件もやばくてさ。手伝って欲しくて」


 困ったように頬を掻くルキウス。彼の周りがトラブルだらけなのはいつもの事だ。


「あんたの周りっていつもトラブルばっかよね」

「今日は何があったの?」

「青い鳥探し。魂抜き忘れたんだってさ」

「魂抜き忘れた? え、肉体からだついたまま死後の世界来ちゃったってこと?」

「嘘でしょ!?」


 シルバーとローズは思わず真顔になった。どうやら新人がやったらしいが、千年に一度あるかないかの大変なミスだ。


「信じられないっ! そんなミスするなんて、新人の指導はどうなってるのよ!」

「まぁまぁローズ、初仕事で緊張してたみたいだし、そういう事もあるって」

「無いわよこんな事!」

 

 思わず眉を吊り上げたローズをルキウスがなだめる。黙っていればおっとりした美少女にしか見えないローズだが、天使の上層部の中で最も厳しいのは意外にも彼女だ。自分にも他人にも妥協を許さないその性格が、数多くの発明品を生み出すのかもしれない。シルバーは苦く笑った。


「まぁそうね。後でマニュアルと指導方法はちゃんと確認するとして……ルキウス、いつから探してるの?」

「朝からずっとだよ。あの鳥ほんと素早くて、見かけても捕まえられないんだ」


 ルキウスが困ったように頬を掻いていると、視界の隅で小さな白い翼がパタパタ動くのが見えた。揺籠から浮き上がってきた金髪の天使に、ルキウスは急いで駆け寄る。


「リリィ!?」

「あら起きたの?」

「違うわ。寝てるのよ」


 遅れてローズも揺籠に向かい、宙に浮いている娘の瞳がしっかりと閉じているのを確認した。リリィは飛べるようになったばかりで、時々寝ながら羽を動かす。目が離せない時期だ。


「ほんとに寝ながら飛んでるのね」

「でしょ? びっくりするわよね」

「落ちて頭でも打つんじゃないかって気が気じゃなくて、最近眠れないんだよ」


 ルキウスは宙に浮いているリリィを抱え、愛おしそうにその小さな白い羽を撫でた。我が子溺愛中のルキウスは、仕事の無い時は本当に不眠不休でリリィの睡眠を見守っている。


「この可愛い顔に傷でもついたら大変だろ?」

「親バカよね」

「良いじゃないの」


 呆れ顔でルキウスを見るローズと、そんな夫婦を見て微笑むシルバー。しかし青い鳥事件が未解決のまま、ここでいつまでものんびりしているわけにはいかない。


「さっさと青い鳥捕まえるわよ」


 シルバーが扉の方へと一歩踏み出したその時。


「えっ!? リリィ!?」


 ルキウスの焦ったような声が響く。シルバーとローズが同時に彼の方を見て、そして言葉を失った。

 

 彼の腕の中にいた愛娘の姿は、まるでそれが幻だったかのように、綺麗さっぱり消えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る