第4話


「えっと、お二人が助けてくれたんですか?」


 ようやく自分の身に起きたことを実感したのか、サリがおずおずと話しかけた。


「ええ、そうよ、でも一番はピック君にお礼を言ってね。随分と必死だったんだから。何にとは言わないけど、ね?」


「うぅ。悪かったよ――――そして、本当にありがとう、ございます。本当に、あんた達のおかげでサリは助かった」


「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとうございました」


 少しおかしな敬語を、つっかえながら話して頭を下げるピックに倣うように、サリも頭を下げる。

 それに対して、いいのよ、と笑いながらよいしょとマリアは立ち上がった。 


「さて、そろそろ行かないとね」


「そうだね、まだ時間はあると思うけれど、入学早々遅れるわけにも行かないからね、っと――――」


 マリアの言葉に、ライルも頷くが何かを気にするように外を向いた。

 柔らかな雰囲気だった彼が、途端に鋭い空気を纏うのに、マリアは驚いた。


「どうしたの?」 


 それに怪訝に思うマリアに、何気なくライルは言った。


「んー、囲まれてるね。八人、いや、九人かな?」


 サリとピックは一瞬ポカンとした後、顔を強張らせ、マリアもまた、眉をひそめる。


「…………ごめんよ兄ちゃん、こうなるのは考えて伝えておくべきだった。俺が何とか時間を稼ぐから、兄ちゃんは姉ちゃんを連れて――――って兄ちゃん?」


 ピックが表情を曇らせている間に、ライルはにこりと笑ってピックの頭を撫でる。


「大丈夫大丈夫。これからちょっと片付けてくるから、三人はここに居てね。その後の手出しもされない位には、しないといけないと思うから」

 

 そう言って、呆気にとられる三人を残し、ライルは布をめくり外に出る。

 そもそも隠すつもりも無いのだろう、暴力の気配を露わに、体格のいい数名を前に、路地を塞ぐようにして男たちが、その後ろには少年少女と、恐らくリーダー格の男がいる。


(まぁ、この区画に入ったときから視線は感じてたし、行き先もわかれば小遣い目当てで連絡もするよね)


 内心で頷きながら、とりあえず声をかけてみる。


「何か用かな? 僕らはこれから行くところがあるんで、通してもらいたいんだけど」


 それに対して、リーダー格の男――――ライルよりも年は食っているだろうが、まだ若いと言っていい頃合いだろう――――は下卑た笑いを浮かべて言った。


「くっくっ、こんな所にお坊っちゃまとお嬢ちゃんで火遊びかい? ちょっと俺らも一緒に遊べないかなぁと思ってさぁ。何ならお嬢ちゃんを置いてってくれたら見逃してやってもいいんだぜ?」


 そして、それに合わせて威嚇するように周りの男達も距離を詰めてくる。

 想像を超えない結果に、ライルは肩をすくめる。


「んー、一応他人の縄張りに足を踏み入れているのはこっちだし、何もしないなら特に事を荒立てるつもりはないんだけど?」


 その言葉には、恐れも怯えも感じられない。

 そしてその余裕さは、男たちの神経を逆なでするのに十分だった。


 ライルは、相手がどうあっても、油断はしない。慢心もしない。

 そして、自分の容姿がどう見られるか、そして集団相手に戦う際に、どう相手から侮ってもらえるかが大事なのかを知っていた。

 暴力を生業にする人間にとっては、メンツは大事だ。

 自分が優位だと思っている場合に、舐められていては沽券に関わる。


「はぁ? イキってんじゃねーぞ、この人数相手にどうにかできると思ってんのか?」


 案の定、体格も大きくないライル1人が、怯れることもなく挑発的な言葉を告げるのに頭に血を昇らせた男たちが、連携もなくライルを捕まえるように迫ってきた。

 それは、自分たちが優位であることを疑うこともなく、目の前の青年が反撃してくることなど考えていないような動きで―――――


 そして、この場合は、完全に間違いだった。


 暴力を生業にする人間にとっては、面子は大事だ。

 ――――ただし、それ以上に危険を嗅ぎ分ける嗅覚が無いものは、長生きもできず、できたとしても燻ることになる。



 ◇◆



 重い打撃音と共に、男が崩れ落ちる。

 それを為した方は、顔色一つ変わらない。対して為された方は気を失い、周囲にいる仲間の男たちの顔は強張っている。

 

「……なぁ、兄ちゃんは何者なんだ?」


「……さぁ、正直私も会ったばかりだし。でも、私達の味方で良かったと思うわ」


「……凄いです」


 事を為した青年、ライルに庇われるようにされたピックとサリの住処から、マリアとピックとサリは呆然と目の前の光景を眺めていた。



 マリア・ルーシェンは年齢と比べて、そこまで世間を知っているわけではない。

 これまで暮らした法国は、比較的治安の良い方ではあるし、更にその中でも聖都と呼ばれる国の中心都市で生まれ育った。


 とは言え、この光景が異常であることはわかる。

 マリアも士官学園に入学を希望した人間だ。

 戦争が終わった世界とは言え、か弱い娘が一人で移動する許可など通常は親は出さない。

 つまり他国に一人で来ている以上、本職には敵わないが、癒しの法術以外にもいくつか自衛の手段は持っていた。


 多勢に無勢という言葉があるように、本来、一人で複数人、それも三人以上を相手取るには、余程の技量の差が必要とされる。

 この場所は裏通りとも呼べるものであり、広い場所ではない。

 四方を囲まれることはないというのは地の利と言えなくはないが、とはいえ同時にかかられて捌ける人間などそうはいないはずなのだ。なのに―――


 十人には満たないが、片手では足りない自分より体格のいい大人に囲まれても何の恐れもなく、最初の一人を捻り上げた後は、向かってきた三人をあっさりと無力化したライルが信じられない。


(あぁそうか、昔母様に連れられて行った観劇の殺陣みたいなんだ)


 スリに遭おうとしていた自分を助けてくれて、しかも後先考えずに助けたいと言った自分を笑うでもなく――いや、嗤うではないものの微笑ってはいたか――ここまで付き合ってくれたお人好しの少年。


 少し幼さを残した少年から青年の境といった雰囲気。顔立ちは目立つほどではないが整い、子供のスリを捕まえてくれたものの、腕っぷしが強いようには見えない。

 ―――その見立ては大きく間違っていたと証明されている。

 同じく見立てを誤った、男達の身を持って。


(とんでもないわね)


「貴方達が襲ってくるのもわからなくは無いんだ。でも今日は、というわけでも無いし、気分がいいからさ、見逃してはくれないかな?」


 のは、どちらのセリフだろうか。

 淡々としたライルの所作が、逆に凄みを増していた。


 場を支配しているのは、ライルに違いなかった。

 まだ人数的に有利なのは男たち。

 しかし、誰もにはなりたくはない、そう思わせる一瞬前の光景に、心が足も口も重くし、無言の拮抗状態を作り出す。


「うちのものがすまなかった、見逃してもらえると言うならその辺で勘弁してはくれないか?」


 だが、その空気を破るように、取り囲む男たちの背後から低い声がした。

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