第2話


 窓の外から全体が見渡せる、学園の中でも高きに位置する部屋には、老成した雰囲気を持つ立姿の美しい女性と、壮年に差し掛かった重厚な雰囲気を持つ男性が穏やかな表情で目下に広がる景色を眺めていた。


 外には芽吹き、新たな季節を告げるクラインの花が満開となっている。

 学園の創設と共に植樹され、病気にも強く成長も早いその木々は、門から学園までの並木道を彩るに相応しく咲き誇っていた。


 年々変わり行く、そして変わらないその景色。


「また、この季節がやってまいりましたね」


「そうだな、この学園が創設されて、十度目となる芽吹きの季節。特に今年は、次世代を担う立場になり得る各国の者達も入学する。珍しい名前も見かけた事だし楽しみな事だ」


 どこか嬉しそうに呟く男性の瞳が、まるで新しいおもちゃを見つけた幼子のようで、女性はそれを好ましく思いながらも今後起こることを想い釘を刺すように言った。半ば止められないことは分かっていても、止める姿勢を見せると見せないでは随分と違う。


「……あなた、さすがにご自身が力試し等と仰られて出るのはどうかと思うのですが」


「世の中の理不尽、明らかに敵わないものに相対した時の姿勢。それは学ぶに早い方が良く、各地から集まるものに対して学園を知ってもらうには良いという意見にはそなたも賛同していたではないか」


「意見に賛同したのと、あなたが実行する事に賛同するのは違います」


「むう…………しかしな、今年は剣聖の息子に法国から逃れてきた聖女候補、お前の連れてきた少女も含めておもしろ――――いや、有望な若者が多いようではないか。何より、あのあかの子供も来るそうだしな。たまには良いであろう?」


「しかしな、ではありません……全く、良いお歳をしてそのような幼児のような目で。――――はぁ、確かに今年で十年、区切りでもあります……くれぐれも、本当にくれぐれも、を誤らないようにしてくださいませ」


「うむ、大丈夫だ。存分に気張らせてもらおうではないか」


 今年の新入生の無事を祈りつつ、区切りという言葉を最後に来年からはより強く諌めようと切り替えた女性。一回りも上の夫だが、時折子供のような素振りを見せる。そして、そうなった夫を好ましく思ってしまうが故に止めることもできないのは常だった。


(しかし、あの子も入学することには頷いてくれましたし、楽しみではありますね……実力的には申し分ないでしょうし)


 今年から入学する、ちょっとした過去の縁から関わった少女にも思いを馳せ、楽しみにも思う。


(さて、今年は何名が無事に入学できることでしょうか) 




 ◇◆



 

 駅に降り立つ人の流れ。

 新生活をこの町で始める者、この街に戻って来た者。それぞれ違いはあるものの、ほとんどの人間に共通していることが1つ。街の中心部に位置する、まだ歴史は浅いものの各国から志願者の集う学校、クロスフェイト士官学園に関係している人々であった。


 学園都市キュリエ。


 十五年前まではそこには街と呼べるほどの規模はなく、集落が点在しているのみであった。

 それが、列車の通る皇国有数の街となったのは、三〇年戦争と呼ばれる長く続いた大陸全体を巻き込んだ戦乱の終わりと、それと共に始まった次世代の教育機関の計画によるものである。

 技術の発展により物資を運ぶ速度が格段に変わったこと、戦乱が終わったことは、自国の首都からの距離、他国からの利便性も相まってその土地の価値を飛躍的に高めていく。

 長らく魔境と言われていた近くのカイガル湖の主が退治された事による水源の確保も大きかった。


 本来の集落の中心部にあった建物は外縁部に、街外れに広い土地を確保して建てられた学園が中心部となるほどに大きく成長したその街並みは、時を同じくして発生、発見された地下洞窟型の魔窟ダンジョンから算出する資源の影響も合わせて今でも毎年増築され続けている。


 街が大きくなればなるほど人口も増える。


 なにより国、それも他国からも注視されている事業である。

 完全に争乱が無くなったわけではないとはいえ荒事は比較的少なくなり、結果として職にあぶれたものが労働力として集まり、また、商機に敏いものも疎いものも集まり始める。

 色を売るもの、賭博を提供するもの、そして金を貸すもの。


 事業の中心となった人物が高潔であったこと、学園都市の名目もあり帝国の歓楽都市ほどには荒れていないが、新しいからこそ古くからの勢力もおらず、ある程度の規模のスラム街・裏街は形成されていた。




 そのため――――


「いってぇな、離せよ!」


 今、ライルに手を掴まれ抵抗している目の前の少年も、決して珍しくは無い類の人間だと言えよう。


 目的地に着いたライルが列車を降り、駅を出てすぐの広場から網目状に広がる街並みを見渡していると、同じように荷物を持ち辺りを見渡しながら目を奪われているらしき女性と、そこに近づいていく影を見つけた。

 気配の消し方、明らかにぶつかる勢いからスリの類なのは明らかだったので、初めて降り立った街で防げるもの見過ごすのもなんだしなと捕まえたのだが。


「ちょっと、子供相手に何してるのよ!?」


 まさか助けたはずの相手から責められる事になるとは思っていなかった。

 とはいえ、確かに彼女からしてみると、景色に見惚れているところを子供の声に振り向くと、男が子供の腕を捻り上げているのである。


「――そうだよ! 急に何するんだよ!?」


 しかも、相手の勘違いを逆手に取れる程度には機転が利くようだった。

 さて、勘違いしてもしょうがないけどどうするかなぁ、と思いつつも隙あらば逃げようともがく子供への力は緩めず、ライルが言葉を発しようとしたその時。


「――――まぁまぁ、自分は助けてもらったんやからそんなにこの兄さんに怒ったら良くないで」


「その者はスリを生業にしているようだ、礼を言うならいざ知らず、糾弾はよくないな」


 思わぬ助けの声にライルが振り向くと、面白そうなものを見る目でこちらを見つめている緑色の髪を縛り、サングラスをした軽薄さを身に纏った青年と、こちらは対照的に灰色の髪を短く刈り上げた無骨な雰囲気を持つ青年が同情的な目で見ていた。


「えっと、貴方達は? それに勘違いって……」


 それに戸惑うような少女に対して、ライルは言葉を選びながら伝える。


「ま、そういうこと。偶々降りたら君に近づくこの子を見つけたから、さ。学園都市だから治安は悪く無いって聞いてたけど、それでもどこにでもいるもんだね」


「え、じゃあほんとに……?」


「誤解が解けたようで何よりだ、では、私は行く場所があるため失礼する」


 キョロキョロと見回す少女を見て少し苦笑しつつ、短髪の男性は立ち去っていく。


「ちょっと被ってもうたみたいやけど――――まぁええか、ほな


 それを見送り、ライルと少女の様子も見た後、軽薄そうな男もひらひらと手を振るようにして去っていった。



「――――あ、あの」


「ん?」


「ご」


「……ご?」


「っ、ごめんなさい!私、助けてくれた人に対して大分失礼な事を!」


「あぁ、良いっていいって、それこそ誤解されてもしょうがない状況だし、っと、さて、それはそうとこれはどうするかな?」


 そう言って、頭を下げて謝罪する少女の髪が靡くのに少し目を奪われながら、ライルはもがくのを諦めないスリの少年を助けた少女に突き出した。

 捕まえたのは自分だが、どうするかの権利は狙われた彼女に譲ろうかと、そう思ったのだ。


 すると、少女もそれを察したのか、身をかがめ、目を合わせるようにして問いかけた。


「君、名前は?」


「…………」


「名前、もしかして無いの?」


「…………」


「耳が聞こえないって事は無いと思うのだけど?」


「…………ピック、ただの、ピックだ」


 もがくのも止め、ダンマリを決め込んでいた少年は、少女の視線に根負けするように口を開いた。

 それに満足そうに頷き、少女は続ける。


 ライルは、目の前のそれを興味深そうに見ていた。

 初めての街で自分が初めて手を出した事を、少女がどう収めるのか気にならないと言えば嘘であったし、この後詰所に突き出すくらいまでは付き合うつもりもあった。

 

「うん……ピックはさ、人の物を盗むのはいけないことだって、教えてもらえなかったのかな?」


「――――そんなのいけないことだってわかってる。でも、俺みたいなスラムのガキは、信用もコネも無い。少しでも多く稼ぐ場を得るためには、そもそも金がいるんだ。今の時期はあんたみたいなこの街に来たばかりの生徒がいるからカモだって聞いてたし、それに…………」


「それに? たくさんお金が必要な理由があるの?」


「妹……みたいなやつがいる。ケガ、してて、その。簡単な薬でもいいんだ、でもほっとくとそこから腐って、下手すると死んじまう」


 そういう少年は悔しくて仕方がない顔をしていた。この顔が、そのうち諦観になるか、またはそうなるまでに死ぬ。よくある話だ、とライルは思っていた。

 冷たいかもしれないが、助けていたらキリがない。

 だからこそ――――。


「わかったわ、じゃあ私がその子を助けてあげる。案内してくれる?」


「…………正気かい?」


 ライルは思わず、そう呟くように声に出していた。

 そして、言われた本人、助けを告げられた少年もまた、呆けたようにポカンとした顔をしていた。


 孤児もスリも数え切れないほど発生している。一人一人助けていることなどできるはずもない。

 しかもスリに遭った本人だというのに。何故当たり前のようにそう言えるのか。


「何かおかしい? 人の物を取るのは悪いことだってこの子は知ってる。それに捕まるリスクもわかってる。なのにそうせざるを得ない何かがあるなら、私にはそれを知る権利はあるでしょう?」


 ライルは、改めて目の前の少女を見た。

 年頃は十代半ば。瞳の大きさもそうだが、強い光が目を引く。典雅な顔立ちであるが、弱々しい雰囲気はない。月光の下の夜会で静かに踊っているよりは、陽光を浴びながら草原を走り回っている方が似合う……そんな少女である。癖のない真っ直ぐな、鮮やかな黄金色をした髪を、動きの邪魔にならぬようにきちっと結い上げている様が、彼女の活動的な印象を強めていた。


 初めて降り立った街で、少しだけ心も浮かれているのだろうか。かつて、色のない世界で見た紅を感じた時と同じような心の動きを、目の前の金に感じていた。


 静かに自分を見つめるライルを見て、少女は続けた。何者にも恥じる事はないと言うように。


「頭のいい振りも物分かりのいい振りも苦手なの。助けたって何も変わらないなんてわかりきったこと言って何もしないよりも、私は目の前のこの子を助けるわ。別に一生面倒見れないならば助けちゃダメなんてことはないでしょう? 偶々、私はこの子にスリにあって、偶々、あなたのお陰で助かった。なら、偶々、私がこの子がスリをしてまで助けたい妹を助けてあげても良いでしょ?」


 それは、とても堂々とした佇まいだった。


 これまでライルが生きてきた世界にはいない、光の煌き。

 戦場に燃え盛るような炎でもなく、闇夜にほとばしるような雷鳴でもなく。

 万人に通じるような光が見えた気がした。


 戦って負ける気もしないし、世間に慣れているわけではないのは見ればわかる。でも、どこまでも彼女が正しい気がしたし、ライルの心は良い感情でざわめいていた。

 

 ふふ、と口の端から音が漏れる。


 あぁ、僕は笑ってるのか。


 それに気づいたライルは、心のままに言葉を紡いでいた。


「これも何かの縁だ。僕も、それにつきあってもいいかな? 昔、ちょっとした縁で命が助かってるからさ、縁は大事にする様にしてるんだ」


 そんなライルを不思議そうに見つめた少女は、その勝ち気そうな顔に驚くほど柔らかい表情を浮かべて、こういった。


「…………ありがとう。マリアよ、マリア・ルーシェン。この春からあそこの学園に通うために試験を受けにきたの」


「僕はライル。ライル・メイズリー。じゃあ、お互いに合格したら、同級生ってことだね」


 それが、少年と少女の出会いだった。



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