それは甘い香りの風のような

 まるでモデルルームのようなマンションの寝室。

夜の闇の中で真っ白な天井を見上げながら、九国さんの柔らかな胸に包まれているとまるで自分が幼児に帰ったかのような安らぎを感じる。

彼女の素肌は思っていた以上に繊細でなめらかで、とても同じ女性の肌とは思えない。

何というか・・・まるでお餅のように心地よく吸い付くと言おうか・・・

思わずそう言うと、九国さんは軽く吹き出した。

「まぁ、お嬢様。私は食べ物なんですか?」

「あ、いや・・・そんなつもりじゃ」

「冗談ですよ。そんな褒めて頂いて恐縮です。でも・・・お嬢様の肌もとても気持ちよいです」

そういうと彼女は私の背中を優しく上から下へと手のひらで撫でた。

「・・・ごめんね」

「どうしたのです?」

「あなたの弱みにつけ込むような真似して。もし、嫌だったら・・・なんと詫びたらいいか」

「私は今、とても幸せです。お嬢様はお嫌ですか?」

「ううん。私も幸せ。私とあなたさえ居れば何もいらない」

「ではそれで良いではありませんか。お互い納得し満足しているのならそれで」

私は頷くと再び彼女の胸に顔を埋めた。

こうしてると、未来に何の不安も問題も無く進んでいけるような気がする。

「ねえ、九国さん?」

「はい、何でしょう」

「変な事聞いちゃうんだけど・・・なんで私にそこまで肩入れしてくれるの?」

暗闇の中の彼女からは返事が無い。

「だって、あなたは家の薬物のルートの事を探るのが目的だったんでしょ?それなら私にあんなに色々してくれなくても、メイドとして職務を果たせば良かった。実際、あなたの仕事ぶりは全く怪しまれるところは無かったんだし」

話しながら、また心臓が激しく鳴り始めた。

嫌なことを聞いちゃった。

埋めている彼女の胸の奥からも、気のせいだろうか心なしか心音が大きくなっているように感じる。

「そうですね。最初は・・・そのつもりでした。でも、あの時。覚えていらっしゃいますか?私がお家に来て半年後の事」

「え?半年・・・」

「ではお話しします。あの日の午後・・・まだ春の暖かさあ残る4月の日。あの日は私にとって一生忘れられない時間でした」

そう言うと九国さんは私の頭を両腕で包み込むと、自分の胸にギュッと押しつけた。


「あの日、私はご主人様のお部屋で掃除をしていました・・・と言うのは方便で、本当はご主人様の持つ流通ルートの情報を掴むためだったのですが。私は部屋にあるガラス細工の花に目を付けていました。そのため、以前から用意していた偽物とすり替えようと花を確認したその時、その花の葉の部分が折れているのが見つかりました。そこを見ると何か不自然な細工の後が。もっと確認しようと手に取ったその時、突然お嬢様がお部屋に入ってこられました」

そんな事あったっけ・・・

全く記憶に無いが彼女が言うのであればそうなのだろう。

九国さんはさらに続けた。

「その時、私が思ったのは、見られたと言う焦りでした。もちろんあなたが情報の事を知っているとは思えない。でも、お嬢様は私を穴が空くほどじっと見ている。どうする。私は・・・すいません。今だからお話ししますが、あなたを殺めるつもりでした」

「・・・私を?」

「はい。万が一の事を考え。あなたを殺めた後、事故に見せかけ窓から・・・申し訳ありません。このような事を聞かせて」

「ううん、大丈夫。それは昔の事だから。それより続きを」

私の言葉に彼女はホッとしたように大きく息をついた。

「では・・・そのために近づこうとした時、お嬢様はこう言いました『それ、あなたが壊したの?』と。私はキョトンとしているとあなたは大股で近づくと、何と・・・その花を手に取り床に放り投げたではありませんか!」

そう話しながら最後の方は笑いが混じっていた。

「呆然としている私にあなたはこう言いました『もう大丈夫。これでこのお花を壊したのは私。お父さんにはそう言っておくから、お仕事に戻って』って」

「そう言えば・・・あの時の?」

「そうです。思い出してくださって良かった。あの時、私は確かに感じました。まるで春の甘い香りを含んだようなそよ風がサッと包むのを。あれは恐らく・・・私が生まれて初めて感じた『情』と言う物だったと思います。それまで私を取り巻く物は『損得』『利用価値』でした。周囲から一個の商品として見られ、私もいつしか周囲をそう見てた。物心ついたときからそう育てられてきたので・・・でも、あの時のお嬢様は損得抜きで動いていた。うぬぼれた言い方かも知れませんが私のために。それ以来、いつしかお嬢様を目で追っている自分がいました。あなたと居るときは自分も人間なんだ、って思えて心が暖かくなった」

そうだったのか・・・

確かにあの時のことは良く覚えている。

せっかく我が家に来てくれて、慣れない環境で頑張っているであろう彼女を、あんなガラス細工くらいで辞めさせたくない、と思ったのだ。

「ふふっ、何か・・・ありがと。そんなに言ってもらえてドキドキしてきちゃった」

「私も話していて、緊張しております」

「九国さんも緊張するんだ」

「もちろんです。と、言っても今のところはお嬢様に関することのみですが」

「そうなんだ!でももし、あの時私が花を割らなかったら、今頃こうしていることもなかったんだ・・・何か悲しくなっちゃう」

「そ、それは・・・本当に申し訳・・・」

私は何も言わずに少しの間顔を伏せていたが、パッと弾かれたように顔を上げると九国さんの脇腹をくすぐった。

「これは仕返し!」

突然の事にビックリしたのか、彼女はこちらが驚くほどの笑い声を上げた。

「す、すいま・・・せん!そこは・・・弱くて」

「九国さんの弱点発見!」

私たちはそのまましばらくお互いをくすぐり合って、沢山笑った。

今までの分を取り返すように。

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